アンデスの高原アルティプラーノにある湖を訪ねたチリ北部への旅行も、アリカから帰国の途を残すのみとなりました!
日本からの往路は東京とニューヨークを経由してチリ入りしましたが、チリからの復路はロサンゼルス経由で2003年当時はまだ存在していたロサンゼルスからのJAL大阪行直行便に搭乗しました。
時差の関係で、チリに翌日到着(米国同日到着、チリ翌日到着)した往路に対して、復路の日本到着は翌々日(米国翌日到着、日本翌々日到着)という、南米までの道程の遠さを再び実感した長丁場の移動となりました。
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サンティアゴからのロサンゼルス(スペイン語では英語と同じ "Los Angeles" の綴りなのですが発音は「ロスアンヘレス」となり英語の機内放送でもCAさんは「ロサンゼルス」の部分だけはスペイン語の発音で仰っていました)行のフライトが深夜出発なので、サンティアゴまで3時間半程かかるアリカからでも午後のフライトに搭乗すれば十分な余裕をもって乗り継げたため、アリカで午前中をゆったりと過ごすことができました^^
ホテルをチェックアウトしたのはチェックアウトタイムギリギリだったでしょうか…(^^;)、アリカ丘陵のすぐ足下のあたりのパーキングに車を止めて再びアリカの市街地を散策しました。
散策がてら郵便局で絵葉書を投函したり両替所(カンビオ "cambio")でチリの通貨ペソ($)をUSドル(US$)に両替したり…と所用もこなしてからちょうどお昼時頃に空港へ向かいました。
2002年/2003年の旅行時のレートは大体US$1≒$550で、2012年2月のこの記事を書いている時点ではUS$1≒$480、10%以上ペソ高になっていますね!
このようなレートなので、チリ入り後にUS$200~US$300をペソに両替したのですが、およそ$110,000~$165,000位という大きな金額となって膨れ上がっていた財布が、USドルへの再両替で激痩せして元のヒンソーなボリュームに…(TT)
金持ちになったような束の間の錯覚から、一気に金欠の現実に引き戻された感じでした(爆)
(参考)チリペソから日本円に換算
アリカの空港で相棒を返却してから(お疲れさま!!)チェックインして、14時過ぎの出発を待ちました。
ランチリ(現ラン航空)のフライトは定刻に出発、往路同様にイキケを経由してサンティアゴへ向かいました。
機内食には、肉がたっぷり詰まったカネローネ(カネロニ)、美味しかったなぁ~♪
確かワインも供されて、国内線(それもエコノミークラスのモノクラス)なのに国際線と遜色ないサービス水準にビックリしたものでした!
今日ではこのサービス水準はどうなっているのでしょうね?
前の記事で言及したアリカ丘陵ですが、往路でアリカに着陸前の飛行機から撮影した画像にシッカリ写っていました!
画像右端の最も海岸近くで大きく盛り上がっている岩塊がアリカ丘陵で、市街地と比べてその巨大さが良く分かりますね^^
…撮影したことをすっかり忘れていました/(^^;
サンティアゴからの深夜出発のフライトも時間通りに出発し、翌日の早朝には米国のロサンゼルスに到着しました。
このロサンゼルス行のフライトも、途中ペルーの首都リマに立ち寄って乗降の扱いを行なう経由便でした。
リマの到着と出発も確か真夜中の0時~1時頃の時間帯だったと思います。
国内線の時のイキケ同様リマでも機内で座っていると、居残った客の間を縫ってスタッフらしき兄ちゃんが簡単な床の清掃を始めましたが、手に持った道具が何と竹箒!!
慣れた手つきで、通路から座席の下から掃き清めてくれました!
ロサンゼルスから大阪行のフライトの出発は昼過ぎ位だったでしょうか。
日本への復路は出発や接続が比較的程良い時間でスムーズでした。
大阪までのラストフライトも順調な航行で、ロサンゼルス出発の翌日、アリカやサンティアゴからだと翌々日の夕刻近くに、大阪・関西国際空港に無事到着しました~!!
