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露骨な民族・反日主義、新自由主義経済を進めた盧武鉉時代末期にニューライトが公然化した。そのはてに金大中、盧武鉉10年の左派政権が終わり、保守系ハンナラ党・李明博大統領に替わった。韓国で多様な議論が出て、日本でもそれを知って、あたらしい「日韓」につないでいく素地ができていった。
白か黒か、どっちが「悪」か。
かつて日韓で歴史問題が話題になると、決まって行き着く先はこういう「二分法」だった。学者か、運動家か、ジャーナリストかその立場、職がわからないほど。国家・民族を背負ってしまう光景。国交がない期間が長かったために一部が日韓通といわれたこういう「特殊な分野」をつくり、それに対立する「二分されたもう一つ」がつくられたようだ。
韓国人なのか日本人なのか、韓国人になりたいのか。そういう日本の「良心派」と韓国典型の「民族派」学者──知識人がもたれあう。自己肯定派(韓国)と自己否定派(日本)の奇妙な同調・野合が起こった(鄭大均氏所論など)。日本の民族派は戦後50年あたりから、「嫌韓」派として表面化する。それらに両国政治家が乗る構図。
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=東京で商売をする韓国人が私的に「高麗博物館」設置=
軍事政権の韓国をあしざまに言い、「平壌」好きを隠すどころか誇った手合い。韓国と通じて「韓国ロビー」でうまくやる政治家。韓国は存在すら認めない政党。そして集団拉致ともいわれる「帰国運動」が「北=楽園」宣伝によって行われ、だれも責任を問わない。そうしたイデオロギー的偏見で色分けした、古い「日韓親善時代」は、いまや21世紀型に変わろうとしている。社会、文化、スポーツなどの共感場面が増えたのと大規模な若い人たちの接触によって──。2009年、日韓は相互に460万人以上が往来した。ことし10年上半期も韓国からの入国者は前年比70%も増えている(昨年の新型インフルエンザ騒ぎでの落ち込みの反動もある)。
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=パチンコ台になった韓国ドラマ「天国の階段」=
奇妙きてれつな日韓既成の関係者がリード、ミスリードした風景が急速に変わってきた。韓国の中でも白黒、二分法批判が出る時代になっている。
ちょっと前だからこその、「朝鮮日報」記事をひろって載せておきたい。▽
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=羽田空港ー金浦空港便は盛況。2009年夏の午後、学生たちを迎えに羽田へ=
──引用──
朝鮮日報 : 2007/05/06 17:10:58
過去史清算:親日・反日の二分法からの脱却を
過去史は果たして一方的な清算の対象になり得るのだろうか。植民地時代を評価する二分法的裁断は、歴史の総体的真実とは異なる方向に進むのではないだろうか。
仁川文化財団(崔元植〈チェ・ウォンシク〉代表理事)が最近出版した隔月刊の文化批評誌『プラットフォーム』5・6月号は、特集「未来に進む過去の見方」を通じ、このデリケートな問題にアプローチした。民族主義的な親日・反日の議論は、それ自体が様々な限界を持っており、こうした二分法的歴史観こそが今や克服すべき対象になっているという主張だ。
植民地問題を研究してきた少壮学者の尹大石(ユン・デソク)博士(仁荷大BK21事業団)は、寄稿文「親日清算の意味と限界」で、昨年12月に親日反民族真相究明委員会が発行した第1次報告書の限界について指摘した。
尹大石博士は「この報告書は、1910年前後の親日行為者に対する“人的清算”に集中しているが、われわれが重視すべき親日問題の核心は、彼らが近代の重要な要素である植民主義思想を内面化し、それを流布させる思想的確信を帯びていたという点」と主張した。
