写真は使い回しのミモザです。
そういえば3月1日のつぶやきのまとめが、今ごろ出るとは驚きです。
意味不明な?ことが時々ありますね~
以下はたんぽぽ舎から転載します。読みやすい様に1行あけました。
★2.その(4)─弱者をねらい打ちする地震
「東北地方太平洋沖地震と原発事故後にわかったいくつかのこと
+直下型地震の恐れ」 (島村英紀[地震学者])
───────────────────────────────────
東日本大震災で犠牲になった人々のうち55%が65歳以上だった。この統計は、お年寄りが
選択的に犠牲になったことを意味している。
それだけではない。東日本大震災での障がい者の死亡率は平均の2から4倍もあった。
この地震でも、弱者がより多く犠牲になってしまったのである。
たとえば福島県南相馬市のNPOの調査では、震災直後に多くの障がい者が避難できず取り
残されたことや、行政が事前に作成していた障がい者など「要援護者」の名簿に多くの漏れが
あったことがわかっている。
これは東日本大震災だけの特徴ではない。この震災では、被害者の多くが津波に呑まれたのが
死亡原因だったが、近年日本で起きたほかの地震でも、揺れによる震害で、やはり弱者が
選択的に犠牲になっている。
神戸市や瀬戸内海を見下ろす高台にある神戸大学の構内には、阪神淡路大震災で犠牲になった
同大学の学生と職員の慰霊碑が建っている。そこには学生と留学生39名と職員2名の名前が刻
まれている。
この地震が起きたのは1月17日の午前5時46分だった。地震には十分強く作られているとの
JRや工学系の先生たちのお墨付きがあった新幹線のレールを支えていた橋桁が8カ所も落ち
てしまった。始発の新幹線は朝6時に走り出すことになっていたから、橋桁が落ちたために
大事故にならなかったのは、新幹線にとっては運が良かったとか言いようがない。
もしこの地震がこんな早朝ではない、昼間の時間帯に起きていたとしたら、新幹線や高速道路
では重大な事故が起きていたに違いない。しかし一方で神戸大学の学生たちは死なずにすんだ
かもしれない。というのは、神戸大学には倒壊した建物はひとつもなかったからである。
この39名の学生のうち37名、つまり95%もが、下宿が潰れたために亡くなった。神戸大学の
学生の95%もが下宿生だったというわけではない。自宅から通っていた学生にくらべて、下宿生の
ほうがはるかに死者が多かったのだ。気の毒なことに、この下宿生たちは自宅生たちよりも、
また神戸大学よりも弱い建物に暮らしていたのだった。
亡くなった神戸大学の学生に限らず、阪神淡路大震災で亡くなった人々の医師による遺体検案では
死者のほとんどが地震後10分間以内の圧死だった。つまり、いったん大地震が起きて家がつぶれてしまったら、
国際救助隊が来ようが自衛隊が来ようが、救える人命はごく限られてしまうのだ。
弱い家に住むことは、かくも危険なことなのである。
建設省(現国土省)建築研究所の調査では、阪神淡路大震災では古い家やビルほど倒壊率が高かった。
なかでも1981年以前に建てられた建物ではとくに倒壊率が大きく、1972年から1981年までの
建物がそれに次いだ。1982年以降の建物では損壊率がずっと低かった。古い家がシロアリの被害
などで老朽化していたということも要因としてはないわけではないが、古い家が選択的に倒壊した
主な理由は、建築基準法や耐震設計法が1971年と1981年に段階的に強化されてきたのに取り残され
ていたためである。
もし、学生下宿のような老朽化した木造家屋がもっと新しい家に建て替えられていたり耐震の
補強がされていたら、阪神淡路大震災の死者は5分の1以下になったという試算もある。
つまり阪神淡路大震災では古い家に住み続けなければならなかった人々が選択的に犠牲になった
のであった。
日本だけではない。1971年に米国カリフォルニア州ロサンゼルスのすぐ北でサンフェルナンド
地震(M6.6)が起き、死者は65名を数えたが、そのうち45名は老朽化したある病院の建物が倒壊した
せいで犠牲になったものだった。つまり、この病院さえ壊れなければ死者は70%も少なくてすんだ
はずだったのである。
つまり、地震は弱いもの、弱い家に住み続けなければならない人たちを選択的に襲うものなのである。
ちなみに阪神淡路大震災では家屋や家具の倒壊による圧死が8割を超え、火災による焼死なども
含めると、犠牲者のほとんどは地震の揺れによる震害が原因だった。一方、東日本大震災では
死者の9割以上は津波が原因だった。しかしこちらでも、高齢者や障害のある人たちの死亡率は、
それ以外の人よりも2~4倍も高かった。地震は弱いものを選択的に襲う、という構図が繰り返されてきているのだ。
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そういえば3月1日のつぶやきのまとめが、今ごろ出るとは驚きです。
