昔 矢板に隠匿飛行場が有ったんです。
各地にある飛行場ではアメリカ空軍の爆撃を受けて 飛行機が損害を受けていたので
各地に隠匿しようと 矢板にも昭和19年から20年にかけて滑走路を造りました。
学徒動員をかけて学生が作業員だったそうです。
場所は矢板駅近くの「秋田木材工業」から南に1Km 現在の県立矢板東高校から500m位かな。
滑走路が出来あがって 飛行機が飛んで来ました。
物珍しさから 私も飛行機を見に出かけました。 双発の飛行機だったような?
急造の滑走路でしたので 深い飛行機の轍が記憶に残りました。
夜間 兵舎に焼夷弾を落とされて 燃え上っていました。
秋木も空襲を受けました。
グラマンが低空で来て 翼から火の玉が流れました。
百雷の何倍もの音がしたのを今でも覚えています。
地名として「滑走路」を何年も使用しました。
どんな内容だったか?報告聞きたいものですね。
小学一年生の80年前の出来事なんだから?
先日 下野新聞に載ったので 私も記憶が薄れないうちにと ブログに載せてみました。