創立65周年記念誌に掲載された、三谷和男関西支部長の記事をアップいたします。(伊藤元)
西高創立65周年記念誌がこのほど発刊され、その中でHistory1962(昭和37年度)の記事に、光本宏久氏(関西支部広報担当 4期生)の記事が掲載されましたので、ブログにアップいたします。(伊藤元)
2023.02.26 08:35
【高知西高】文武とも、おろそかにせず 「胸張って」卒業式へ―統合3校 母校の青春いつまでも
高知新聞社
高知西高3年生と教員ら(高知市鴨部2丁目の高知西高校)
文武両道をうたう高知西高校には、何かに一生懸命な生徒が多く通った。
谷井亜衣莉さんは吹奏楽部で全国大会に行くために、「伝統ある西高が一番近い」と進んだという。
高校生活は部活一色。オーボエを抱え、南国市の自宅を毎朝6時過ぎに出て路面電車で通った。「休みも朝から晩まで学校で練習。家では寝るだけでした」
ただ1年時の全日本吹奏楽コンクールは新型コロナ禍で中止に。2年時には県代表となり、四国大会に進んだが、全国切符は手にできず涙をのんだ。受験を見据えて、3年の6月に引退。願いはかなわなかったが、やり切った思いはある。最後の大舞台となった県民文化ホールの演奏会では「3年間の全てがこみ上げて、感極まって。泣きながら演奏してました」。
「国際的な仕事がしたい」と英語科に進み、英検準1級を取得した北村萌(めぐむ)さんは、3年になって初めて開かれた体育祭が忘れられない。
「それまでコロナで大声を出せなかったけど、応援合戦は力の限り声を出しました。みんなの声量がすごかった」。感染者が増えている中での開催で「先生が努力してやってくれた。感謝しかない」。
そんな2人は、放課後の同じ光景が目に焼き付いているという。グラウンドで練習に汗を流すサッカー部員たちの姿だ。
河崎立樹(りつじゅ)さんは元サッカー部員。校訓で、部のスローガンでもある「貫徹精神」を口にし「文武、どちらもおろそかにしない生徒がたくさんいた。国際生も、目標に向かってやり切る姿勢を受け継いでほしい」。真面目な顔で語った後で、破顔一笑。こんな思い出を披露した。
例年より規模を縮小して開かれた、昨年9月の文化祭。河崎さんらにとっては初めての文化祭。同じ部やバスケ部の友達ら10人ほどで即席のボディービル部員となり、全生徒が見守るステージに立った。「部活後の疲れてるときにみんなで筋トレして体を仕上げた」そうで、「音楽に合わせて上半身裸でポージング。めっちゃ盛り上がった」。
「大好き」という校長にも出演を依頼しており、舞台上で服を着たまま一緒にポーズを決めてくれた。さらに会場が沸いたのは言うまでもない。
河崎さんは「受験勉強をせんといかん時に『ばかをして』と思われるかもしれませんが、何ごとも突き通すのが西高なんです!」
バレーボール部の元主将、柴之然(ゆきなり)さんの楽しい思い出は淡路島への修学旅行だ。黙食を強いられた学校生活とは違い、昼間に屋外でバーベキューを「わいわい言って食べた。めっちゃ量が多かったけど『残すと悪い、全部食え』って、みんなで食べた」と笑う。
そもそもコロナ禍で部の合宿もかなわず、友人たちと一緒に泊まること自体が初めて。「夜に恋バナとかもして、ちゃんと青春ができた」。うれしそうに振り返った。
新型コロナ禍で3年間を過ごしてきた、各校の生徒たち。県立高校の卒業式は3月1日だ。柴さんは「最後の西高生として、胸を張って臨みたい」。みんなの思いを代弁した。(加治屋隆文)
【高知西高 沿革】
1957年、高知東高校(仮称)として高知市北新町(現・桜井町)で開校。翌年、現在地の同市鴨部2丁目に移り、名をあらためた。68年に英語科を設置。2014年に統合が決まり、21年度に同じ敷地に高知国際高校が開校した。校訓は「HARD SPIRIT 貫徹精神」。スクールカラーは青。22年度までの卒業生は2万4910人