
香港のかつての国際空港であった啓德空港跡地の、海へと突き出た滑走路先端部分に整備された公園へと、地下鉄の最寄り駅から歩いてきました。
<初海外 思い出の地探訪 香港・啓德へ>
旧滑走路の先端にある公園へは、最寄駅から1時間程で到着。
所々に往年の滑走路の名残を感じさせる公園に佇み、海を眺めながら、飛行機で30年前、正にこの場所へ降り立ち、この場所から飛び立った感慨に耽っていました。
<啓德空港>

1998年に閉港するまでは香港の国際空港であった啓德空港(啓德機場/Kai Tak Airport)の、九龍湾(九龍灣/Kowloon Bay)へ突き出た滑走路であった場所を、その先端へ向けて歩き続けます。
先端近くまで来ると、2013年に開業した啓德クルーズ・ターミナル(啓德郵輪碼頭/Kai Tak Cruise Terminal)の巨大な建物に沿って、進んでいきます。
要塞のように巨大なクルーズ船が接岸するターミナルだけに、空港にも匹敵するような巨大さにも、納得です。

地下鉄の牛頭角駅(牛頭角站/Ngau Tau Kok Station)から、4km弱程の道のりを歩くこと約1時間、旧滑走路の先端部まで辿り着いたようです。
前方の視界が、グッと広く感じられます。
かつての滑走路を歩いてきたからか、前方の視界が開けると、これからすぐにでも飛び立つような気分になりましたw


遊歩道と緑地に整備された旧滑走路の先端部は、「啓德跑道公園/KAI TAK RUNWAY PARK」へと生まれ変わっていました。
日本語にすると、「啓德ランウェイ・パーク」といったところでしょうか。
「滑走路(ランウェイ)」は、中国語(広東語?)では「跑道」というのですね。
土地が狭くて建物の密集した香港には貴重な、広々とした公園ですが、隣接の旧滑走路の再開発は緒に就いたばかりの様子でした。
この公園が最初に整備された印象で、ここまでのアクセスも不便なためか、訪れる人は疎らな、穴場的スポットでした。
海への方向を向いた紙ヒコーキ型のベンチが、据え付けられています。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
晴れ渡った快晴の青空へ、今にも舞い上がっていきたそうな、紙ヒコーキのオブジェでした^^
この場所こそ正真正銘、啓徳空港の滑走路13の終端部。
滑走路の尽きた先には、九龍湾(九龍灣/Kowloon Bay)の青い水面が広がり、飛行機が飛び立つシチュエーションとして、これ以上はない位の風景が広がっていました!
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
滑走路の端に大きく記されているこの番号は、滑走路が向かう方位を示すもので、この「13」の番号は本来、この滑走路の反対側の端に記されていた番号です。
啓徳空港の滑走路として使用されていた当時、この場所には「31」の番号が記されていました。
また、数字の向きも、本来は飛行機から視認すべきものなので、逆になります。
滑走路13は、有名であった「香港アプローチ」で着陸する滑走路でしたし、離陸時には大部分が海へ向けて(=「13」の方位)テイクオフしていたので、往時を偲ぶ施設であるこの公園に、その番号を記念し、訪問者へのアピールとして数字の向きを逆にして、この有名な「13」の番号をこの場所に記したのでしょうね。
滑走路の数字については、こちらをご参照ください。
恐らく当時の状態そのままであろう、滑走路先端の護岸。
下の画像では、九龍湾越しに、対岸となる香港島の高層ビル群を望むことができます。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
黄色のチェック模様やコンクリートの状態等が、新しく整備された公園施設と対照的で、閉港後の時の経過を改めて実感。
滑走路の数字についての説明が、この場所に掲示してありました。
空港が啓德のかつての「顔」なら、今日のランドマークにもなり得ると思えたのが、このクルーズ・ターミナル。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
「建物」と呼ぶには、どことなく違和感を覚える程の、巨大さを誇るターミナルです。
あまりの巨大さに、未来的なデザインにもかかわらず、近くにいると、かなりの圧迫感です;
屋上には、香港特別行政区の旗と、それを従えるように五星紅旗が、翻っていました。

啓德ランウェイ・パークには、往時の啓德空港の様子を撮影した写真も、展示してあります。
上の写真に写っている、滑走路の海へ突き出している先端に、先程の「13」の数字が記念に埋め込まれています。
現在(2019年頃)の姿を同じようなアングルで、Google mapの3D表示で再現させると…

