日韓往来 [Journal Korea]

いま・ここ・実感から=はらだブログ
「現在──過去・未来」

韓国のベトナムセールス外交と参戦・敵対の歴史、謝罪は? 対日言動と矛盾は?

2013-09-15 22:00:51 | 戦後・「慰安婦」問題◆

 ベトナム戦争と韓国(参戦)に関心がある。
下の記事は、理解がむずかしい。なにか、歴史や心性のちがいが阻害? 対日言動との矛盾回避・整合性? 
新聞・記者は何をいいたい? いろんな配慮は「核心」をはずしてしまう。
「経済外交」に「歴史認識」をくっつけていわなきゃいけな いのがつらい。父、その時代とかいうのはおかしい。韓国派遣軍がベトナム解放戦線・北越(ホーチミン)を敵にして戦った。米・南越・韓側は北に制された。 ──これは「歴史認識」として間違い? 
経済のためにはホーチミン廟にも。そうすると、記事にあるように、ベトナム戦争の韓国兵士の死は、何の犠牲になるのか?

──報道引用──


朴槿恵大統領、ベトナムで父の時代の歴史の結び目をほどく(1)
2013
09100851
[
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

  黒いジャケットに黒いスカート、黒い靴の朴槿恵(パク・クネ)大統領が9日、ベトナム建国の父ホー・チ・ミン元国家主席の廟の前に立った。これに先立ちベトナムの儀仗隊が黄色い花で装飾された弔花を廟の前に置いた。弔花にはハングルとベトナム語で「大韓民国大統領朴槿恵」と書かれた真っ赤なリボンがかけられ、朴大統領は弔花の前に近付き腰を90度近く曲げリボンの端を弔花に付けた。ベトナム式の献花儀礼に従ったものだ。それから父親の朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領にとっては敵軍のトップだったホー・チ・ミン元主席の遺体が安置された廟に入り黙礼した。廟の中でも外でも朴大統領の表情は厳粛だった。言葉はただの一言も発しなかった。青瓦台(チョンワデ、大統領府)関係者は朴大統領の「厳粛な沈黙」に対しこのように説明した。

  「言葉はさまざまな面で政治的解釈を生む。ベトナムの人々は韓国にベトナム戦争に対する話を一切しない。朴大統領の献花と参拝は行動で見せたそれ自体が強い和解のジェスチャーだ」。

  実際に1992年に国交を正常化する時もベトナムは過去の問題を取り上げなかった。

  しかし朴大統領は執権以前には立場が違った。朴大統領はハンナラ党副総裁時代の2001年、当時の金大中(キム・デジュン)大統領がチャン・ドゥック・ルオン国家主席との首脳会談で、「心ならずもベトナム国民に苦痛を与えたことに対し申し訳なく考える」とし韓国大統領として初めて謝罪をすると反論声明を出した。朴大統領は、「大統領の歴史認識に大きく懸念せざるを得ず、参戦勇士らの名誉をこのように傷つけてもいいのか尋ねずにはいられない。(この発言は)韓国戦争参戦16カ国首脳が金正日(キム・ジョンイル)総書記に『不幸な戦争に参加し北朝鮮国民に苦痛を抱かせたことに対し謝罪する』と言うのと同じとんでもないことだ」と反発した。その後も顕忠日などでベトナム戦争参戦勇士に対する激励はほとんど欠かさなかった。

  そんな朴大統領だったためこの日の献花と参拝、そして黙言は意味があるという評価だ。

  ベトナム戦争で絡まった両国の過去を整理し、現在、未来を見ようというメッセージだと青瓦台関係者は強調した。日本に対する圧迫の意味もある。韓国政府高官は、「過去に対する韓国とベトナムの成熟した立場と誤った歴史認識に閉じ込められている日本と自然に比較されないか」とした。朴大統領はホー・チ・ミン廟参拝後にチュオン・タン・サン国家主席と会談した。会談後にはホー・チ・ミン元主席が1945年に独立闘争を始めた時から使っていた小さな木の机とベッド、本と時計などが保存されている家も視察した。


朴槿恵大統領、ベトナムで父の時代の歴史の結び目をほどく(2)
2013
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[
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