日本上空を飛行中には富士山の姿も拝むことができて、「帰ってきたのだなぁ…!」という実感がこみ上がってきました。
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帰国後しばらくしてからJALから電話がかかってきて、ニューヨークでロストした預け荷物が関空に到着したとのこと。
ちょうど用事もあったので、関空で受取り持ち帰ることにしました。
手荷物宅送コーナーの奥の、普段は間違っても入り込まないような区画へ入っていき、手荷物たちとニューヨーク以来の再会を果たしました。
キャスターバッグの鍵は壊されてしまっていてバッグはおしゃかとなりましたが、中身は無事でひと安心。。。
ラテンアメリカらしからぬ(?!)手際の良さから、ランチリに対する好感度がまたまた上昇したのでした!
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両国共1ページにまとめて、スタンプの向きもほぼ揃えてくれているのに対し、米国の出入国スタンプはたまたま開けたページ(パスポートの中程と後ろの方)に無造作な感じでポンと押されました;
何となく、スタンプの押し方にもお国柄のようなものが感じられて、面白かったですw
このチリ旅行は、目的地がほぼ日本から地球の反対側という遠距離だったために、往路はアリカやプトレに着いた時、復路は大阪に着いた時の感慨もまた格別なものでした!
ロストバゲージ、初めての外国での運転や地理不案内そして高山病等の心配事もありましたが、終わってみれば命にかかわる重大な事態にも遭遇せず、全ての行程を上首尾にこなせて帰国することができて、旅行を終えた時の充実感満足感は、昨年のクロアチア旅行に比肩するものでした(このチリ旅行に行った方が先なのですが;)。
10年近く経過した今なお鮮明な記憶が残る、強烈なインパクトのあった旅行でした。
この旅を素晴らしい記憶としてくれた南米の雄大な大地と、おおらかでフレンドリーなチリの方々にはいくら感謝しても感謝し足りない程です!!
日本から遠く離れた地球の反対側に位置し、スケールの大きな自然と日本とは対照的なところも多々ある人々の価値観や生き方等に満ち溢れた、魅力的でエキサイティングな南米の大地は、時間とお金をかけてでも訪れてみる価値は十二分にあると信じます!!
このスペクタクルな大陸を1人でも多くの方々が実際に体感なさることを願いながら、チリ2002/2003旅行記の結びとします。
最後は旅行中の画像も尽きてしまった不細工な旅行記に最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
日本からの往路は東京とニューヨークを経由してチリ入りしましたが、チリからの復路はロサンゼルス経由で2003年当時はまだ存在していたロサンゼルスからのJAL大阪行直行便に搭乗しました。
時差の関係で、チリに翌日到着(米国同日到着、チリ翌日到着)した往路に対して、復路の日本到着は翌々日(米国翌日到着、日本翌々日到着)という、南米までの道程の遠さを再び実感した長丁場の移動となりました。
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チリ入国スタンプ
サンティアゴからのロサンゼルス(スペイン語では英語と同じ "Los Angeles" の綴りなのですが発音は「ロスアンヘレス」となり英語の機内放送でもCAさんは「ロサンゼルス」の部分だけはスペイン語の発音で仰っていました)行のフライトが深夜出発なので、サンティアゴまで3時間半程かかるアリカからでも午後のフライトに搭乗すれば十分な余裕をもって乗り継げたため、アリカで午前中をゆったりと過ごすことができました^^
ホテルをチェックアウトしたのはチェックアウトタイムギリギリだったでしょうか…(^^;)、アリカ丘陵のすぐ足下のあたりのパーキングに車を止めて再びアリカの市街地を散策しました。
散策がてら郵便局で絵葉書を投函したり両替所(カンビオ "cambio")でチリの通貨ペソ($)をUSドル(US$)に両替したり…と所用もこなしてからちょうどお昼時頃に空港へ向かいました。
2002年/2003年の旅行時のレートは大体US$1≒$550で、2012年2月のこの記事を書いている時点ではUS$1≒$480、10%以上ペソ高になっていますね!
