
青函連絡船メモリアルシップとして、青森で博物館として係留・保存されている八甲田丸の見学を続けます。
2階の乗船口から船楼甲板へと乗船すると、まず順路として階段を3階遊歩甲板へと上がり、グリーン客室のキャビンを船尾から船首の方向へと巡ってきました。
客室としては遊歩甲板の最前部となる寝台個室の区画を更に船首の方向へ進むと、船長室がありました。
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3階遊歩甲板の最前部にあたる位置に、八甲田丸の船長室がありました。
船長室らしく、広々としたスペースが割かれていますが、調度類等は至って質素です。
机、脇机、扇風機等、時代を感じさせます。
肘掛け付きの椅子が、ここが船長室なのだというこだわりを感じました^^

質素な船長室とは打って変わって、幾分華やかな雰囲気である、会議室サロン。
このような部屋があるとは、知りませんでした。
狭い目の部屋ながら、大きなソファに木目調の壁材や照明器具、そして人形の置物と、サロンとして寛げる体裁が整えられていました。

船首を眺めています。
船上も岸壁も、雪にまだ厚く覆われています。
青森に到着した15時前頃には時折薄日も差していた空でしたが、16時30分近いこの時には雲が多くなって、その下に広がる海も空の色を反映して、季節を戻したような鉛色の海面でした。

就航当時に使用されていた、数々の案内板。
本当に色々な設備があったのですね。

更に4階へと上がると航海甲板・ブリッジとなります。
航海甲板の船首側の面全てを占める、広いスペース。
童心に返って、ワクワクしながら操舵に関する機器に見入っていましたw

当然ながら、3階からの眺めよりも高く見えています。

無線通信室。
何故かダルマが…。

ブリッジ後部からは、煙突のある甲板上に出られる筈なのですが、見学時には閉鎖されて出ることができませんでした(TT)
煙突の部分は、現在展望台となっているようです。
内部も見ることができるとか。

先程の前方の画像でも分かるとおり、ブリッジは最上階である4階に位置していることから見晴らしは大変良く、青森市街のベイエリアを一望することができます。
優美な青森ベイブリッジの主塔や、"A" の字を模った、青森県観光物産館アスパムの建物、青森湾沿いの雪に覆われた散策路等を眺めています。
この後、見学コースは4階の航海甲板からエレベータで一気に1階へと下りて、鉄道の車両を格納する車両甲板へ向かいます。
2階の乗船口から船楼甲板へと乗船すると、まず順路として階段を3階遊歩甲板へと上がり、グリーン客室のキャビンを船尾から船首の方向へと巡ってきました。
客室としては遊歩甲板の最前部となる寝台個室の区画を更に船首の方向へ進むと、船長室がありました。
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3階遊歩甲板の最前部にあたる位置に、八甲田丸の船長室がありました。
船長室らしく、広々としたスペースが割かれていますが、調度類等は至って質素です。
机、脇机、扇風機等、時代を感じさせます。
肘掛け付きの椅子が、ここが船長室なのだというこだわりを感じました^^

質素な船長室とは打って変わって、幾分華やかな雰囲気である、会議室サロン。
このような部屋があるとは、知りませんでした。
狭い目の部屋ながら、大きなソファに木目調の壁材や照明器具、そして人形の置物と、サロンとして寛げる体裁が整えられていました。

船首を眺めています。
船上も岸壁も、雪にまだ厚く覆われています。
青森に到着した15時前頃には時折薄日も差していた空でしたが、16時30分近いこの時には雲が多くなって、その下に広がる海も空の色を反映して、季節を戻したような鉛色の海面でした。

就航当時に使用されていた、数々の案内板。
本当に色々な設備があったのですね。

更に4階へと上がると航海甲板・ブリッジとなります。
航海甲板の船首側の面全てを占める、広いスペース。
童心に返って、ワクワクしながら操舵に関する機器に見入っていましたw

当然ながら、3階からの眺めよりも高く見えています。

無線通信室。
何故かダルマが…。

ブリッジ後部からは、煙突のある甲板上に出られる筈なのですが、見学時には閉鎖されて出ることができませんでした(TT)
煙突の部分は、現在展望台となっているようです。
内部も見ることができるとか。

