直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
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根掘り葉掘りの語源+根も葉もないの語源

2019年02月16日 | ちょこのひとかけ
『ねほりはほり』という言葉があります。

今では、それは『根掘り葉掘り』と書いて、
しつこくたずねるさまを表す表現だ
というようなことが言われているはずです。
意味のわからない『葉掘り』は、『根堀り』に調子を合わせた
適当な口汚し程度だとか。

……そんなわけがありません。

日本のホルモン、ホルモン焼きの語源伝説を思い出してください。
ホルモン焼きの『ホルモン』の元になった言葉には
『放るもん』があるのではないか、と言われているはずです。
敢えて強調しますが、『ホルモン』で『放るもん』です。
つまり『ホ』は『放』。決して『掘るもん』ではありません。

なぜこの概念を、『ねほりはほり』にあてはめないのか、
わたしには意味がわかりません。

『ねほりはほり』という言葉は、
『調べる・探る』という系統の動詞を取り、
なにかの対象を詳しくソレする、という概念を表します。

それが何を意味するか、わかるでしょうか。
『ねほりはほり』は、
『きになるもの』を、『あからさまにする』、
ということです。

これでもわからないなら、
『ねほりはほり』は、『きになるもの』を、
『あかはだか』、『まるはだかにする』
という意味を持ちます。

ここにある日本語の概念、日本語のしゃれがわかったでしょうか。

『きになるもの』、つまり『木なるもの』を
『ねほりはほり』して、『まるはだか』にするのが
『ねほりはほり』の意味です。

台風などで木がまるはだかにされるというのは
どういう状態かと言えば、葉っぱがなくなり、
木が倒され根が丸出しになったようなものを言います。
これなら、隠すところもなくむき出しです。

つまり、『気になるもの』=『木なるもの』の
『根を掘り出し』、『葉を放り出し』、
そのすべてを隠すところなくまるはだかにするのが
『ねほりはほり』の概念であって、
そこには、根は掘っても『葉を掘る』意味などはないのです。

実際、葉を放らないと、意味がないでしょう?
ホルモンは『放るもん』だと、言葉のいわれに出るくらい、
普通に使われる言葉でしょう?

なのになぜ、『ねほりはほり』に『葉掘り』なんて
わけのわからない漢字をあてて、
『葉掘り』は『根掘り』にあわせた調子整えだ、と
言えてしまうのかわかりません。

和歌の解釈が代表例ですが、
日本の古い言葉の解釈なんて、
これくらいの意味が取れなければ一切できません。

この程度の意味も文脈もとれない人間、
言葉に関するセンスのない人間が
言葉に関わるのは本当にやめてほしいと思います。



加えて言えば、『根も葉もないうわさ』などの
『根も葉もない』もこれと同類の表現です。

うわさに『根』があったら、なんなのでしょうか?
うわさに『葉』があったら、なんなのでしょうか?
うわさに『根も葉もない』とはどういうことでしょうか?

これが、日本語のしゃれ表現だということはわかりますか?

この元の意味は、『(何かに)根も葉もない』ということであり、
『(何かに)』の『何か』は『木のようなもの』です。
『木っぽいもの』に『根も葉もある』なら、それは『木』になります。
『木っぽいもの』に『根も葉もない』なら、それは『木』になりません。

……わかったでしょうか。

『うわさ』に『根も葉もな』ければ、『木』にならないのです。
『うわさ』に『根も葉もな』ければ、『気にならない』のです。

実際の言い回しにだって、出てくるでしょう?
「そんな根も葉もないうわさなんて、気にすんな」
と。

『根も葉もあるうわさ』は『木に』なって、
『根も葉もないうわさ』は『気にならない』のです。

つまり、
『根も葉もないうわさ』という言葉の意識の中核をなすものは『木』であって、
『根も葉もない』『うわさ』なんて、
『気にもならない(木にもならない)』のだと、
しゃれ混じりに述べているのに過ぎません。


言ってみれば、
「おそれいりやの 鬼子母神よ!」
とか
「その手はくわな の焼きはまぐりよ!」
と同系統の表現です。

「その噂 根も葉もねえから 木にならねえ!」
=その噂は、『根』拠もなく、『葉』もの(取るに足りないもの)ですらない、
とるにたりないもの以下なので、木にならないし、気にならない


『根』『葉』は『キ(木)』を導く枕詞的なものであり、縁語なのです。
この程度、古文や和歌を読んでいれば何の問題もなく意味が取れるのに、
今の辞書などはそういう意味を一切説明しません。
古文も読めない、古い時代の知識も教養もない人間が
語源なりなんなりについて語るのはやめてほしいと思います。

そもそも今に至っても日本語や日本人は、『八十八歳のお祝い』を
『米寿』としてまじめに祝うような、洒落・駄洒落民族なのですよ?
この感覚さえわからない人間が国語に関わっていることが
わたしはすごく心に根も葉も生えます。(木になります)

2019-02-16 23:50:58
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