少し時間があったので、ママが絵を描いてくれた。
ママにはお花を描く時間がなかった。おばあちゃんが描いてあげようかと言うと、断られた。私の絵の下手さを知っているのか?
ゆで卵を細かくする道具。子供でもできるよ。
彼女の好きなホットサンドを作った。
積み上げちゃった。
私が疲れてきたので、テレビに子守りを任せた。
ママが仕事を切り上げて、来てくれた。バイバーイ。またおいでね。土曜日にまたくる予感がする。父の日のプレゼント🎁を持って。
ウクライナ人のアパートに向かった。2時に行く予定だったが、孫の世話が入ったので、時間を遅らせてもらった。ナターシャは用事があるから、いないかもしれないが、早く地図などを届けたかった。この人が迎えてくれた。
お母様と私が2歳違いであることがわかった。same generation どちらが年上かは気にしないでね。
おととい引っ越したのに、家の中はすっかり片付いていた。しかもおしゃれなレイアウトで。必要なものは全部揃っていた。入居時の通訳で出会った時、お母様がお花をベランダに置きたいとおっしゃっていた。早くコーナンの場所を教えてあげねばと思い、地図を作って持っていった。食器なども持っていった。心配しすぎだったようだ。
もうベランダにはお花があった🌼
逆に素敵なプレゼントをいただいた。テーブルセンター、ウクライナ色のブレスレット、お手紙
すぐ帰るつもりだったが、話し込んでしまった。お母様は英語がほとんど話せない。私たちは知恵を絞って、ジェスチャーあり、筆談あり、でなんとかコミュニケーションをとった。結局、紅茶を2杯いただき、2時間お邪魔した。もし、ナターシャがいたら、お母様とこんなに仲良くなれなかっただろう。
はっきりわかったことは、お二人はワルシャワから飛行機に10時間乗って、東京に着いたこと。ワクチンを3回接種していること。日本が1年間有効のビザを出してくれたこと。ロシア軍の攻撃で近くに住むbrotherの家が破壊されたこと。彼女の表情とジェスチャーから、bombとsirenの恐怖が十分すぎるほど伝わった。辛いこともお話ししてくれた。電車の駅で幼い子供たちが、泣くのを我慢していたことなども。一刻も早く、戦争が終わってほしい。
テレビに出てくる評論家には、イラつくことが多い。軍事作戦の詳細な動きを、待ってましたとばかりに喋る作戦の軍事評論家もいる。
この田中龍作という人は去年の終わりから5月の終わりまでウクライナに滞在して取材をしてきたフリージャーナリスト。実際に見たこと、聞いたことをYouTubeで語ってくれた。
上↑は開戦の日のキエフの地下シェルターの写真。人々が避難してきている。地下シェルターがキエフ市内には、なんと4000もあるそうだ。旧ソ連は、核戦争に備えて地下鉄の駅などに強固なシェルターを大量に作った。それが今は、ウクライナの人々を守っている。歴史の皮肉。
ナターシャさん母娘は、かなりの荷物をウクライナから運んで来られた。洋服もかなりあったし、ラップトップ、アクセサリー、本などもあった。この人たちのように大きなスーツケースを持って、日本まで避難して来られたのだろう。