子貢曰わく、孔文子は何を以て之を文と謂うや。
子曰わく、敏にして学を好み、下問を恥じず、是を以て之を文と謂うなり。(公冶長)
(訳)
弟子の子貢がおたずねした。
孔文子は、なぜ「文」と諡(おくりな)されたのでしょうか。
先生が言われた。
彼は、頭の回転が速く、行動もきびきびとしており、
目下の意見を聞くことを恥ずかしいと思わない。
これが文と諡された理由だよ。
孔文子:衛の大夫、名は圉(ぎょ)
衛の霊公の娘を妻にし、専断的であまり評判がよくなかった。
なのに、なぜ「文」という最高の諡が与えられたのか、
優秀な弟子である子貢は、納得がいかなったのだろう。
その質問に対して孔子は、孔文子の長所を示して答えた。
部下育成や組織活性化の研修で、「肯定思考」のひとつの
ワークとして「長所発見の姿勢」を行っている。
グループメンバーに対して、お互いに気づいた長所を
フィードバックしあうというもので、毎回、教室のエネルギーが
最高に高まる。私も、いつも楽しみにしているワークだ。
やはり、言葉だけの学習よりも、体で実感してもらうことが
効果的である。
人は、他人の欠点、短所にはよく気がつくものだ。
しかし、そこに気を取られすぎると、長所が目に入らなくなり
偏った見方、接し方をしてしまうおそれがある。
孔子は、それを戒めるために美点を示して見せたのだろう。
上司が、たんに言葉だけでなく、このような実践で示すことで
次の世代のリーダー、管理職が育っていくのではないだろうか。
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