こんな感じでしょうか。
下の写真は、啓德空港の最終日である、1998年7月5日の離陸風景。
私が1990年3月に搭乗した飛行機も、この写真と同じように飛び立ったはずです。
多くの人々が滑走路脇に集い、啓德空港との別れを惜しんでいる様子も写っていますね。

こちらは、海側の端とは反対側の、正に滑走路13側にあった啓德空港のターミナルビルと、滑走路13へ着陸直前の飛行機を写した写真。
上の画像のコメントと同様、私も搭乗機の着陸時には、このように着陸したはずですし、着陸時の窓外の眺めは、今なお鮮明に記憶しています。
本当に懐かしくて(何せ、空港利用時から30年近くも経過していたので)、先程の滑走路先端部とこの写真掲示エリアでは、時間を忘れ、感慨に耽りながら佇んでいました。

まだ一部整備中であった、公園の芝生。
快晴の好天にもかかわらず、訪れる人もまだまだ少なく、ゆったり寛げそうでした。
旧滑走路敷地の再開発が成った暁には、多くの人が憩うことになるのでしょうね。

再開発は緒に就いたばかりで、広大なかつての滑走路の跡地は、まだほとんどが手つかずのままに放置状態。
ひっきりなしに飛行機が離着陸していた、啓德空港の賑わいの痕跡を、辛うじて留めています(2019年11月現在)。
こうした啓德空港の名残も、もうあと何年もしたら、再開発の波にかき消されて、ここに滑走路があったことなど、全く想像することすらできない位に、変貌を遂げることでしょう。
…寂しいですが、これも時の流れの必定で、仕方のないことですね。
懐かしい思い出の地への再訪を心ゆくまで堪能し、牛頭角駅へと踵を返した道中、対岸へと渡る橋上でふと、北西の方向を見遣ると…やはりかつての啓德空港絡みの遺構らしきものが見えた気が…!
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
上記の「香港アプローチ」の際の、進路を変更する旋回のカーブの目印となった、チェッカーボード…のような!?
この位置からまさか、と思いながらも、念の為、シャッターを切っていました。

帰国後、地図や画像等で確認。
確かに、チェッカーボードそのものでした!
かつてのターミナルビルからも離れた、滑走路中程のこの位置からも、高層ビルの間に眺めることができるなんて…望外の喜びで、ここでも感激ひとしおでした♪
旧滑走路の存在と同様に、この感慨深い眺めも、啓德空港の再開発が進めば恐らく、建設されるであろう高層建築物によって遮られて、望むことが叶わなくなることでしょう。
啓德空港の記憶は、ランウェイ・パークに僅かに留めることになるでしょうが、実際に残っていたかつての空港の息吹きを辛うじて目にして、感じることができた貴重な機会を得て、「ここを訪ねて本当に良かった!」と確信した、啓德訪問でした。

滑走路だけが海へと突き出た半島のような、啓德空港のユニークな敷地。
Google mapの3D表示でも、その細長い形状が良く分かりますね。
滑走路の長さは3,390mで、その大部分が海上であったので、この海へ突き出た部分の長さを推し量ることができます。
同時に、クルーズ・ターミナルの巨大さも一目瞭然です。
このマップは、東側から西へ向けて眺めている形で、西の対岸には隣接している九龍の中心地区や、その南に向かい合う香港島のセントラル(中環)に林立しているビル群を眺める格好となっています。
「100万ドルの夜景」と称えられる、香港の夜景。
定番のビュースポットである、香港島のビクトリア・ピーク(Victoria Peak/太平山)からの眺めです。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
手前の建物群のシルエットも、素敵なコントラストに見えたので、敢えて一緒に撮影してみました。
啓德空港は、画像右奥の方角にあります。
啓德空港は、この素晴らしい夜景にも、関わりを持っていました。
啓德空港の着陸誘導灯は、空港に隣接している地区の建物の屋上に設置してあったので、誤認を避けるために、市街地のネオンサインは点滅を禁じられていました。
このことが、香港の美しい夜景に一役買ったとのこと。
啓德空港の閉港後、この規制は必要なくなり、今日ではネオンサインの点滅は解禁されています。
今現在(2020年3月)、香港のみならず世界中が旅行どころではなくなっていますが、情勢が落ち着いた後に機会があれば、また香港を訪れて、気ままにあちこち訪ねまわりたいです。
<初海外 思い出の地探訪 香港・啓德へ>
旧滑走路の先端にある公園へは、最寄駅から1時間程で到着。
所々に往年の滑走路の名残を感じさせる公園に佇み、海を眺めながら、飛行機で30年前、正にこの場所へ降り立ち、この場所から飛び立った感慨に耽っていました。
<啓德空港>
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1998年に閉港するまでは香港の国際空港であった啓德空港(啓德機場/Kai Tak Airport)の、九龍湾(九龍灣/Kowloon Bay)へ突き出た滑走路であった場所を、その先端へ向けて歩き続けます。
先端近くまで来ると、2013年に開業した啓德クルーズ・ターミナル(啓德郵輪碼頭/Kai Tak Cruise Terminal)の巨大な建物に沿って、進んでいきます。
要塞のように巨大なクルーズ船が接岸するターミナルだけに、空港にも匹敵するような巨大さにも、納得です。