このようなレートなので、チリ入り後にUS$200~US$300をペソに両替したのですが、およそ$110,000~$165,000位という大きな金額となって膨れ上がっていた財布が、USドルへの再両替で激痩せして元のヒンソーなボリュームに…(TT)
金持ちになったような束の間の錯覚から、一気に金欠の現実に引き戻された感じでした(爆)
(参考)チリペソから日本円に換算
チリ出国スタンプ
アリカの空港で相棒を返却してから(お疲れさま!!)チェックインして、14時過ぎの出発を待ちました。
ランチリ(現ラン航空)のフライトは定刻に出発、往路同様にイキケを経由してサンティアゴへ向かいました。
機内食には、肉がたっぷり詰まったカネローネ(カネロニ)、美味しかったなぁ~♪
確かワインも供されて、国内線(それもエコノミークラスのモノクラス)なのに国際線と遜色ないサービス水準にビックリしたものでした!
今日ではこのサービス水準はどうなっているのでしょうね?
前の記事で言及したアリカ丘陵ですが、往路でアリカに着陸前の飛行機から撮影した画像にシッカリ写っていました!
画像右端の最も海岸近くで大きく盛り上がっている岩塊がアリカ丘陵で、市街地と比べてその巨大さが良く分かりますね^^
…撮影したことをすっかり忘れていました/(^^;
サンティアゴからの深夜出発のフライトも時間通りに出発し、翌日の早朝には米国のロサンゼルスに到着しました。
このロサンゼルス行のフライトも、途中ペルーの首都リマに立ち寄って乗降の扱いを行なう経由便でした。
リマの到着と出発も確か真夜中の0時~1時頃の時間帯だったと思います。
国内線の時のイキケ同様リマでも機内で座っていると、居残った客の間を縫ってスタッフらしき兄ちゃんが簡単な床の清掃を始めましたが、手に持った道具が何と竹箒!!
慣れた手つきで、通路から座席の下から掃き清めてくれました!
ロサンゼルスから大阪行のフライトの出発は昼過ぎ位だったでしょうか。
日本への復路は出発や接続が比較的程良い時間でスムーズでした。
大阪までのラストフライトも順調な航行で、ロサンゼルス出発の翌日、アリカやサンティアゴからだと翌々日の夕刻近くに、大阪・関西国際空港に無事到着しました~!!
日本上空を飛行中には富士山の姿も拝むことができて、「帰ってきたのだなぁ…!」という実感がこみ上がってきました。
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帰国後しばらくしてからJALから電話がかかってきて、ニューヨークでロストした預け荷物が関空に到着したとのこと。
ちょうど用事もあったので、関空で受取り持ち帰ることにしました。
手荷物宅送コーナーの奥の、普段は間違っても入り込まないような区画へ入っていき、手荷物たちとニューヨーク以来の再会を果たしました。
キャスターバッグの鍵は壊されてしまっていてバッグはおしゃかとなりましたが、中身は無事でひと安心。。。
ラテンアメリカらしからぬ(?!)手際の良さから、ランチリに対する好感度がまたまた上昇したのでした!
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日本とチリの出入国スタンプ
両国共1ページにまとめて、スタンプの向きもほぼ揃えてくれているのに対し、米国の出入国スタンプはたまたま開けたページ(パスポートの中程と後ろの方)に無造作な感じでポンと押されました;
何となく、スタンプの押し方にもお国柄のようなものが感じられて、面白かったですw
このチリ旅行は、目的地がほぼ日本から地球の反対側という遠距離だったために、往路はアリカやプトレに着いた時、復路は大阪に着いた時の感慨もまた格別なものでした!
