「日本一低い山」の1つである、天保山の頂を極めん!と、大阪港を訪れました。
今日では天保山公園として整備されている敷地の一角に、ひっそりと佇む「山頂」をあっという間に制覇した、文字どおり「束の間」の「登山」でした^^
<天保山>
大阪市営地下鉄中央線の大阪港駅から徒歩で約10分弱、天保山公園の入口です。
休日を過ごそうと訪れた、たくさんの家族連れ等で賑わっていた「海遊館」のすぐ東に隣接しています。
この日の「登山」は、ここからスタート!
「山に登る」なんてイベントを敢行しようなんて気になったのは、実に高校生であった頃以来になります(遠い目)…。
地元の、天保山商店会等が立てたと思しき案内看板も、公園の入口にありました。
「登山者」が遭難しないようにw、「登山道」を分かりやすく記載してあります。
この看板によれば、私が「登攀」に利用したのは、天保山の山頂まで160mで到達する「西ルート」であったようです。
「登攀」を開始してから1分するかしないかのうちに、西ルートは、広場のような場所へと至りました。
広場には、明治天皇が明治元年(1868年)3月26日に日本で最初の観閲式を行なうためにこの地へ行幸したことを記念する、大きな碑が建ち、広場のほぼ頭上には、阪神高速道路湾岸線の天保山大橋が架かっています。
ここにも、案内看板が。
どうやら、この広場が天保山頂らしいです。
先程の、巨大な明治天皇行幸碑の足元近く、天保山公園の一番奥まったような場所にひっそりと佇んでいた、天保山山頂の標識。
すぐ背後はもう、旧淀川河口部である、安治川(あじがわ)となっています。
天保山山頂にある、三角測量で使用する三角点の標石。
この三角点は、二等三角点です。
現在の天保山の標高は、標識にあるとおり4.53m。
天保山は平成5年(1993年)に山名が国土地理院発行の地形図より抹消されてしまいましたが、平成8年(1996年)7月に再掲載、それ以来「日本一低い山」の座を守ってきました。
その後、平成26年(2014年)4月に国土地理院が、平成23年(2011年)3月の東日本大震災による津波により被害を受けた仙台市の日和山(ひよりやま)の標高を被災前の6mから3mと認定、地形図に記載したことにより、天保山は「地形図に山名の記載がある山」としては「日本一低い山」の座を日和山へ明け渡しましたが、この二等三角点のある山としては、なお日本一低い山の座を保っています。
画像左端の、明治天皇行幸碑の足元近くにある、天保山山頂の標識と三角点標石がある山頂標識の前の四角いスペースがお分かりでしょうか。
このように、天保山の周囲には、天保山よりも遙かに高い建造物が天保山を取り囲んでいます!
元々、天保山は江戸時代後期の天保年間(1830年代頃)に行なわれた、安治川等の浚渫に伴う土砂を積み上げてできた築山で、当初の標高は20m程であったとのこと。
夜間の船の航行のために灯籠を設けたり、遊興のための施設も設けられる等、当時の大坂でも名高い行楽スポットとなっていたようです。
その後幕末になり、外国船からの大坂警護のために天保山に砲台を築くのに合わせて山を削り、明治時代には標高は7.2mにまで減じ、更に戦後には地下水の汲み上げによる地盤沈下で平成5年(1993年)に標高4.53mとなり、現在に至っています。
遭難することなく無事に「下山」を果たしw、公園を出てすぐの所にある、天保山バス停から大阪市バスで梅田へ向かいました。
バス停へ向かう前に、こちらの「お菓子工房 ドルチェ」で、天保山の登頂証明書(無料)をいただきました♪
もちろん、登頂証明書をいただくだけでなく、店内のケーキ類に誘惑されw、フィナンシェやレモンケーキ等数点を購入。
地元の方向けといった風で気取らない気さくな雰囲気の洋菓子屋さんの、風味豊かなお菓子を美味しくいただきました(撮影し忘れていたのに気付いたのは食べ終えた後でした)!
天保山の登頂証明書。
証明書の右側の部分は、切り離すと絵はがきとなる仕様で、実に大阪らしいつくりとなっています(^-^)
案内標識にも、登頂証明書を天保山商店会加盟店で発行する旨の記載があり、せっかくの記念なので、バス停近くのお店で開いていたドルチェさんで尋ねたら、即証明書をいただけました^^
因みに、この天保山、「山岳会」や「山岳救助隊」まであるとのこと!
山岳救助隊の出動回数は一度もないそうですがw
築山とはいえ、国土地理院も公認する歴とした「山」である天保山。
今回は時間も押してそれ程ゆっくりもできなかったので、涼しくなった時期にでも、安治川の渡船等興味深い施設もあわせて再訪してみたいです。
今日では天保山公園として整備されている敷地の一角に、ひっそりと佇む「山頂」をあっという間に制覇した、文字どおり「束の間」の「登山」でした^^
<天保山>
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大阪市営地下鉄中央線の大阪港駅から徒歩で約10分弱、天保山公園の入口です。
休日を過ごそうと訪れた、たくさんの家族連れ等で賑わっていた「海遊館」のすぐ東に隣接しています。
この日の「登山」は、ここからスタート!