ベトナム主席、ホー・チ・ミンの家に外国首脳を初めてエスコート

 
韓国の歴代大統領のうち1996年にベトナムを初めて公式訪問した金泳三(キム・ヨンサム)元大統領は過去の歴史に対する言及はもちろんホー・チ・ミン廟の参拝もしなかった。金大中元大統領も廟の参拝だけした。盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領は「韓国の国民に心の負い目がある」として遺体が安置された廟に入り黙祷した。しかし家までは訪問しなかった。李明博(イ・ミョンバク)前大統領も廟まで参拝した。

  朴大統領の廟への献花にベトナムもこたえた。チュオン・タン・サン主席は首脳会談後に朴大統領をホー・チ・ミン元主席の家まで直接エスコートした。ベトナム主席が外国首脳を直接エスコートしてホー・チ・ミン元主席の家を訪れたのは今回が初めてという。廟参拝の前日に朴大統領は両国の企業関係者と会い、ホー・チ・ミン元首席に対しこのように言及した。

  「ベトナムの国父ホー・チ・ミン主席は『変わらずをもって万変に応ず』という座右の銘を持っていたと承知している。韓国とベトナムの友情と信頼が変わらなければどのような変化と挑戦にも十分にともに対応していくことができる」。

◆ハンギョレ
[
社説]日本に歴史直視訴え、ベトナムにはだんまりの矛盾
登録 : 2013.09.10 00:50 修正 : 2013.09.10 06:09

 朴槿恵大統領がベトナムを国賓として訪問している。7日から11日まで何と45日の長い日程だ。ベトナムは米国、中国、そして主要20ヶ国首脳会議が開かれたロシアに続き、朴大統領が就任以後に訪問した4番目の国だ。朴大統領が周辺4強国の他にベトナムをいかに戦略的に重視しているか察することができる。

 我が国とベトナムは1992年の修交以来、政治・経済・文化など多方面にわたって緊密な協力関係にある。金泳三大統領が1996年大統領として初めて訪問して以来、金大中,盧武鉉,李明博ら歴代大統領は在任中に全員がベトナムを訪問した。両国を規定する関係も、中国、ロシアに続き三番目に2009年に‘戦略的協力パートナー’に格上げされた。我が国の男性と結婚したベトナム女性の数も現在39000人余りで、中国に続き二番目に多い。このような状況でなされた朴大統領の国賓訪問は両国の協力と絆を一層強化する契機になるだろう。

 だが我が国とベトナムの間には‘大きな宿題’が残っているのも事実だ。まさに我が軍のベトナム戦参戦と市民虐殺問題だ。ベトナム政府が修交して、‘戦勝国として謝罪を受ける必要はない’という姿勢を示したものの、それですべてが済んだわけではない。戦争当時、激戦地だった中部地域のあちこちに韓国軍憎悪の慰霊碑がまだ並び立っているという事実がそのことに対するしこりが残っていることを示している。我が国と日本が1965年に結んだ請求権協定がまだ過去の歴史のあつれきを解消できずにいることと同様だ。

  こうした事情のために金大中大統領は就任中にベトナムを訪ねてホーチミン墓地に献花し、首脳会談で「ベトナム国民に心ならずも苦痛を負わせて申し訳なく思う」と謝ったし、盧大統領はホーチミン墓地を献花・参拝して「韓国民には心の負債がある」と一層謝意を高めた。しかし保守指向の李大統領は献花だけして「ベトナムが逆境とつらい過去を乗り越えて未来に向かっていることに敬意を表わす」と話すにとどまった。

 朴大統領は9日午前、ホーチミン墓地に献花だけして何の言及もしなかった。そして首脳会談では原発輸出と自由貿易協定締結などのセールス外交にだけ注力した。あえて相手から要求もされていないのに謝罪を繰り返す必要があるかとの意見もあるが、これは私たちが日本に歴史直視を要求していることと矛盾する。自分が受けた被害は是正を要求しながら、自分が負わせた加害は知らんふりする態度ではどこの誰からも本心からは信頼を得られない。

韓国語原文入力:2013/09/09 18:33



オピニオン 東亜日報
[
東京小考] 「8.15」のすれ違いと接点
AUGUST 22, 2013 23:48
若宮啓文(元朝日新聞)
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8月15日の光復節に朴槿恵大統領が演説するのをテレビで見ながら、オヤッと思った。日本に「過去を直視して」と求める一方で、こう語ったからだ。

「私は、大多数の日本国民は、韓日両国が北東アジアの平和と繁栄を共に作っていくことを念願していると信じています。すでに両国民の間では信頼のすそ野は広く、若者や大勢の人が韓流や互いの文化を共有し、近づいています」