地下鉄の牛頭角駅(牛頭角站/Ngau Tau Kok Station)から、4km弱程の道のりを歩くこと約1時間、旧滑走路の先端部まで辿り着いたようです。
前方の視界が、グッと広く感じられます。
かつての滑走路を歩いてきたからか、前方の視界が開けると、これからすぐにでも飛び立つような気分になりましたw


遊歩道と緑地に整備された旧滑走路の先端部は、「啓德跑道公園/KAI TAK RUNWAY PARK」へと生まれ変わっていました。
日本語にすると、「啓德ランウェイ・パーク」といったところでしょうか。
「滑走路(ランウェイ)」は、中国語(広東語?)では「跑道」というのですね。
土地が狭くて建物の密集した香港には貴重な、広々とした公園ですが、隣接の旧滑走路の再開発は緒に就いたばかりの様子でした。
この公園が最初に整備された印象で、ここまでのアクセスも不便なためか、訪れる人は疎らな、穴場的スポットでした。
海への方向を向いた紙ヒコーキ型のベンチが、据え付けられています。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
晴れ渡った快晴の青空へ、今にも舞い上がっていきたそうな、紙ヒコーキのオブジェでした^^
この場所こそ正真正銘、啓徳空港の滑走路13の終端部。
滑走路の尽きた先には、九龍湾(九龍灣/Kowloon Bay)の青い水面が広がり、飛行機が飛び立つシチュエーションとして、これ以上はない位の風景が広がっていました!
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
滑走路の端に大きく記されているこの番号は、滑走路が向かう方位を示すもので、この「13」の番号は本来、この滑走路の反対側の端に記されていた番号です。
啓徳空港の滑走路として使用されていた当時、この場所には「31」の番号が記されていました。
また、数字の向きも、本来は飛行機から視認すべきものなので、逆になります。
滑走路13は、有名であった「香港アプローチ」で着陸する滑走路でしたし、離陸時には大部分が海へ向けて(=「13」の方位)テイクオフしていたので、往時を偲ぶ施設であるこの公園に、その番号を記念し、訪問者へのアピールとして数字の向きを逆にして、この有名な「13」の番号をこの場所に記したのでしょうね。
滑走路の数字については、こちらをご参照ください。
恐らく当時の状態そのままであろう、滑走路先端の護岸。
下の画像では、九龍湾越しに、対岸となる香港島の高層ビル群を望むことができます。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
黄色のチェック模様やコンクリートの状態等が、新しく整備された公園施設と対照的で、閉港後の時の経過を改めて実感。
滑走路の数字についての説明が、この場所に掲示してありました。
空港が啓德のかつての「顔」なら、今日のランドマークにもなり得ると思えたのが、このクルーズ・ターミナル。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
「建物」と呼ぶには、どことなく違和感を覚える程の、巨大さを誇るターミナルです。
あまりの巨大さに、未来的なデザインにもかかわらず、近くにいると、かなりの圧迫感です;
屋上には、香港特別行政区の旗と、それを従えるように五星紅旗が、翻っていました。

啓德ランウェイ・パークには、往時の啓德空港の様子を撮影した写真も、展示してあります。
上の写真に写っている、滑走路の海へ突き出している先端に、先程の「13」の数字が記念に埋め込まれています。
現在(2019年頃)の姿を同じようなアングルで、Google mapの3D表示で再現させると…

こんな感じでしょうか。
下の写真は、啓德空港の最終日である、1998年7月5日の離陸風景。
私が1990年3月に搭乗した飛行機も、この写真と同じように飛び立ったはずです。
多くの人々が滑走路脇に集い、啓德空港との別れを惜しんでいる様子も写っていますね。

こちらは、海側の端とは反対側の、正に滑走路13側にあった啓德空港のターミナルビルと、滑走路13へ着陸直前の飛行機を写した写真。
上の画像のコメントと同様、私も搭乗機の着陸時には、このように着陸したはずですし、着陸時の窓外の眺めは、今なお鮮明に記憶しています。
本当に懐かしくて(何せ、空港利用時から30年近くも経過していたので)、先程の滑走路先端部とこの写真掲示エリアでは、時間を忘れ、感慨に耽りながら佇んでいました。

