城犬のおいど

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加賀国 鳥越城

2024-10-03 14:29:23 | 城館
加賀国 鳥越城 <トリゴエジョウ>
別称別宮城
城郭種別城郭
縄張り連郭式山城
築城者鈴木出羽守
築城年1573
廃城年1582
主な城主山内衆
指定史跡国指定
住所石川県白山市三坂町
[Google] [地理院地図]
城址碑あり
現地案内板あり
スタンプ鳥越一向一揆歴史館 09:00-17:00(月定休)
鳥越市民サービスセンター 鳥越一向一揆歴史館休館日のみ
現存建造物なし
復元建造物模擬門
DID・航空管制対象外・対象外

概要
当城跡は、通称城山と呼ばれる尾根筋の一角にあたる標高312mを測る山上部に位置する。
眼下には、東に手取川、西に大日川を望む場所にある。
本城の城主は、紀伊雑賀一揆の首領鈴木孫一重秀の一族である鈴木出羽守といわれている。
鈴木出羽守は、本願寺から派遣された武将とされ、「信長公記」には加賀一向一揆が解体された天正8年(1580)11月には、近江安土城に入っていた織田信長のもとに鈴木出羽守を含む一揆方指導者19名の生首が届けられたと書かれており、この時に鈴木出羽守の鳥越城は落城したとされる。
しかし、翌年の天正9年(1581)2月には、二曲にて入り置かれた織田信長の配下であった柴田勝家の兵300人を、一向一揆勢が討ち果たし、再び鳥越城跡を奪還できたとしている。
その後、翌10年(1582)3月に、再び織田信長の配下である佐久間盛政が一向一揆を制圧し、首謀者300名余を磔刑にしたことにより戦乱は終息した。
城は、尾根部を空堀や土塁で仕切って人工的の造成された7つの平坦面からなる連郭式城郭である。
昭和52年(1977)から平成14年(2002)にかけて14次にわたる発掘調査が実施された結果、天正期の戦乱の舞台となった焼失した建物跡等の貴重な遺構を多数発見された。
二曲城跡とともに加賀一向一揆最後の砦となった歴史の舞台としての意義を持つことから、史跡に指定され、保存が図られている。
※現地看板より

攻城記録
鳥越城跡登口



令和7年3月31日まで(予定)通行止め
老朽化で傾いた本丸門は解体され、再建を予定されている。

白山市立鳥越一向一揆歴史館
続日本100名城のスタンプはこちらに設置されています。



2024/9最終訪問

周辺地図

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