ゲストは93歳のお母さん、ドナさん、長女ローリーさん、次女キャサリンさん、末っ子のヘンリーさんと奥様のスゼットさんの5人だった。私「ヘンリーさん、youngestだけど、tallestなんですね」と言うと大爆笑。ローリーさんはアリゾナ、その他の方はネブラスカに住んでおられる。お母さんを喜ばせるために子供たちが企画した旅行かと思ったが、そうではなく、ドナさんが「私は日本に行くから、みんなついてきなさい。リタイアしたのだから」ということで実現した旅行だった。ドナさんはゆっくりなら歩けるが、足元が安定しないので車椅子を使われた。エレベーター探しの旅が始まった。地下鉄で新大阪に行って、新幹線の改札を通り、エレベーターでホームに上がると、11号車の前だった。11号車には車椅子のスペースがあった。駅員さんがスロープ板を使って乗車を手伝ってくれた。出発を10分早めたので、余裕を持って予定の列車に乗れた。まずはひと安心。
ドナさんは車椅子から降りて、ローリーさんの隣の座席に座られた。子供さんたちの話によるとドナさんはかなり”stubborn(がんこ)“らしい。私はキャサリンさんの隣の席に座った。個人的なお話ができた。キャサリンさんは2回結婚して、2回離婚して、今はパートナーさんと暮らしておられる。子供は3人。キャサリンさんは私と同じ年齢だった。作業療法士として週に3回、短時間勤務しておられる。
広島駅から山陽本線に乗り換え、広島口駅で下車。フェリーに乗った。車椅子用のスペースに案内された。10分ほどで宮島に到着する。フェリーの中から厳島神社の大鳥居が見えてきた。鳥居の方に向かって歩く人が見えた。今は干潮なのだろう。
島に無事に到着。神社に向かう途中にお土産物屋があった。ドナさん、陶器の折鶴を買われた。
大鳥居に向かって歩いた。少し、潮が満ちてきたようだ。
暑くなってきた。
鳥居をバックに、家族写真を撮ってあげた。
この団体さんが写真を撮る様子が面白かった。添乗員らしき人がなんとか鹿と一緒の写真を撮ろうと苦労されていた。奈良公園とは違って、ここでは鹿せんべいを売っていない。何か食べ物を鹿にあげていた。
厳島神社に入った。宮島は神の住む島。島の中に建物を建てることができないので、海にこの神社を建てたのです」と言ったものの、干潮だったので、神社は海に浮かんでいなかった。ここは満潮の時に来る方がいい。これは『鏡の池』 潮が引くと手鏡のように見えるので、この名が付けられている。
干潮のおかげで、この工事を見ることができた。柱の水の中にある部分は傷みやすいので、頻繁に取り替えられると、去年、宮島のガイドさんに教えていただいた。
大鳥居をバックに写真を写せる所。去年9月に来たときには長蛇の列があったが、今日は二組しか並んでいなかった。ラッキーだった。
この後、宝物館に入った。入館口まで5段くらいの石段があったが、ドナさん、ゆっくり上がることできた。館内では、館内用の車椅子を使わせてもらった。英語の説明文もあった。ローリーさんが、ドナさんのために英文を読んであげていた。
この後、宝物館に入った。入館口まで5段くらいの石段があったが、ドナさん、ゆっくり上がることできた。館内では、館内用の車椅子を使わせてもらった。英語の説明文もあった。ローリーさんが、ドナさんのために英文を読んであげていた。
神社にお別れして、ショッピングストリートに出た。昼食は天ぷらと穴子のお店に入った。ローリーさんのセットメニューには小さな穴子丼があった。人生初の穴子に興奮された。まずまずだったようだ。外国人旅行者、うなぎはご存知の方が多いが、穴子は初めて聞く魚のようだ。私はこの天ぷらそばをいただいた。ドナさんは天ぷらの盛り合わせを完食された。食事中、95歳の私の母のことが話題になった。老人ホームは高いかと聞かれたので「母の趣味はお金を貯めることで、○○円、貯めたんです」と言うと、一同、大爆笑。早速、米ドルに換算されていた。ドナさんが全員の分をクレジットカードで支払ってくださった。
もみじ饅頭のお店に立ち寄った。ここではできたての饅頭をいただける。みなさん、それぞれお好きな餡を選ばれた。この鯉の写真が気になったので聞いてみた。
品評会に出品されているようだ。目の前の池には丸々太った美しい錦鯉が泳いでいた。
この鯉のぼりは年中、売っているのだろうか。ローリーさん、キャサリンさん、スザーネさんが買われた。鯉のぼりについて説明したが、うまく説明できないので、画像をお見せした。
このフェリーに乗って、宮島口に戻った。
フェリーから見えた山の稜線。観音様の横顔に見えると言われている。さすが神の島。