尹大石博士は、この報告書の「親日派清算論」は「民族」と「近代(開発主義)」を肯定しつつも、「我が民族の植民地化」だけを問題にしていると指摘する。また、過去史清算論者らが語る「民族精気の回復」が、世界史的植民主義清算ではなく親日清算だけにとどまるならば、他者を排除する死の宴になるだろうと主張した。
*韓国芸術総合学校の許英翰(ホ・ヨンハン)音楽院教授の「安益泰(アン・イクテ)、二分法を超えて」。
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=2001年8月、靖国神社小泉参拝に抗議し官邸近くで座り込む韓國遺族会
彼らが最近発刊した『韓国の神を祭る日本の神社』という題の研究書によれば、古代朝鮮半島からの渡来人たちは、日本に定着し、故郷での慣習のどおり祭壇を建て、先祖神と豊年を祈る祭祀を定期的に催した。
これに伴い、朝鮮半島系統の神社が日本列島に生じるようになった。西暦927年に完成された日本古代の律令集である『延喜式』(50冊)の 9~10冊の神名帳には、当時の全国2,861の主要な神社と祭神が記録されているが、この中の相当数が朝鮮半島からの渡来系の神社と推定された。
代表的なものとして、埼玉県の「高麗神社」が挙げられる。この神社は、古代日本で「高句麗」を「高麗」と表記し、「コマ」と読んだという事実から、朝鮮半島からの渡来系の神社であることが容易に確認される。特に、この神社が位置した今の埼玉県の日高市は、西暦716年に高句麗系の渡来人が起こした高麗郡が設置された所だ。
大阪府の飛鳥戸(アスカベ)神社は、百済(ペクチェ)系の飛鳥戸造(アスカベノミヤコ)一族の先祖神である「飛鳥大神」を祭っている。「飛鳥大神」は百済の崑枝(コンジ)王だ。
四国地域の徳島県には、「新羅神社」がある。この神社は、扁額に「新羅神社」と明記されており、現地の人たちも「シンラジンジャ」と呼んでいる。特にこの神社は、代表的な新羅の神で「牛頭(ウドゥ)天皇」として知られる素盞烏尊(スサノオノミコト)という神を祭っている。
日本の神社を管掌する「神社本庁」によれば、現在日本列島には八万七千余の神社がある。登録してない神社まで合わせれば、十万余カ所を上回るものと推測される。これは19世紀の後半に、明治政府が「神仏分離」政策で神社を大挙整理する以前に比して、半分程度に減ったものだ。
神仏分離政策で神社と共存していた仏教寺院と仏教的色彩は、徹底して神社と分離された。この政策は、徳川幕府以後、国学中心の固有な神道の再解釈に続き、国体を打ち出した皇道主義と絡み合いながら、結局「靖国」のような軍国主義の国家神道を生むに至った。
辛鍾遠教授は、今回の研究の収穫は、日本全国に散在した多数の神社が、古代朝鮮半島に起源があることを、目で確認したこと」だとし、「靖国神社によって関心が大きくなった日本の神社に関する、新しい理解に役に立つことを望む」と語った。
白か黒か、どっちが「悪」か。
かつて日韓で歴史問題が話題になると、決まって行き着く先はこういう「二分法」だった。学者か、運動家か、ジャーナリストかその立場、職がわからないほど。国家・民族を背負ってしまう光景。国交がない期間が長かったために一部が日韓通といわれたこういう「特殊な分野」をつくり、それに対立する「二分されたもう一つ」がつくられたようだ。
韓国人なのか日本人なのか、韓国人になりたいのか。そういう日本の「良心派」と韓国典型の「民族派」学者──知識人がもたれあう。自己肯定派(韓国)と自己否定派(日本)の奇妙な同調・野合が起こった(鄭大均氏所論など)。日本の民族派は戦後50年あたりから、「嫌韓」派として表面化する。それらに両国政治家が乗る構図。
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=東京で商売をする韓国人が私的に「高麗博物館」設置=
