今日、ふと、源という人名を目にしました。
そこで、源というのは何の源なんだろうと思った瞬間、
ふっと、源平合戦というのは、今思うよりももっと根深く、
日本にとって意味深いものではないのかと感じたのです。
わたしが興味を持つ古代神道などからは時代がずいぶんずれるため
知識も関心も別にありません。
うちは平氏側についていた、ということを聞いた程度です。
でも、源平合戦について考えると、どうも古代神道にも
つながるものがあるのではないかと感じます。
今、平氏は『へいし』、『たいらし』などと呼ばれていますが、
これは本当に正しいのでしょうか?
そもそも、誰が言い出したのでしょうか?
ところで、家などを建てる前には土を
『たいらにならす』ということをしますが、
これを漢字で書いたら、どうなるでしょうか?
答えはもちろん、『平らに平す(たいらにならす)』です。
そもそも平氏の『平』は『へい』でもなければ
『たいら』でもなく、『なら』ではないのでしょうか?
古代神道からちょっと引いて考えれば、
現在では『ならのみやこのへいじょうきょう』なんて
言ったりするあの存在。
そもそも『ならのみやこ』の語源は『平の京』であるのではないか、
と感じます。
昔は山城(やましろ・やまき)を作って、そこに都を作ったのに対し、
平らなところに平城(ならしろ・ひらしろ)を作って、
そこを都としたので、平の京と呼ばれたのではないか、とも思います。
なぜ平地に城を作れたかと言えば、
山城を作らなくてもいいくらいに、
日本を『平らげた(たいらげた)』ことによるのではないでしょうか。
つまり、日本を『平らげ(たいらげ)』、『平し(ならし)』、
『平らな』土地に都を作った、というのが『平(なら)氏』で、
都は『平(なら=奈良)』。
武力により、日本の新統治者になったと言うのが平氏。
それに対し、日本の源流であり、日本人の源(みなもと)である、
旧統治者であるというのが源(みなもと=げん)氏。
日本の源と、それを平らげたという、
新旧勢力の戦いではなかったのか、と考えるのです。
そう考え至ると、思い出すのが源義経です。
古代神道に関連する古文書や神社の縁起などでは、
日本の旧支配者は、新勢力に負けた後、日本の北に追いやられた、
と述べられています。(証拠の文献などは示せます)
源平合戦で北日本と言えば、『源』義経が奥州藤原氏に匿われた
ことでも有名です。
旧支配者が日本の北のほうに追いやられ、
そこに、旧支配者の系統、日本の源であるとのべているように思われる
『みなもと』氏が行く、というのは……
単なる偶然ではないと、個人的には思えるのです。
なんとなく、源平合戦は古代神道からもつながり、
歴史書などを詳しく分析・解釈していけば
もっとおもしろい側面が見えてくるのではないかという感覚がありますが、
そこまでやれる命も運もお金もないのがすこし残念です。