まだ一部整備中であった、公園の芝生。
快晴の好天にもかかわらず、訪れる人もまだまだ少なく、ゆったり寛げそうでした。
旧滑走路敷地の再開発が成った暁には、多くの人が憩うことになるのでしょうね。

再開発は緒に就いたばかりで、広大なかつての滑走路の跡地は、まだほとんどが手つかずのままに放置状態。
ひっきりなしに飛行機が離着陸していた、啓德空港の賑わいの痕跡を、辛うじて留めています(2019年11月現在)。
こうした啓德空港の名残も、もうあと何年もしたら、再開発の波にかき消されて、ここに滑走路があったことなど、全く想像することすらできない位に、変貌を遂げることでしょう。
…寂しいですが、これも時の流れの必定で、仕方のないことですね。
懐かしい思い出の地への再訪を心ゆくまで堪能し、牛頭角駅へと踵を返した道中、対岸へと渡る橋上でふと、北西の方向を見遣ると…やはりかつての啓德空港絡みの遺構らしきものが見えた気が…!
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
上記の「香港アプローチ」の際の、進路を変更する旋回のカーブの目印となった、チェッカーボード…のような!?
この位置からまさか、と思いながらも、念の為、シャッターを切っていました。

帰国後、地図や画像等で確認。
確かに、チェッカーボードそのものでした!
かつてのターミナルビルからも離れた、滑走路中程のこの位置からも、高層ビルの間に眺めることができるなんて…望外の喜びで、ここでも感激ひとしおでした♪
旧滑走路の存在と同様に、この感慨深い眺めも、啓德空港の再開発が進めば恐らく、建設されるであろう高層建築物によって遮られて、望むことが叶わなくなることでしょう。
啓德空港の記憶は、ランウェイ・パークに僅かに留めることになるでしょうが、実際に残っていたかつての空港の息吹きを辛うじて目にして、感じることができた貴重な機会を得て、「ここを訪ねて本当に良かった!」と確信した、啓德訪問でした。
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滑走路だけが海へと突き出た半島のような、啓德空港のユニークな敷地。
Google mapの3D表示でも、その細長い形状が良く分かりますね。
滑走路の長さは3,390mで、その大部分が海上であったので、この海へ突き出た部分の長さを推し量ることができます。
同時に、クルーズ・ターミナルの巨大さも一目瞭然です。
このマップは、東側から西へ向けて眺めている形で、西の対岸には隣接している九龍の中心地区や、その南に向かい合う香港島のセントラル(中環)に林立しているビル群を眺める格好となっています。
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「100万ドルの夜景」と称えられる、香港の夜景。
定番のビュースポットである、香港島のビクトリア・ピーク(Victoria Peak/太平山)からの眺めです。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
手前の建物群のシルエットも、素敵なコントラストに見えたので、敢えて一緒に撮影してみました。
啓德空港は、画像右奥の方角にあります。
啓德空港は、この素晴らしい夜景にも、関わりを持っていました。
啓德空港の着陸誘導灯は、空港に隣接している地区の建物の屋上に設置してあったので、誤認を避けるために、市街地のネオンサインは点滅を禁じられていました。
このことが、香港の美しい夜景に一役買ったとのこと。
啓德空港の閉港後、この規制は必要なくなり、今日ではネオンサインの点滅は解禁されています。
今現在(2020年3月)、香港のみならず世界中が旅行どころではなくなっていますが、情勢が落ち着いた後に機会があれば、また香港を訪れて、気ままにあちこち訪ねまわりたいです。
それだけに、昨年の香港旅行でその滑走路の跡地を訪ねた時は、感無量でした。
大阪都心は、伊丹への着陸直前時に何度も眺めましたが、羽田の新ルートで、東京の夜景を正に「眼下に」眺めてみたいです。
空港が再び、誰もが安心して憩える場所になってくれることを、私も願わずにはいられません。
ただ、啓徳空港、特に着陸時のハラハラする景色だけは絶対に忘れることがないと思います。
羽田も新たな飛行ルートが加わり、友人が都心でも飛行機の姿が大きく見えるようになったと言っていましたが、啓徳空港着陸時のスリルは味わえそうもありませんね。
現在は空港はビクビクするところになってしまいましたが、またワクワクする場所に戻る日が近いことを祈るばかりです。