軍事政権の韓国をあしざまに言い、「平壌」好きを隠すどころか誇った手合い。韓国と通じて「韓国ロビー」でうまくやる政治家。韓国は存在すら認めない政党。そして集団拉致ともいわれる「帰国運動」が「北=楽園」宣伝によって行われ、だれも責任を問わない。そうしたイデオロギー的偏見で色分けした、古い「日韓親善時代」は、いまや21世紀型に変わろうとしている。社会、文化、スポーツなどの共感場面が増えたのと大規模な若い人たちの接触によって──。2009年、日韓は相互に460万人以上が往来した。ことし10年上半期も韓国からの入国者は前年比70%も増えている(昨年の新型インフルエンザ騒ぎでの落ち込みの反動もある)。
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=パチンコ台になった韓国ドラマ「天国の階段」=
奇妙きてれつな日韓既成の関係者がリード、ミスリードした風景が急速に変わってきた。韓国の中でも白黒、二分法批判が出る時代になっている。
ちょっと前だからこその、「朝鮮日報」記事をひろって載せておきたい。▽
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=羽田空港ー金浦空港便は盛況。2009年夏の午後、学生たちを迎えに羽田へ=
──引用──
朝鮮日報 : 2007/05/06 17:10:58
過去史清算:親日・反日の二分法からの脱却を
過去史は果たして一方的な清算の対象になり得るのだろうか。植民地時代を評価する二分法的裁断は、歴史の総体的真実とは異なる方向に進むのではないだろうか。
仁川文化財団(崔元植〈チェ・ウォンシク〉代表理事)が最近出版した隔月刊の文化批評誌『プラットフォーム』5・6月号は、特集「未来に進む過去の見方」を通じ、このデリケートな問題にアプローチした。民族主義的な親日・反日の議論は、それ自体が様々な限界を持っており、こうした二分法的歴史観こそが今や克服すべき対象になっているという主張だ。
植民地問題を研究してきた少壮学者の尹大石(ユン・デソク)博士(仁荷大BK21事業団)は、寄稿文「親日清算の意味と限界」で、昨年12月に親日反民族真相究明委員会が発行した第1次報告書の限界について指摘した。
尹大石博士は「この報告書は、1910年前後の親日行為者に対する“人的清算”に集中しているが、われわれが重視すべき親日問題の核心は、彼らが近代の重要な要素である植民主義思想を内面化し、それを流布させる思想的確信を帯びていたという点」と主張した。
尹大石博士は、この報告書の「親日派清算論」は「民族」と「近代(開発主義)」を肯定しつつも、「我が民族の植民地化」だけを問題にしていると指摘する。また、過去史清算論者らが語る「民族精気の回復」が、世界史的植民主義清算ではなく親日清算だけにとどまるならば、他者を排除する死の宴になるだろうと主張した。
*韓国芸術総合学校の許英翰(ホ・ヨンハン)音楽院教授の「安益泰(アン・イクテ)、二分法を超えて」。
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=2001年8月、靖国神社小泉参拝に抗議し官邸近くで座り込む韓國遺族会
彼らが最近発刊した『韓国の神を祭る日本の神社』という題の研究書によれば、古代朝鮮半島からの渡来人たちは、日本に定着し、故郷での慣習のどおり祭壇を建て、先祖神と豊年を祈る祭祀を定期的に催した。
これに伴い、朝鮮半島系統の神社が日本列島に生じるようになった。西暦927年に完成された日本古代の律令集である『延喜式』(50冊)の 9~10冊の神名帳には、当時の全国2,861の主要な神社と祭神が記録されているが、この中の相当数が朝鮮半島からの渡来系の神社と推定された。