「山に登る」なんてイベントを敢行しようなんて気になったのは、実に高校生であった頃以来になります(遠い目)…。
地元の、天保山商店会等が立てたと思しき案内看板も、公園の入口にありました。
「登山者」が遭難しないようにw、「登山道」を分かりやすく記載してあります。
この看板によれば、私が「登攀」に利用したのは、天保山の山頂まで160mで到達する「西ルート」であったようです。
「登攀」を開始してから1分するかしないかのうちに、西ルートは、広場のような場所へと至りました。
広場には、明治天皇が明治元年(1868年)3月26日に日本で最初の観閲式を行なうためにこの地へ行幸したことを記念する、大きな碑が建ち、広場のほぼ頭上には、阪神高速道路湾岸線の天保山大橋が架かっています。
ここにも、案内看板が。
どうやら、この広場が天保山頂らしいです。
先程の、巨大な明治天皇行幸碑の足元近く、天保山公園の一番奥まったような場所にひっそりと佇んでいた、天保山山頂の標識。
すぐ背後はもう、旧淀川河口部である、安治川(あじがわ)となっています。
天保山山頂にある、三角測量で使用する三角点の標石。
この三角点は、二等三角点です。
現在の天保山の標高は、標識にあるとおり4.53m。
天保山は平成5年(1993年)に山名が国土地理院発行の地形図より抹消されてしまいましたが、平成8年(1996年)7月に再掲載、それ以来「日本一低い山」の座を守ってきました。
その後、平成26年(2014年)4月に国土地理院が、平成23年(2011年)3月の東日本大震災による津波により被害を受けた仙台市の日和山(ひよりやま)の標高を被災前の6mから3mと認定、地形図に記載したことにより、天保山は「地形図に山名の記載がある山」としては「日本一低い山」の座を日和山へ明け渡しましたが、この二等三角点のある山としては、なお日本一低い山の座を保っています。
画像左端の、明治天皇行幸碑の足元近くにある、天保山山頂の標識と三角点標石がある山頂標識の前の四角いスペースがお分かりでしょうか。
このように、天保山の周囲には、天保山よりも遙かに高い建造物が天保山を取り囲んでいます!
元々、天保山は江戸時代後期の天保年間(1830年代頃)に行なわれた、安治川等の浚渫に伴う土砂を積み上げてできた築山で、当初の標高は20m程であったとのこと。
夜間の船の航行のために灯籠を設けたり、遊興のための施設も設けられる等、当時の大坂でも名高い行楽スポットとなっていたようです。
その後幕末になり、外国船からの大坂警護のために天保山に砲台を築くのに合わせて山を削り、明治時代には標高は7.2mにまで減じ、更に戦後には地下水の汲み上げによる地盤沈下で平成5年(1993年)に標高4.53mとなり、現在に至っています。
遭難することなく無事に「下山」を果たしw、公園を出てすぐの所にある、天保山バス停から大阪市バスで梅田へ向かいました。
バス停へ向かう前に、こちらの「お菓子工房 ドルチェ」で、天保山の登頂証明書(無料)をいただきました♪
もちろん、登頂証明書をいただくだけでなく、店内のケーキ類に誘惑されw、フィナンシェやレモンケーキ等数点を購入。
地元の方向けといった風で気取らない気さくな雰囲気の洋菓子屋さんの、風味豊かなお菓子を美味しくいただきました(撮影し忘れていたのに気付いたのは食べ終えた後でした)!
天保山の登頂証明書。
証明書の右側の部分は、切り離すと絵はがきとなる仕様で、実に大阪らしいつくりとなっています(^-^)
案内標識にも、登頂証明書を天保山商店会加盟店で発行する旨の記載があり、せっかくの記念なので、バス停近くのお店で開いていたドルチェさんで尋ねたら、即証明書をいただけました^^
因みに、この天保山、「山岳会」や「山岳救助隊」まであるとのこと!
山岳救助隊の出動回数は一度もないそうですがw
築山とはいえ、国土地理院も公認する歴とした「山」である天保山。
今回は時間も押してそれ程ゆっくりもできなかったので、涼しくなった時期にでも、安治川の渡船等興味深い施設もあわせて再訪してみたいです。
マスコットマークの緑の山の自然な笑顔も可愛いし、肩にかけている「日本一低い山」と書かれた、たすきも自らを褒めたたえ、そして励ましているみたいです。
山登りは苦手ですがこのような山ならいつでも登ってみたいです。
こういった遊び心や洒落っ気のツボを掴む大阪のセンスは、いつもながら「流石!」と感心します。
「登山ルートw」の看板の案内図によれば南口もあるようなので、そちらの看板には「南ルート」が記されているのかもしれませんw
地形図にその名が記載される、歴とした「山」で5分と掛からず「登頂」できる天保山、実はずっと「登り」たかった憧れがl叶い、この時ちょっぴり感無量でした(^^;)
捻挫したら来てくれるかしら?
160mだろうがなんだろうが、『山』があるだけ羨ましい。
ノルマンディにも山を!
救助隊を「出動」させたら、さぞ話題になることでしょうw
「登山」中の捻挫であれば、充分に「出動」の理由になるのではないでしょうか。
大阪のような低湿な地質でしかも街中に山があるのも驚きですが、人為的な地盤沈下で低くなった山というのも珍しいですね。
粘り強く誓願し続けたら、いつの日かノルマンディにも山ができるかもしれませんね^^