その通りだ。ソウルに滞在中の私は、西江大の韓国語教育院を一昨日卒業したが、そこでは若い日本人の女性があふれている。わがクラスからも、私の娘のような日本人が5人巣立って行った。

例えばアヤコさんはカナダで知り合った韓国人と親友になったのがきっかけで、名古屋の会社を辞めて留学にきた。これから日韓にまたがる仕事を探すという。韓服で卒業式に臨んだエリコさんは、もともと東京の芸能プロに勤めていた。日韓の混成グループをつくって海外に売り出すのが夢で、次は英語を身に着けようとフィリピンに向かう。そして、家族ぐるみの韓流ファンというリホさんは、大阪の大学に戻って韓国語の教師をめざす。

一方、ソウルの書店には村上春樹の新刊小説が山と積まれている。アニメや漫画はもちろんのこと、女性の間では日本のファッションブームが静かに進行中だ。先日、用事があって札幌に飛んだときは、空港でゴルフバッグを預ける韓国人客でいっぱいなのに驚いた。

朴大統領が「両国民のすそ野は広い」と言うのは、そんな現実を知ればこそに違いなく、「政治が国民たちのこうした思いに従うことができず、過去へと戻るなら、新たな未来を見ることはできないでしょう」と言葉を続けた。日本への注文だけでなく、自省の気持ちも少し込められていたのではないか。

同じ日、東京で開かれた全国戦没者追悼式での安倍晋三首相の式辞は、それに応えるものとはならなかった。アジアの犠牲者たちに対する反省や哀悼の意を口にしなかったからだ。国内向けの追悼式だとはいえ、過去20年にわたって多くの首相が触れてきた言葉を避けたのはいかにも残念だ。植民地支配と侵略を謝罪した95年の「村山首相談話」もいずれ塗り替えるのだろうと、韓国が警戒するのも無理はない。

だが、日本に向けてブーイングを浴びせる韓国の方々にも訴えたい。「村山談話を変えるな」という一方で、「日本政府はいまだに反省も謝罪もしていない」というような言説がなぜまかり通るのか。慰安婦問題に謝罪した93年の河野官房長官の談話を「変えるな」という一方で、日本政府がこの問題を一貫して拒んできたかのようなことを、なぜ声高に叫ぶのか。

韓国でなかなか受け入れられなかったにせよ、日本政府がかつてアジア女性基金をつくり、寄付を集めて「償い金」を渡す事業を進めたのは事実だ。歴代4人の首相が「お詫びの手紙」を添え、これを受け取ったハルモニも少なくはない。事業の先頭に立ったのは、ほかでもない村山氏や河野氏だった。こうした事実を無視するような一方的な批判が、せっかくの村山談話や河野談話を苦境に追い込む一因にもなっている。

さて、日韓関係を両首脳はどうすればいいか。朴大統領の自叙伝に興味深い事実が書かれているのを思い出した。母を亡くした彼女がファーストレディー役をしていた1979年、ソウルを訪れたカーター米大統領が在韓米軍の撤収を求めて朴正煕大統領と激論になり、険悪な関係に陥ってしまった時のことだ。

ロザリン夫人の相手をした彼女は、カーター氏の好きなジョギングを話題にしつつ「健康な人にはとてもいいが、手術したばかりの人にはよくない」と話を向けた。朝鮮戦争の傷がなお癒えず、大きな脅威にもさらされている中で米軍を撤収するのは病人にジョギングをさせるようなものだと、韓国の実情を訴えたのだ。これがカーター氏に伝わって一気に空気が変わり、撤収問題は白紙に戻ったという。

いまの日韓関係をほぐすには、こういう機転と知恵がほしい。相手を揺り動かす言葉の力がほしい。惜しまれるのは、いま両首脳の間に、かつての「槿恵お嬢さん」がいないことかも知れない。

8月15日、両首脳の言葉はすれ違った。だが、ひたすら自国民の尊い犠牲や努力を称えた二人の口からは、実は二つの同じキーワードが発せられていた。

朴大統領は「自由民主主義」こそ建国以来の核心的な価値だといい、「平和」という言葉を繰り返した。安倍首相も「自由と民主主義」を尊んで平和の道を進んできたと言い、「世界の恒久平和」に尽くすと力を込めた。

接点は確実にある。そこを手掛かりにするしかないではないか。

(若宮啓文・日本国際交流センターシニアフェロー、前朝日新聞主筆)


 



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