「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

霊能力を選民意識で捉える理由

2009年02月05日 21時27分00秒 | 銀の風(霊能力・霊視・念力・霊聴・透視)
こんばんは。

精神的なことからみた霊能力を、誰もが持つのではなく、選民意識で考えたい人の心理について書きます。

まず、ひとつは霊感霊媒体質の方が一番悩まれると思うのですが、視る事、聴くこと、降ろすことが出来て、苦労するのは、誰かと言えば、実は霊感霊媒体質本人です。
人格が出来てから授かれればいいものを、下手に私なんかは生まれつきのものですから、能力に振り回されます。そして、振り回され、高熱は出て、やせ衰えて、人からは怖がられ、否定され、無視され、人生の最低ラインを歩く事となります。こんな能力が在るが為に、こんなになってしまった悲しみは筆舌尽くしがたいです。
大体、天然で強い霊感霊媒体質の人は、大体自分に自信等ありません。どうしたら鈍感力で視なくなるのか、どうしたら安眠できるのかそればかり考えます。

そして、ひどい場合には、艱難辛苦立て続けです。家は倒産、リストラ、それどころか、幸せなどどこを探したら在るのか知りたい気持ちになるのもそうですし、三途の川も渡りますし、そりゃ、プログラムで、人格を「強制的に磨かれる」訳です。
家であんのんと、雑誌をめくってせんべいをかじっている暇など普通、こういう人にはありません。家にいれば家に呼ぶので、居場所なんて、「無きにしも非ず」です。

霊感霊媒体質の人の中で、花咲く人がいます。それはこれらの、艱難辛苦を何とか乗り越え、人格をある程度磨いてしまった場合です。その場合、それに至る経歴は、正直に言えば、人が聞いたら「真似しよう」とは絶対に思いません。それ程、振り回され、安定せず、ぐちゃぐちゃです。

その三途の川を渡る事に関して泣き言を言う人がいます。私もそうです。その時、本人は余りに惨めで惨めで、自分のこの能力と引き換えに、「健康」だけを願う人だっています。けれど、艱難辛苦プログラムを選んでしまった人は、どんどんレベルアップするたびに、艱難辛苦度があがります。何故そうなるのか、どうしてそうなるのか、それは、艱難辛苦を超えるたびに、強くなる能力を「正気で保っているため」に、人格者にならざるをえません。故に、「正気」で要るために、何とか自分を奮い立たせようと思う言葉が、

「神に選ばれたからなんだ」

という言い訳でしか自分を慰められないのです。あらゆることが分かり、視え、聞こえ、それでもその場で言わないだけの「正気」を保つには、精神力を磨き、集中力を磨き、また来るであろう土壇場の艱難辛苦を乗り越える気合を養わなくてはなりません。

その道は、惨めで惨めで、辛くて、こんな能力は売ってやるわという人がほとんどです。生まれつき強い人であればあるほど、そのコントロールに四苦八苦です。

私がブログで、霊感霊媒体質の人向けに書くのには理由があります。
ひとつは、どこかに行って、このやるせない思いを何とかしたいと思っても、大体は「餌食」にされて、教団や新興宗教に利用されて、全財産巻き上げられてポイです。それでは、あまりに切ない。だから、まず、無料で自身を何とかする方法をネットに挙げ、そしてその上で、自分の能力に応じて、共存していくしかないという道を提案するために書いたのです。

逃げても逃げられるもんじゃ在りませんし、逃げてもうまい具合に結婚相手の婚家の先祖に見初められたら、それは既にその婚家の霊障も背負うわけです。どうしたらいいのか、本音は誰もが、「捨てたい」でしょう。

私がコントロールに成功したのは、やはり5回も死んで見ると、自分が頑なに守ってきた既成概念を吹っ飛ばされるわけで、私は5回も必要だったんだなとは思います。そうして、バランスよくなるのに、左脳を働かせ、常に生きていくわけで、これを喜んでやる人がいたとしたら、そいつは正しく、「真性のM」ではないかと存じます。