意味不明な?ことが時々ありますね~
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★2.その(4)─弱者をねらい打ちする地震
「東北地方太平洋沖地震と原発事故後にわかったいくつかのこと
+直下型地震の恐れ」 (島村英紀[地震学者])
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東日本大震災で犠牲になった人々のうち55%が65歳以上だった。この統計は、お年寄りが
選択的に犠牲になったことを意味している。
それだけではない。東日本大震災での障がい者の死亡率は平均の2から4倍もあった。
この地震でも、弱者がより多く犠牲になってしまったのである。
たとえば福島県南相馬市のNPOの調査では、震災直後に多くの障がい者が避難できず取り
残されたことや、行政が事前に作成していた障がい者など「要援護者」の名簿に多くの漏れが
あったことがわかっている。
これは東日本大震災だけの特徴ではない。この震災では、被害者の多くが津波に呑まれたのが
死亡原因だったが、近年日本で起きたほかの地震でも、揺れによる震害で、やはり弱者が
選択的に犠牲になっている。
神戸市や瀬戸内海を見下ろす高台にある神戸大学の構内には、阪神淡路大震災で犠牲になった
同大学の学生と職員の慰霊碑が建っている。そこには学生と留学生39名と職員2名の名前が刻
まれている。
この地震が起きたのは1月17日の午前5時46分だった。地震には十分強く作られているとの
JRや工学系の先生たちのお墨付きがあった新幹線のレールを支えていた橋桁が8カ所も落ち
てしまった。始発の新幹線は朝6時に走り出すことになっていたから、橋桁が落ちたために
大事故にならなかったのは、新幹線にとっては運が良かったとか言いようがない。
もしこの地震がこんな早朝ではない、昼間の時間帯に起きていたとしたら、新幹線や高速道路
では重大な事故が起きていたに違いない。しかし一方で神戸大学の学生たちは死なずにすんだ
かもしれない。というのは、神戸大学には倒壊した建物はひとつもなかったからである。
この39名の学生のうち37名、つまり95%もが、下宿が潰れたために亡くなった。神戸大学の
学生の95%もが下宿生だったというわけではない。自宅から通っていた学生にくらべて、下宿生の
ほうがはるかに死者が多かったのだ。気の毒なことに、この下宿生たちは自宅生たちよりも、
また神戸大学よりも弱い建物に暮らしていたのだった。
亡くなった神戸大学の学生に限らず、阪神淡路大震災で亡くなった人々の医師による遺体検案では
死者のほとんどが地震後10分間以内の圧死だった。つまり、いったん大地震が起きて家がつぶれてしまったら、
国際救助隊が来ようが自衛隊が来ようが、救える人命はごく限られてしまうのだ。
弱い家に住むことは、かくも危険なことなのである。
建設省(現国土省)建築研究所の調査では、阪神淡路大震災では古い家やビルほど倒壊率が高かった。
なかでも1981年以前に建てられた建物ではとくに倒壊率が大きく、1972年から1981年までの
建物がそれに次いだ。1982年以降の建物では損壊率がずっと低かった。古い家がシロアリの被害
などで老朽化していたということも要因としてはないわけではないが、古い家が選択的に倒壊した
主な理由は、建築基準法や耐震設計法が1971年と1981年に段階的に強化されてきたのに取り残され
ていたためである。
もし、学生下宿のような老朽化した木造家屋がもっと新しい家に建て替えられていたり耐震の
補強がされていたら、阪神淡路大震災の死者は5分の1以下になったという試算もある。
つまり阪神淡路大震災では古い家に住み続けなければならなかった人々が選択的に犠牲になった
のであった。
日本だけではない。1971年に米国カリフォルニア州ロサンゼルスのすぐ北でサンフェルナンド
地震(M6.6)が起き、死者は65名を数えたが、そのうち45名は老朽化したある病院の建物が倒壊した
せいで犠牲になったものだった。つまり、この病院さえ壊れなければ死者は70%も少なくてすんだ
はずだったのである。
つまり、地震は弱いもの、弱い家に住み続けなければならない人たちを選択的に襲うものなのである。
ちなみに阪神淡路大震災では家屋や家具の倒壊による圧死が8割を超え、火災による焼死なども
含めると、犠牲者のほとんどは地震の揺れによる震害が原因だった。一方、東日本大震災では
死者の9割以上は津波が原因だった。しかしこちらでも、高齢者や障害のある人たちの死亡率は、
それ以外の人よりも2~4倍も高かった。地震は弱いものを選択的に襲う、という構図が繰り返されてきているのだ。
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