JR宮島駅で列車に乗り、横川駅で降りた。駅に着いたら3時26分だった。予定より1時間近く遅れている。タクシー2台で平和記念資料館に行った。ネットでチケットを買っていたのですぐに入館できた。東館3階から見学を始めた。本館に移動し、被爆の実相を知る。薄暗い館内は悲しい静けさに包まれている。個人的には、ここが一番辛い場所。
また東館に戻る前に、平和公園が見渡すことができる場所がある。資料館を設計した丹下健三さんは、原爆ドームと埴輪型の慰霊碑とこの資料館が一直線に並ぶことを意図されたと研修で聞いた。また、本館の1階は壁のないピロティになっていて無数の柱が建物を支えている。資料館の南の方まで見渡すことができる。
もみじ饅頭のお店に立ち寄った。ここではできたての饅頭をいただける。みなさん、それぞれお好きな餡を選ばれた。この鯉の写真が気になったので聞いてみた。
品評会に出品されているようだ。目の前の池には丸々太った美しい錦鯉が泳いでいた。
この鯉のぼりは年中、売っているのだろうか。ローリーさん、キャサリンさん、スザーネさんが買われた。鯉のぼりについて説明したが、うまく説明できないので、画像をお見せした。
このフェリーに乗って、宮島口に戻った。
フェリーから見えた山の稜線。観音様の横顔に見えると言われている。さすが神の島。
JR宮島駅で列車に乗り、横川駅で降りた。駅に着いたら3時26分だった。予定より1時間近く遅れている。タクシー2台で平和記念資料館に行った。ネットでチケットを買っていたのですぐに入館できた。東館3階から見学を始めた。本館に移動し、被爆の実相を知る。薄暗い館内は悲しい静けさに包まれている。個人的には、ここが一番辛い場所。
また東館に戻る前に、平和公園が見渡すことができる場所がある。資料館を設計した丹下健三さんは、原爆ドームと埴輪型の慰霊碑とこの資料館が一直線に並ぶことを意図されたと研修で聞いた。また、本館の1階は壁のないピロティになっていて無数の柱が建物を支えている。資料館の南の方まで見渡すことができる。
資料館を出て、慰霊碑の前で家族写真。時間は押してきたが『原爆の子の像』にご案内した。昨夜、寝る前に佐々木禎子さんのことを復習したが、あまり上手に話せなかった。次回10月に来る前には、練習しておこう。
ローリーさんは学校の先生をされていたので、子供たちが折った千羽鶴に興味を示された。
原爆ドーム。原爆で亡くなられた知り合いの方がいるか聞かれたので、お嫁さんのお爺さんの妹さんのことをお話しした。妹さんはこの産業奨励会館で働いておられた。あの時、ここにおられた。
原爆投下の目印になったT字型の相生橋にお連れして、平和公園の案内は終わった。タクシー2台で広島駅に向かった。ここでトラブル。この車椅子がタクシーのトランクに入らなかった。1台目のドライバーさんが、後ろの車に乗せてくれ、というので、2台目のドライバーさんにお願いした。ところがまた入らなかった。でも親切なドライバーさん、助手席に無理やり車椅子を入れてくれた。このドライバーさんはフレンドリーで面白い方だった。ゲストがアメリカから来たことを知ると「この車椅子、デトロイトで買ったの?」というジョークを飛ばして、うけていた。
広島駅には5時半ごろに着いた。公共交通でまわるツアーだったが、タクシーを使って正解だった。新幹線の発車時刻が6時18分だったので、それまで自由時間とした。6時5分に改札口、集合にした。実は私が少し、休憩したかった。ゲストさんたちは本屋さんに向かわれた。
1人で近くにあったカフェに入り、
レモンスカッシュをいただいた。ホッとできた。
予定の新幹線に乗り、新大阪から地下鉄で天王寺に向かった。地下鉄は新大阪発で天王寺止まりだったので、快適だった。車内でローリーさんが買った絵本を見せてくれた。ロシア民話のあの『おおきなかぶ』のギャグ版だった。作者は日本人。かぶを抜くとき『よいしょ』と言い、お尻からは『プー』。訳してと言われて困ったが、なんとか伝えることができた。ローリーさん、喜んでくれた。
レモンスカッシュをいただいた。ホッとできた。
予定の新幹線に乗り、新大阪から地下鉄で天王寺に向かった。地下鉄は新大阪発で天王寺止まりだったので、快適だった。車内でローリーさんが買った絵本を見せてくれた。ロシア民話のあの『おおきなかぶ』のギャグ版だった。作者は日本人。かぶを抜くとき『よいしょ』と言い、お尻からは『プー』。訳してと言われて困ったが、なんとか伝えることができた。ローリーさん、喜んでくれた。
ハルカスの19階のロビーまでお連れして、ツアーは終了。反省点は色々あるが、ゲストも協力的だったので、タイトな行程を無事にこなすことができた。明日は帰国される。日本旅行の最終日がハードながら良き思い出の日になったと思いたい。お疲れ様でした。かくして、12時間半のエレベーター探しの弾丸ツアーは終わった。ガイドもお疲れ様でした。