フィギュアの作り方のページをいろいろと見ていたら、
芯棒を組んだのち肉を盛り付けるという手順が出ていました。
そういえば、そういう方法もありました。
中に芯をいれれば強度が保たれるし、使用する粘土もすくなくて済みます。
なんでやるのを思いつかなかったんだろうと思いながら
作り途中の粘土に手を入れていて、わかりました。
わたしにとっては芯棒はすごく邪魔だったのでした。
そういえば毎回、粘土はほとんど考えずに作り始めるので、
手の位置が違うとか足の位置が違うとかで
半分くらい作ったところで、切って付け直すのも
よくする行為でした。
むかし、そのときに金属製の芯のせいで
変更がめんどくさいことになったので
そのときから入れるのをやめていたのでした。
別の角度から考えると、よくほかの人は
芯を入れて、その芯が邪魔にならないように
作り上げることができるものです。
絵と同じで、立体でもうまい人は
できあがる形が頭の中に見えているのでしょうか?
というところで自分を省みると、
絵にしても立体にしても、『なんとなくこんな感じ』の
方向性だけで手をつけて、
できあがりがまったく見えていないことに気づきました。
だれだか忘れましたが、昔の彫刻家は、
「自分は石の中にある像の姿を取り出すだけです」
みたいなことを言ったみたいですし、
できる人の見える世界は、そういうものかもしれませんねえ。
わたしに見えない世界は広いです。