ブーゲンビリアのきちきち日記

神奈川の米軍基地のある街から毎日更新。猫と花と沖縄が好き。基地と原発はいらない。

スリーマイル島原発事故の教訓と東電福島原発事故

2012年03月30日 11時27分40秒 | たんぽぽ舎
写真は横浜のデモで見かけた美しい旗。韓国の色彩でしょうか。きれいですね。

以下はたんぽぽ舎メールより

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┗■2.アメリカの原発事故から何一つ学ばなかった日本の現状。
 │  足尾鉱毒事件を訴えた闘いを今こそ再び。 (杉嶋拓衛)
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 米国スリーマイル島原発事故の教訓と東電福島原発事故

 1979年3月28日のスリーマイル島原発事故から33年。菅井さんは福島県飯館村
で3日間の調査から直行でやってきた。「皆さん放射能の空間線量の値をご存知
ですか」講師から参加者への問いかけで始まる。飯館村のモニタリングポスト
の数値は除染した場所に設置され鉄板で防護された数値だった。これは除染す
ればこのぐらいの数値なので帰って来なさいという意味なのか。政府の発表に
除染していますという説明は無い。つまり正確な数値ではないのだ。

 飯館村の長泥地区の5・5マイクロシーベルトのモニタリングポストの数値
の前で菅井さんの手のガイガーカウンターは7・4マイクロシーベルトを示し
ていた。


 スリーマイル事故の話に入り事故につながる流れが説明されたが、発生した
汚染水はサスケハナ川に流してしまった。原発事故の処理の浅はかさを感じた。

 驚く事に日本の電力会社各社は事故が起きた後にハリスバーグに長期間駐在
員を送って情報収集していたのだ。その情報が全く活かされていないのには呆
れた。安全対策にも反映されなかった。住民を逃すという基本も事故など起き
るはずがないという慢心から準備していなかった。今も福島第一原発事故の汚
染水は海に大量放出されている。時代が変わっても電気事業者の腐った心だけ
しか受け継がれないのは嘆かわしい。アメリカの事故から何一つ学ばなかった
日本の現状が現在なのだ。でも嘆いてばかりでは何も変わらない。菅井さんは
来年田中正造没後100年を見据えて「現在の田中正造は現れないか」と問いかけ
た。足尾銅山鉱毒事件を政府に訴えるために明治政府に時に一万人も足尾現地
から押出し、圧力をかけた。福島の人たちを救うために、いかに支える事がで
きるのか。福島から避難している人たちを孤立させるな。菅井さんの公害事件
への思いと現在苦しい思いをされている福島現地の人たちへの支援を合わせた
運動を訴えて会を終えた。


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