竹取物語の既存の訳は、ひどいものばかりです。
竹取物語には、いまだに訳されていない箇所というというものが
いくつもありますが、そもそも間違った解釈をしているために
続くものがまちがっているのがほとんどなのです。
たとえば『かまど』。
これを研究する話はいくつもありますが、
おそらく一人をのぞいたそのすべてが、
ごくつまらない文法を無視して訳すため、
解釈がおかしくなっています。
これについては、わたしがきちんと例をあげて
誤っている論理、あやまっている箇所、
正しい解釈、正しい訳を示してまとめました。
←カテゴリの 自作本 から同人誌にしたものを見てみてください。
たとえば
『十六そをかみに』。
これは手ごたえのある問題ですが、
それが『十六』や『十二』などとは関係がないことを、
古文の解釈法をきっちりとつかって証明し、
まとめました。
竹取物語は、古文の解釈法さえきちんとわかっていれば、
ほとんどの場所を解釈できるのです。
わたしは、それを伝えたい。
ほかにも、
たとえば、竹取物語の『我が名ははうかんるり』の謎。
天人の名前は『はうかんるり』なのか
あるいは『うかんるり』なのか。
この文の意味は。
……なんて、難しく考える人がいますが、
古文の厳密な読み方を知っていれば、
そんな問いにはまったく意味がないことがわかります。
また、たとえば、竹取物語の
『かぐや姫の罪』とは何か、という問題。
これについては、案外いろいろな本や解釈があり、
かぐや姫の罪と罰、みたいに映画でもやっていました。
かぐや姫の罪がなにか、わかりますか?
月をうんじた、とか
月で姦淫した、とか
なんだかんだと言うものはあるようですが。
そんなことはまったく関係ないことがわかりますか?
かぐや姫がなんの罪を犯し、
なぜ、地上に降ろされたのか。
そんなことは、本文にかいてあるのですよ。
わたしが見る限りでは、みんなが
それを見落としています。
なぜ見落とすかと言えば、
古文を厳密に読む方法を知らず、
なんとなくで感覚で読んでいるからです。
そういう、「なんとなく」で読むのを廃し、
厳密にきっちりと古文を読む方法を
同人にまとめて紹介しています。
どうせならと、
既存訳の誤りと、その正しい解釈を
論文にまとめて送ってみてもコメントなしリフューズ。
国文学のまあたらしい解釈は、
よっぽど大手に属してないと
発表すらできないようなものだとかも聞きます。
わたしは大手のゼミなり研究室なりに
属していないどころか、
そもそも国文学とは関係のない、
神道古文書の研究をやる人間です。
わたしの研究は、いわゆる卑弥呼が
現代神道ではなんという神様になっているか、
伊勢神宮ではほんとうはなんという神様を祭っているのか、
といったこと。
でも、厳密な古文の読み方を知っている人がいなければ
論理の正当性が伝わらないのです。
だからまず、古文の厳密な読み方を知らせないことには
わたしの本来の研究がまったく伝えられません。
竹取物語は論理文なので、誤りを指摘して
正す話をしていれば
古文の厳密な読み方は伝えられるはず……という話だったのですが。
論文がだめなら、出版では、と思うと。
本を出す意義は、
今の古文は研究者でさえ厳密な読み方を知らずに
誤った解釈から誤った研究結果に伝えるものが数多くあるので
厳密な読み方と使い方を示し、
将来の研究の発展に寄与したい。
とかなんとか書けますが。
そこで、
「それは、お前が書いて売れるものなのか?」
という質問が来ます。
たとえ世の中に50万人くらい、
自分の頭で古文を読みたい人がいたとしても。
竹取物語の訳せない箇所に手を付けて
解釈に失敗した人が100人くらいいたとしても。
わたしが
「これまでにない、古文を厳密に読む方法を教えるし、
それを使って竹取物語がほんとは何言ってるか示しますよ」
なんて言ってみたところで、
わたしが書いてるせいで、一人二人読んで終わりなのでしょう。
有名な人が、
「いっぱい研究して、あたらしい考え方をまとめ、
竹取物語解釈の誤りを全部指摘してみました! 読んで!」
とでも言えば、古文を読みたい人以外にだって売れるのでしょうけど。
『わたしの研究に意味がない』のではなく、
わたしの研究は、
『わたしがやってるから、意味がなくなっている』のだと
最近ようやくわかりました。
わたしの研究が実際に正しいかどうかなんて
どうでもいいことだったのです。
論文も、わたしが書くからどこにも載らないし
コメントなしリフューズで直しようもないし。
商業も、わたしが書くから売れる見込みもなくて没で。
……なんでわたしはこうなのか。
これまでどんな研究者が研究しようと、
一切正しい答えにたどり着けなかった、
『かまど』の解釈法とその意味。
これまでどんな研究者だろうと
意味を取れなかった、
『十六そをかみに』の、
正しい解釈と正しい意味、
それを導くための、基礎となる解釈法を、
わたしはまとめました。
間違ってると思うなら、インチキで返金要求していいですから
『十六そを』や『かまど』の訳ができない人、
既存訳と同じ解釈をする人はぜひ読んでみてください。