先程の前方の画像でも分かるとおり、ブリッジは最上階である4階に位置していることから見晴らしは大変良く、青森市街のベイエリアを一望することができます。
優美な青森ベイブリッジの主塔や、"A" の字を模った、青森県観光物産館アスパムの建物、青森湾沿いの雪に覆われた散策路等を眺めています。
この後、見学コースは4階の航海甲板からエレベータで一気に1階へと下りて、鉄道の車両を格納する車両甲板へ向かいます。
無線通信室のだるまは、後悔の安全を願うものなのでしょうか。
でも、片道ごとに目玉を入れていたらだるまがいくつあっても足りませんね。
生憎の曇空ですが、澄み渡った青空よりも低く垂れこめた雲に覆われている方が、どことなく津軽海峡らしい気がします。
同じ車両で本州と北海道の旅ができるなんて面白いですね。
一度青函連絡船を利用して、鉄道の旅を楽しんでみたかったです。
利用するとしたら、恐らく少し横になって休息する程度だったのではないかと思います。
無線通信室のダルマ達は、メカニックな室内で異彩を放っていましたwが、タヌ子さんの仰るように、安全の験担ぎなのでしょうね、案外航海毎に調達していて、どこかに保管してあるか奉納されていたりしているのかもしれませんね^^
この日は本当に空模様から空気の冷たさまでもが冬に戻ったかのような天候で、冬の津軽を垣間見られたような気がしました。
客車に乗ったまま連絡船に乗船できたら、旅情も利便性も高まるというものですが、残念ながら、千人以上の犠牲者を出した、58年前(昭和29年)の洞爺丸事故以来中止されてきました。
ヨーロッパでは、イタリア半島の爪先のヴィッラ・サン・ジョヴァンニ~シチリア島のメッシーナ等で客車航送が現在も行なわれていますね。
操舵に関する機器や無線通信室、私もこういう所を見るのが好きなのでワクワクして見学する方です^^
船旅やフェリーで離島へ、など憧れるのですが船酔いが・・・・。年とると三半規管が鈍くなるようなのでその点だけ早く老化したいと思ってしまいます(笑)
ブリッジの窓から前方の海を見ていると、今でも出航できるのではないかという錯覚に襲われます。
この八甲田丸、現役就航時には乗客が絶対に立ち入れなかったエリアの見学もできるので、kikiさんもきっと楽しく見て回れると思いますよ^^
本当に面白くて、思っていたより遙かに長時間滞在してしまいました。
日本近海は、大体が船旅には結構揺れそうな海に思えますよね;
海とは思えなかった、とても穏やかなクロアチアのアドリア海が懐かしいです!
私一人が唯一の乗客であり、外人であり、たった一人の女性だったため、乗船する直前に怖くなってしまい泣き出してしまったのです。
近所から子供達が集まって泣き崩れる私のまわりを囲み不思議そうに見守っていました。その情景を貨物船ではたらくウガンダ人の船乗りさんたちが目撃して船長さんに知らせたのだとおもいます。
船長さんは操舵の機器室に私を案内してくださり色々と説明して私の恐怖心を和らげてくださいました。そのとき見た操舵の機器室が室内の色まで青函連絡船メモリアルシップのものとそっくりでした。
見ず知らずの土地で、客船ですらない貨物船に一人だけ乗船しなければならないとすれば、男の私でも恐怖感に襲われると思います;
そんな中での、船乗りさん方の優しい心遣いが、忘れ難い思い出となって、プー太郎さんの心に刻まれているのでしょうね。
海(湖)の男達は、荒くれなイメージを抱き勝ちですが、同時に紳士なのですね^^
運ぶ対象は違いますが、どちらも水の上を進む大型船、ブリッジも似たような配置となるのでしょう。
八甲田丸<1>の記事中の青函連絡船のリンク先(ウィキペディア)にある就航船達のその後の履歴を見ると、様々な国に転売されてもいるので、世界各地へ旅をなさっているプー太郎さんには、思いもよらない場所でかつての連絡船に出会われたり目にされていたかもしれませんね。