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こんばんは。
短く書いておきますと、天才とキチガイは、紙一重でございます。
私、今までの人生に関して、企画してやっちまったことって結構ありまして、企画力も最たるものなれば、実行力もあるんですね。普通の誇大妄想さんは、企画力はあるんですが、実行力がない。だからこそ、自身が認められないと、世間に関して不満を持つのですが、私は、実際にやり遂げてしまって、廃人同様に疲れるわけで、まぁ、世の中に、何かリリースするのなら、それはそれなりに、締切日まで、結構忙しいものなんですよ。
ただ、通常の状態で、ドーパミンが出る人だと、これを難なくこなすのですが、普通は、ここまで出てくるまでに、自分の人生の中でかなり振り回されて、いい感じに実行力を持たなくなってしまいます。私も私の父も、企画力があって、実行力があった。父を見て育っていますしね、実母の鬼才なる絵画へのオマージュを見て育っていますから、ドーパミンが出た時に、どう処理をしたらいいかということには、思い当たることってのが、生活環境の中に普通にあったんですよ。
企画力によるひらめきがほしいと思う人も多いし、自分の企画を実行できないので、実行力を求める人もいる。
だけれど、なんか忘れているんじゃないの?元々こういうモノは、地道な努力でしょ。
うちの母親、花ショウブを描いていた頃なんてね。花ショウブの葉っぱ一つだけで、気が遠くなる程の紙に練習を重ねて、重ねて重ねて、そのなかで、気合一発で描くのね。だから、真剣に道場に通って通って通い倒した人の、精神力は、こういうドーパミンをコントロールするのですよ。集中力にてドーパミンが出るけれど、精神力で抑えていかなくちゃ。
通常、私の生活も、忍耐ばかりが先に咲いて、ひらめきなんて、真夜中だったりする。
けれど、翌日には翌日の生活が待つから、キーワードを、自分でメモしておくのね。そうすると、翌日の調べ物ももっと、上手にうまく行く。けれど、そのときその時の神がかりのような検索履歴を見ていると、こりゃ、ほんと、ドーパミンで冷えたんだなって思うこと多いかな。
天才的な事をしてのける自分もあるけれど、やっぱり、キチガイ同様の時もある。
自分でそれを認めないと、ろくな事はない。世の中、やってのける人には、どこかに倫理観がルーズなもの。そして、どこかで、社会概念がルーズなもの。だからこそ、アーティストやクリエイターには、異常に狂える場があった方が言いと思ったりする。昔ほど緩やかな倫理観だったら、やっぱ、作家は強いものが書ける。だけれど、今のようなコチコチの倫理観があると、流石にね。クリエイターの質も下がるかな。
まぁ、それどうよってクリエイターや、アーティストが多いけれど、大概は、地に足が着かない生活の中で、自分を最大限、狂わせて、躍らせて、煽らせて、究極の境地に引っ張ることができる人が好ましいわけで、もう少し、バックにつく人が、寛容ならなって思うクリエイターは多いわな。
だけれど、キチガイになっていい覚悟で繰り広げるライターさんや、クリエイターさんの作品は、見ててほんと面白い。
昨今は、それをうるさく言うから、ちょっと感動する話が少ないな。天才とキチガイは紙一重。
私も時々、自分で秀逸だわって思うような文を書くけれど、人の心をゆする話って、どうも、私が思う秀逸とは違うみたいなのね。ちょっと、やっぱ、感覚ずれてんだわ、私(笑)。
でも、プレゼンで、人の心を掴むのは凄く得意だし、人前で話をして、人を和ませる話術も得意。んじゃ、それどうやったら、身につくのかって言われたらこう答えると思うのですよ。
「全力で人生を生きて、どんな細かい事でも、どんな些細と思われることでも、見て聞き、それでも知らぬことを頭を下げて学ににいくだけの度量をおのれにもてってね。知りたい事が出てきた時点で、既にひらめきは始まっている。」ってね。
朋