初サポートしてくれた高橋英司さん、
物凄く緊張したそうだ。
1度だけシャカシャカと合わせて
当日軽く確認したらもう本番。
私がやろうとしているのは
ライブであって「発表会」
ではないから
練習に練習を重ねた音を
再現するのとは違うなんて
思っているのですぅ。
会場のパセーラ「Sofa」は本屋さん。
奥の本棚の向こうに
素敵なスペースがあるのです。
宮角孝雄夫妻に声を掛けてもらい
氏の写真展「PEACE &JAZZ」で
ミニライブさせてもらった。
下見に来た時に
音響機材があったので
必要最低限の機材を持参。
相当な荷物になったが、良かった~
と思いながらセットアップ。
ら、マイクと本体を繋ぐシールドが
置いてないと分かった。
予備に1本だけ持参していたが
高橋さんのマイクの分がない。
初のコーラスありですもの、
どうにか調達せねばっ。
本番は15時。
既に14時。
そこで閃いた。
すぐ近くに「カワイ音楽教室」が
あることを。
私のサポートを長年してくれる
二人がカワイ講師なので
ラインしながら歩き始めた。
で、カワイ手前で高橋さんから電話。
借りて来たマイクスタンドに
ヘッドがないと。
めでたく2つとも借りられた。
持つべきものは音楽仲間(^^♪
毎回何かしらトラブルに見舞われて
かろうじてクリア。
むしろブログネタを生みだしてます。
ライブはとても好評だった。
少数ながら宮角さんの
熱烈支持者ばかり。
宮角さんいわく「濃いお客さま」。
ヒロシマの重要性を当地の人以上に
知っている人たちだった。
ヒロシマのテーマに出会い
突き動かされるように創作した私だが、
重たいテーマゆえ微妙に
避けて来た経緯がある。
「ヒロシマあっての新屋まりだ」
「ヒロシマを歌わなくてはダメだ」と
宮角さんに叱咤されたこともあるが、
あまりピンと来ていなかった。
以来、長年テーマが右往左往。
歌うこと自体が叶わなくなって
1年半ほど。
このまま活動を終えようかとも思った。
今年2年ぶりに「ヒロシマ」を歌った。
なぜか聞く人のリアクションが
これまでとは違う。
ヒロシマで私自身を取り戻した感がある。
会場に来られていた方が
「広島の人に向けて
発信しなくてもよい」と言われた。
目からウロコだった。
世界中の表現者にとって
8月のヒロシマで表現することは
物凄く意味がある事と言われた。
世界的な視点を持つべきだと。
宮角さんは正しかった。
毎年横浜から来られる斎藤さんは
NPO法人の会長さん。
いつも海軍の制服のような出で立ち。
颯爽としたとてもダンディーな方だ。
御年なんと91才!
宮角さんに撮影してもらった父の
写真を抱えて来ていた。
ライブ中に父のことを少しお話した。
「お父さんと同い年だ」と言われた。
私の歌と衣装を褒めて下さり、
皆さんと記念撮影で並ぶと
ご自身の帽子を被せて下さった。
「あ、お父さん・・」思った。
「がんばった」と
父から褒められた気がして
泣きそうになった。
歌っているからこその出会い。
ライブで与えられたものは
本当に大きい。
迷わず、シノゴノ言わず、
右往左往もやめて、
ただまっすぐに歌って行きたい。
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