竹取物語には、いまだに訳されていない箇所というというものが
いくつもありますが、そもそも間違った解釈をしているために
続くものがまちがっているのがほとんどなのです。
たとえば『かまど』。
これを研究する話はいくつもありますが、
おそらく一人をのぞいたそのすべてが、
ごくつまらない文法を無視して訳すため、
解釈がおかしくなっています。
これについては、わたしがきちんと例をあげて
誤っている論理、あやまっている箇所、
正しい解釈、正しい訳を示してまとめました。
←カテゴリの 自作本 から同人誌にしたものを見てみてください。
たとえば
『十六そをかみに』。
これは手ごたえのある問題ですが、
それが『十六』や『十二』などとは関係がないことを、
古文の解釈法をきっちりとつかって証明し、
まとめました。
竹取物語は、古文の解釈法さえきちんとわかっていれば、
ほとんどの場所を解釈できるのです。
わたしは、それを伝えたい。
ほかにも、
たとえば、竹取物語の『我が名ははうかんるり』の謎。
天人の名前は『はうかんるり』なのか
あるいは『うかんるり』なのか。
この文の意味は。
……なんて、難しく考える人がいますが、
古文の厳密な読み方を知っていれば、
そんな問いにはまったく意味がないことがわかります。
また、たとえば、竹取物語の
『かぐや姫の罪』とは何か、という問題。
これについては、案外いろいろな本や解釈があり、
かぐや姫の罪と罰、みたいに映画でもやっていました。
かぐや姫の罪がなにか、わかりますか?
月をうんじた、とか
月で姦淫した、とか
なんだかんだと言うものはあるようですが。
そんなことはまったく関係ないことがわかりますか?
かぐや姫がなんの罪を犯し、
なぜ、地上に降ろされたのか。
そんなことは、本文にかいてあるのですよ。
わたしが見る限りでは、みんなが
それを見落としています。
なぜ見落とすかと言えば、
古文を厳密に読む方法を知らず、
なんとなくで感覚で読んでいるからです。
そういう、「なんとなく」で読むのを廃し、
厳密にきっちりと古文を読む方法を
同人にまとめて紹介しています。
どうせならと、
既存訳の誤りと、その正しい解釈を
論文にまとめて送ってみてもコメントなしリフューズ。
国文学のまあたらしい解釈は、
よっぽど大手に属してないと
発表すらできないようなものだとかも聞きます。
わたしは大手のゼミなり研究室なりに
属していないどころか、
そもそも国文学とは関係のない、
神道古文書の研究をやる人間です。
わたしの研究は、いわゆる卑弥呼が
現代神道ではなんという神様になっているか、
伊勢神宮ではほんとうはなんという神様を祭っているのか、
といったこと。
でも、厳密な古文の読み方を知っている人がいなければ
論理の正当性が伝わらないのです。
だからまず、古文の厳密な読み方を知らせないことには
わたしの本来の研究がまったく伝えられません。
竹取物語は論理文なので、誤りを指摘して
正す話をしていれば
古文の厳密な読み方は伝えられるはず……という話だったのですが。
論文がだめなら、出版では、と思うと。
本を出す意義は、
今の古文は研究者でさえ厳密な読み方を知らずに
誤った解釈から誤った研究結果に伝えるものが数多くあるので
厳密な読み方と使い方を示し、
将来の研究の発展に寄与したい。
とかなんとか書けますが。
そこで、
「それは、お前が書いて売れるものなのか?」
という質問が来ます。
たとえ世の中に50万人くらい、
自分の頭で古文を読みたい人がいたとしても。
竹取物語の訳せない箇所に手を付けて
解釈に失敗した人が100人くらいいたとしても。
わたしが
「これまでにない、古文を厳密に読む方法を教えるし、
それを使って竹取物語がほんとは何言ってるか示しますよ」
なんて言ってみたところで、
わたしが書いてるせいで、一人二人読んで終わりなのでしょう。
有名な人が、
「いっぱい研究して、あたらしい考え方をまとめ、
竹取物語解釈の誤りを全部指摘してみました! 読んで!」
とでも言えば、古文を読みたい人以外にだって売れるのでしょうけど。
『わたしの研究に意味がない』のではなく、
わたしの研究は、
『わたしがやってるから、意味がなくなっている』のだと
最近ようやくわかりました。
わたしの研究が実際に正しいかどうかなんて
どうでもいいことだったのです。
論文も、わたしが書くからどこにも載らないし
コメントなしリフューズで直しようもないし。
商業も、わたしが書くから売れる見込みもなくて没で。
……なんでわたしはこうなのか。
これまでどんな研究者が研究しようと、
一切正しい答えにたどり着けなかった、
『かまど』の解釈法とその意味。
これまでどんな研究者だろうと
意味を取れなかった、
『十六そをかみに』の、
正しい解釈と正しい意味、
それを導くための、基礎となる解釈法を、
わたしはまとめました。
間違ってると思うなら、インチキで返金要求していいですから
『十六そを』や『かまど』の訳ができない人、
既存訳と同じ解釈をする人はぜひ読んでみてください。