神や仏、故人との会話、サイキック、羨ましいかもしれません。けれど裏には、みな壮絶な苦しみがあって、自分なりのペースでしか、人格は成長しません。それを少しでも手助けするべく、あぁやって書くのです。
自分には自分のやりたい事があるわけです。それを全て邪魔されて、自分は護られる代わりに、相当な苦労をします。人に苦労しているんだと言えない苦労ばかりです。否定され、無視され、外道扱いされ、それで、純粋な余り、生きる望みなど失ってしまう魂もいます。
あまりに人的迫害がひどいのです。

けれど、統合失調症の人はそんな悩みなどありません。まず、その振り回される苦しみをある程度コントロールしてから世に出るのではなく、最初から、振り回されて人格が出来ないうちから、自己顕示欲で大きく騒ぎたてます。力が授かったのおぉぉおぉおおと騒ぎますし、なんだか知らない、プレミアムな神の名前を好んで言いたがりますし、知識も人格も出来ていない分、背水の陣である事は確かです。稚拙な知識で語りますから、説得力はありません。サイコパスは、嘘をつくのがうまいので、この方々は、ぱっと見て判断がつきません。
勿論、後天的に人から得た人も、宣伝と背水の陣バリバリ全開です。能力があるゆえの実生活の迫害を知らないので、大きく勝負に出ます。


艱難辛苦を受けて後天的に受けた人の場合はそうでは在りません。コギトエルゴスム「我思う故に我あり」が吹っ飛ぶわけですから、こりゃ思想の大革命です。
実生活で迫害を受ける人は、決して口を割りません。それか、ほんの少人数に限って宣伝もせず、助けを求めるものを助け、自分の役割をこなします。

元々、霊能力は神に選ばれたと言うよりは、自身が今まで積み重ねてきた人生プログラムの中の過酷なプログラムをいくつもこなし、のっけから、次の人生プログラムに、「更に人格を磨こうかな」という考えで、やってくる人が多いです。神に選ばれたというしか、救いようのない惨めな思いは、神に選ばれたのではなく、自分が選んだシステムを、あなたはこなして、その積み重ねがここまで来ちゃったんだよと言う人なのです。

故に、私はどうも宗教や巫女や、苦行で即身仏になる坊主で在ったりと、そういう道方面が多いです。で、子供の頃から振り回されて、それを落ち着けるのに、まさか5回も三途の川を渡るとは思いませんでしたけれど。帰るのに毎回必死で、般若の形相で帰ってきたかと存じます。

私も差し上げられるものなら、「売りたいです」。
けれど、これは人のそれぞれのプログラムであって、今世からめでたく艱難辛苦プログラムに入る人もいますし、艱難辛苦過ぎて、病院に入る人もいます。悟りすぎると、あの世にお帰りも呼ばれるのが早いです。短命も多いです。

ただ、選民意識を皆が持っているわけではありません。
本当に能力を持つ人は、謙虚で控えめで、己をわきまえています。選民意識など既に捨てて、自分のプログラムを忠実に生きようと思っています。

選民意識を持つ人は、その能力におぼれて、その能力が自分にしかないもんだと思い込んでいます。誰しも、三途の川を渡れば開花するのに、自分だけしか持っていないような口も利きます。けれど、実際は、誰にでもあります。心がパフのところに来たジャッキー少年のように、いつしか大人になって子供の国に行かれなくなってしまっただけで、心がいつもこどもの国に行かれてもそれはそれで困るとは思いますが(笑)。

しかし、時には思ってください。
真に能力を持つ人は、惨めな思いを何度もして挫折感も何度も味わって、夢の中も、現実も、怖くて生きられない人もいます。そしてそれを乗り越えるから、精神力がタフで、クールで、そして、人格者だと呼ばれるのです。その惨めさは、ご飯が三食満足に食べられない人以上の惨めさです。(私もよくありますよ。三食ありついたことなど若い頃もなかったし、今はもっとないですけれど)

本当の能力者は選民意識など持っていません。それは経験上言えます。下手すると、コンプレックスも持ち合わせています。けれど、その能力者を維持するのに、謙虚さと素直さを持ち合わせていないと、更なる次のその人の設定したプログラムが乗り越えられません。