代表的なものとして、埼玉県の「高麗神社」が挙げられる。この神社は、古代日本で「高句麗」を「高麗」と表記し、「コマ」と読んだという事実から、朝鮮半島からの渡来系の神社であることが容易に確認される。特に、この神社が位置した今の埼玉県の日高市は、西暦716年に高句麗系の渡来人が起こした高麗郡が設置された所だ。
大阪府の飛鳥戸(アスカベ)神社は、百済(ペクチェ)系の飛鳥戸造(アスカベノミヤコ)一族の先祖神である「飛鳥大神」を祭っている。「飛鳥大神」は百済の崑枝(コンジ)王だ。
四国地域の徳島県には、「新羅神社」がある。この神社は、扁額に「新羅神社」と明記されており、現地の人たちも「シンラジンジャ」と呼んでいる。特にこの神社は、代表的な新羅の神で「牛頭(ウドゥ)天皇」として知られる素盞烏尊(スサノオノミコト)という神を祭っている。
日本の神社を管掌する「神社本庁」によれば、現在日本列島には八万七千余の神社がある。登録してない神社まで合わせれば、十万余カ所を上回るものと推測される。これは19世紀の後半に、明治政府が「神仏分離」政策で神社を大挙整理する以前に比して、半分程度に減ったものだ。
神仏分離政策で神社と共存していた仏教寺院と仏教的色彩は、徹底して神社と分離された。この政策は、徳川幕府以後、国学中心の固有な神道の再解釈に続き、国体を打ち出した皇道主義と絡み合いながら、結局「靖国」のような軍国主義の国家神道を生むに至った。
辛鍾遠教授は、今回の研究の収穫は、日本全国に散在した多数の神社が、古代朝鮮半島に起源があることを、目で確認したこと」だとし、「靖国神社によって関心が大きくなった日本の神社に関する、新しい理解に役に立つことを望む」と語った。
──報道引用──
ニューライト系の「新歴史教科書」出版
朝鮮日報 2008/03/24 14:39:48
民族史観から脱却、現行教科書と大きな違い
現行の歴史教科書の過度に理念的な傾向を正すという目的で、2005年にニューライト系の知識人たちが発足させた「教科書フォーラム」(共同代表:朴孝鍾〈パク・ヒョジョン〉ソウル大教授、李栄薫〈イ・ヨンフン〉ソウル大教授、車相哲〈チャ・サンチョル〉忠南大教授)が、3年間にわたる新たな歴史教科書の執筆活動を終え、『韓国近・現代史』(カパラン社刊)を23日に出版した。
執筆者たちは「民族主義史観や分断体制論に立脚し、大韓民国の歴史的な意味を矮小(わいしょう)化した現行教科書の問題点を改めるため、この本を出版することにした」と話している。この本がすぐに教科書として採択されることはないが、同フォーラムは2010年に現在の歴史教科書が改訂されるまで、教育現場で補助教材として使われることで、教育科学部の教科書編集に関する指針案に影響を与えることを期待している。
ニューライト系の知識人たちの歴史観の集大成と言えるこの教科書は、▲韓国の現代史において、大韓民国の正統性を守り、▲韓国史の主体を「韓民族(朝鮮民族)」ではなく「韓国人」とすることで民族主義と距離を置き、▲日本の植民地時代に、強圧的な統治と同時に経済開発もあったことを認める、という観点に基づいて記述されている。
この本の執筆陣には、ソウル大経済学部の李栄薫教授、成均館大政治外交学科のキム・イリョン教授、誠信女子大政治外交学科のキム・ヨンホ教授、ナラ政策研究院のキム・クァンドン院長、ソウル大環境大学院のチョン・サンイン教授、同大倫理教育学科の朴孝鍾教授など12人が名を連ねている。 06年に試案を公開した際には、1960年の4・19革命(不正選挙の結果を不服とした民衆デモにより、当時の李承晩〈イ・スンマン〉大統領が下野した事件)を「学生運動」、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領が政権を奪取した61年の5・16軍事クーデターを「革命」と表現したことで乱闘騒ぎにまで発展したが、今回発表された最終版ではそれぞれ「民主革命」「クーデター」に修正された。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者