こんばんは。
どんどんネタが下ネタに走ってくる今日この頃です。
ところで、人生が辛いとか、苦痛だと思いながら走り続ける人は、自分に対して生真面目でありストイックな面が多く見受けられます。ドMな生活は、わたしも、意外とドMなので、人のことを言えた義理はありませんが、基本的に、Mというのは、SMの世界において、一番気楽なところです。
Sに該当する人は、意外と理性的であり、どうやったら、相手が喜ぶか、どこら辺で手加減しなければならないかをよく見極めて、ムチをふるいますし、放置プレイも行います。ですが、Mの人は、放置プレイ一つに際しても、いつ終わるか、いつどうなるかを知らないため、感受性を敏感にしてその感覚を味わいます。
Sになる人が支配願望が強いのだとしたら、Mの人は、割とわがままな点を持っています。
苦痛を感じるけれど、苦痛を越えた先にある脳内物質に酔いしれるのが、Mであり、苦痛がいつ始まり、いつどんな感覚をもたらし、もっともっと、依存心が高まっていく際に、感じる感覚を十分に味わっていきます。
ところが反対に、Sは、感情の赴くままに、ムチを振るったら、相手が死ぬこともありますし、吊っておいて放置して、相手がぐったりすることもあるのですが、相手は、必ずSの加減を信用しているので、ぐったりしている自分さえも、Sの計算の中であると考え、その計算の中で、自分の感性を解き放し、グッタリするほど激しくても、逆に恍惚となっていきます。
なので、Sに求められる素質は、いつも理性的であり、振るうムチの加減の強弱さえも、相手を喜ばせるような加減です。怒りに任せて行い対面も、Mの相手との間にある信頼を壊すわけにいかないので、必ず、愛にて、コントロールを要求されます。相手が、きつくて困っていても、困っていることさえもが、快楽に変わるように導くのが、Sです。
故に、パワーバランスで絶対的に強いのは、M。わがままと、感性だけで、相手に自分の求めているものを与えるように、無言で要求してきます。
反対に、Sは、M以上のご奉仕精神がないと、中々成り立ちません。そもそも、Sは、自分の思うがままに頑張ったら、相手が死ぬことはわかっています。Mの要求は、だんだんエスカレートしていき、今回は少しの刺激でも、どんどん強い刺激を求めてきます。
そうなると、人体はそれに対し、もちませんので、Mは、結局、愛を求めているのか、単に快楽を貪っているのかどっちかになります。
ちなみに、指名ができる女王様というのは、結局、顧客のMに対する奉仕職であり、愛で結ばれているというSとMは、余程Sが上手にコントロールしないと、Mの精神は、貪欲に依存し、壊れてしまいます。
まぁ、そんなわけで、別にSMが好きなわけでもなく、SMに染まったわけでもないのですが、面白いかといえば、その中で、日常における非日常を見出さなければ、やっていられなかったという深い現実逃避もあります。
愛がなくても生きられるのであれば、愛がなくてもいいのですが、別にねぇ。愛が欲しいと思って得られるようなんだったら、今頃誰も苦労しないわけですし。
その中で、感情のままに怒り狂う人には、女王様になることを勧めます。感情に任せて、やっては、相手が壊れる。相手の欲望を満たし、かつ自分の欲望を満たすには、こんなパワーバランスを考えながら生きていくのも一番でしょう。愛情でフォローできる面と、そうではない面を考えて、依存心の強い人を、どうか支配欲で管理していくのではなく、依存心が強い人と、イーブンイーブンで生きていく道を模索するのが一番でしょう。
甘やかすのは簡単です。自分もいい人になれるし、責められることはありません。でも、それじゃ、人は、壊れるまで愛情を欲しがる依存心の強さを持ちます。
さてこれらを、一言で言うなれば、
「飴とムチ」です。
朋