ロストバゲージ、初めての外国での運転や地理不案内そして高山病等の心配事もありましたが、終わってみれば命にかかわる重大な事態にも遭遇せず、全ての行程を上首尾にこなせて帰国することができて、旅行を終えた時の充実感満足感は、昨年のクロアチア旅行に比肩するものでした(このチリ旅行に行った方が先なのですが;)。
10年近く経過した今なお鮮明な記憶が残る、強烈なインパクトのあった旅行でした。
この旅を素晴らしい記憶としてくれた南米の雄大な大地と、おおらかでフレンドリーなチリの方々にはいくら感謝しても感謝し足りない程です!!
日本から遠く離れた地球の反対側に位置し、スケールの大きな自然と日本とは対照的なところも多々ある人々の価値観や生き方等に満ち溢れた、魅力的でエキサイティングな南米の大地は、時間とお金をかけてでも訪れてみる価値は十二分にあると信じます!!
このスペクタクルな大陸を1人でも多くの方々が実際に体感なさることを願いながら、チリ2002/2003旅行記の結びとします。
最後は旅行中の画像も尽きてしまった不細工な旅行記に最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
約10年前の旅行でもしっかりと記憶に残っているという事はそれだけスケールや感動などが大きかったのでしょうね。
チリ、いつかは行ってみたいと思うのですが「遠い」が頭に引っかかります・・・(笑)
チリのスタンプ、入国と出国の赤x青の色が反対になっているセンスや、キッチリと横並びで押してくれるなどチリ国民性を表しているのでしょうね。
関空-ロス便、どこかの航空会社で復活させて欲しいと切に願っています。ロスに帰らない理由の1つが「直行便が無い!」ですから(笑)
このチリ旅行は自然や人々があまりにも魅力的だったので鮮烈な思い出として脳裏に刻まれたと感じていますが、記事を書きながら未だにここまではっきり憶えていたとは、我ながら少々驚きました(^^;
日本からは経由地の欧州または米国まで12時間前後、そこから更に同じ位の時間がかかる程の距離が訪問を躊躇させがちですが、チリは本当に素敵な国なので、kikiさんもそのうち是非訪れてみてください!!
チリのスタンプ、グラデーションのインクとか色々凝っていますよね~^^
「いい加減な国じゃないんダゾ~!」という心意気を感じたきっちりスタンプでしたw
ロスは南米へのゲートウェイでもあるので、私も関空-ロス便の復活を熱望します!
北にあるアメリカに行くのに、一度サンディエゴまで南下しなければならないのは時間の無駄のような気もするけれど、アリカへの直行便がないからこそ、手付かずの自然が守られているのでしょうね。
出入国のスタンプを見る限り、チリの人はきっと律儀で几帳面な人が多いのでしょうね。
ウルグアイで知り合いがホテルを経営しているので、飛行時間が長すぎるのがネック。
それでもエアチケット代を奮発すれば1都市経由、20時間以内で行けるので、日本から行くことを考えれば遥かに楽ですよね。
米国-チリ間のフライトはアリカ附近からサンティアゴへ南下しますがアリカは素通り(TT)、それでもサンティアゴ経由が最も早いという、最果ての悲哀にも溢れる(そこがまた魅力的!)アリカです(^^;
チリ人の気風というのも、きっとチリ国土の厳しい自然環境が育んできたものなのでしょうね。
南米のようにオフィシャルな情報の精度に今一つ不安のある地域では、現地の事情に通じたお知り合いの存在は非常に心強いものだと思います!
ヨーロッパからですと、パリやマドリーから直行便、フランクフルトからマドリー経由便が各々毎日サンティアゴへ飛んでいるようですね…日本からと比べてかかる距離も時間も遥かに少なく、しかも乗り継ぎいらずでチリ入りできるなんて、羨ましい限りです~!!
事情で長い間ブログから遠ざかっており、返信が大変遅れてしまい、申し訳ありません。
来月チリ行とのこと、私も再訪したいです。
弊ブログが杉山さんのお役に立てたのであれば、とても嬉しいです。
充実したチリへのご渡航となりますことを、お祈り申し上げます。