巷では、霊能力は神に選ばれし者と書いてありますが、額面どおり受け取ってはいけません。

みな真剣に悩み、何とか護符や石で守ったり、人格を磨くきつい修行から逃げたいのが、「真実」なのですから。私ですら、そうでしたから。覚悟を決めろって、人格磨く覚悟って相当なもんですよ。巷の霊能者がみんな、人格磨いているかって言ったら、「井の中の蛙」ですから、磨かれていません。

霊感霊媒体質シリーズは無料で読めます。そして、それを読んでなんとかしたら、心眼を磨いてください。どんどん、思いついたら書くつもりでいます。
私のようにどなたかの門を叩いて、受け入れられた筈でしたが、追い出された経歴もありますのでね、こういう問題は結果、自分で解決するしかないのです。

んな、憧れと妄想の世界とは段違い平行棒です。世の中の霊感霊媒体質の人は、ご一緒にがんばりましょう。抜け道があったら、どんどん書きますからね。


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5 Comments

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Unknown (サエコ)
2009-02-06 01:38:13
今日は殊更に気合いが入っておられるな~と思いました。
私は自分が霊媒かとも思いますが、ADHDもあるのでよくわからないです。
仕事、ぜーんぜん覚えられません。
しかしなぜか同僚のおネーちゃんが優しくしてくれるようになりました。
今日は物置で終日作業でしたが、気の毒がって泣きそうになっていました。
私は接客も端末もロクに出来ないのだから、何か仕事を貰ってお給料になればそれでいいと思っているので、「悲しい顔をしないでネー」と言ったら笑ってくれました。
月末にはまとまったお金が入るから、バッチフラワーと定期入れを買って、子をご飯に連れて行って…と、楽しみです。
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追加 (サエコ)
2009-02-06 18:23:15
朋さんのような経験がない人は無邪気に人を踏みにじる事を繰り返します。
それをしごく当然の事と自身のありように疑いも持ちません。
素直に成仏出来ないのはたった葬式のお経で送られるほど、重ねた罪は軽くないって事ではないかと思います。私は、自分が虐待を受けてた事も知らなかったアホですが、少しでもそういう道理をかいま見ると恐ろしい。
私は朋さんと違い自分の前世とかをわかりませんし、よっぽど悪い事をしたからこんなに苦しいのだと思ったです。
でも、それを過ぎて見ると、人を踏みにじる行為は少なくなってきたように思います。
それだけでも、死ぬか狂うかという思いを経験して良かったんだなと思えます。
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コメントありがとうございます ()
2009-02-06 21:57:04
サエコさん

私も思いましたよ。若い頃、よっぽどひどい事をしてきた地獄を今見ているのではないかとかね。
何度も何度も人に踏みにじられて、そして気がつきました。凄く長くかかりました。

踏みにじる理由は、私が前に出るから、僻まれるのだと。自分にはコンプレックスの歴史でも、人にはそうは映らない。友人をみな失って、父を亡くして、移り住んだNYは私にとっては寒い場所でした。しかし、暖かくなりました。

素直に成仏できないのは、それだけではないのですよ。誤解を解く暇がないまま、逝ってしまうとね、未練が残るのです。言っておけばよかった、強がらなければよかった、そんな未練が残るのです。死者がもっと、生きる者と話す手段がなければ、もっと世の中上がる人が少なかったと思います。

サエコさんは、いつも純粋で、それ故私はあなたは護られているんだと思います。どんな狂気の最中でも生き残ってこうして出会えたんですものね。あなたに会えてよかったです。私もまだまだ、死ぬような苦しみはあるんですが、生き抜いて、話し続けて生きたいですね。心からありがとう。

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Unknown (Unknown)
2020-05-13 18:00:32
同じような苦しみを経験しても、
持つ人と持たない人がいるのはなぜでしょうか?
能力そのものは経験に全く関係ないと思いますけど
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コメントありがとうございます ()
2020-05-20 14:28:05
名無しさん

それは、その苦しみに対する個々の心の比重の違いじゃないですか?

ただ、傷を負っていてどこで噴出するのかも、これまた、
個々の違いですが。

コメントありがとうございます。
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