のりん言の葉

心に残った出来事。書き留めておきたいこと。伝えたいこと。等々…

感情。。。

2010年01月25日 03時46分35秒 | 思い巡らす事
うれしい
 
さみしい

たのしい

かなしい

すき





言葉一つで表現できるけど、
その言葉の奥に潜む
その人その人の感情は
それぞれ。



その、奥のところの
心の動き様が
なんだか似てた。。。

2009年11月30日 09時28分45秒 | 思い巡らす事
アリゾナを離陸。
バージニアへと向かった。



窓際にすわって
空を眺めるのが好き。
ただただ、ぼーーっと眺める。
どこかへ旅に出るとき、
その旅路でいつも私は、今までの自分を振り返る。
空を見ながらそれをすると、
なんだか、いつもより深く振り返ることができる。



すべては繋がってる。



という感覚が、身体の奥から、自分の奥の奥の方から
溢れてくる。



身体を超えて
祈りをつないで
再びまたここで巡り会えるよ
僕らは愛さずに生きていけない
壊れる心に口ずさんで

同じ時代と
一つの空に
奇跡のカケラで
紡いだ歌を…
 

by..







大きな窓から見える
優雅なブルーリッジマウンテンを眺めながらの4日間。
今回の旅で、
また新たな光に出会い、触れ、吸収することができました。
本当に、ありがとうございます。



帰りも、ずっと空を眺めていました。

パート 3

2009年09月07日 11時57分28秒 | 思い巡らす事
やっとですね。笑。

もう、忘れてたよ…って?!
そう思われても仕方がないです。はい。

でも、待った甲斐があって(?)か、
一緒にボランティアしてて仲良くなったCA出身の女性から
写真付きメールが送られてきて。
その写真が きゃわいいの。
たまんないよ^^

っとまぁ。勝手に盛り上がる前に。。。
パート3で何を書くかというと…。
チェンマイにいた時にボランティアさしていただいていた孤児院でのこと。
です。

もう1カ月前のことになるんだね。
今でも、写真見るたびに、胸がキュンとなる。
色んな感情がこみあげてくる。
正直、今もしばらく手が止まってた。
何から書いたらいいんだろう。。。って。

まず、イントロ、ということで。
孤児院 Viengping Children Home の現在のBOSS、山本さんをご紹介します。

左が山本さん、右が私。
この孤児院は政府によって運営されてるので、基本的に責任者は4年サイクルで変わるそうです。
山本さんは、勤め始めて2年。
他の職員の方からも子供たちからも慕われ好かれている、
本当に、真面目で明るくて気さくで朗らかな女性です。
山本さんがBOSSになってから、
ボランティアに対する対応が積極的になり、
私の様に、「あの…ボランティアに興味が…」
とメールを送り、お邪魔さして頂いた数日後にボランティア開始というスムースさ。
驚きました。

この写真は、私のボランティア最後の日。
山本さんが、「渡したいものがあるから…」とオフィスに呼んでくれ、
お邪魔した時に撮ったもの。
温かいお礼の言葉と
タイ山岳部の伝統工芸の織物でつくられたポシェットを
頂きました。
孤児院に対する想いを真剣な眼差しを持って語る傍ら、
息子さんの写真を見してくれたり
「私の旦那の方が料理うまいのよ~~」と笑いながらの自慢があったり、
と本当に、フレンドリーで、エネルギッシュで。。。。
「孤児院の事、タイの事、分からないことがあったら、何時でも力になるからね!」
というお言葉を頂いた時には、
つい「お母さん!」と呼びそうになりました。笑


こんな素敵なお母さんを筆頭とする孤児院で始まった
私の二週間のボランティア。
向ったのはベイビールーム。
約30人の幼児(当時、下は22日歳~2歳)と3~4人のスタッフ。
そして、私を含め、3人のボランティア。

絶えない泣き声。
ひっきりなしの、布おむつ交換。
はい、つぎ!はい、つぎ!のシャワータイム。
いつのまにかひっくり返されるお椀。


人手が足りない。
これが初日の感想だった。いや、今もそう思う。

あ、泣いている。。。
「どしたんね??」と抱き抱える。
9割の子は、あっという間に泣きやむ。
あっというま。
「あれ?赤ちゃんってこんなに直ぐ泣きやむ?しかも、こんな見慣れない奴に抱かれて…」
と、泣きやんでもらえて嬉しい気持ちの半面、正直驚いた。
………以前、お友達の赤ちゃんを抱かしてもらった時には、逆に泣きだされてしまうことがあったから。
この子たち、やっぱり何かちがう。
とすぐわかった。
愛が足りないんだ。
0歳、1歳にしてそれは明らかだった。
その事実を痛感して涙が出た。

子供たち一人ひとりに対するケアに余裕のないスタッフたち。
人手が足りないから仕方ないこと。
だからこそ、私たち!っと、同じ様なモチベーションで
ボランティアに来ていた2人と一生懸命に動いた。
子供たち一人ひとりの個性をしっかり見つめながら一緒に過ごした。

私の場合、2週間という短い間だったけど、
この2週間でも確かに手ごたえはあったように思う。
遊戯室の雰囲気。子供たちの笑顔。減った泣き声。

ここで、何枚かの写真を貼り付けながら、
可愛い子供たちの紹介をしたいと思います。


まずはこの子。
基本的に一人で静かに遊んでいることが多くて、
ひと肌が恋しくなると、唸るの。
泣かない。唸るの。
「うぅぅ”~~ぅぅうぅぅ」と目をつぶって唸りながら、
ハイハイをして、私を含めた大人のもとへ近寄ってきて。
ハイハイで伸ばした手が、足、腕に触れるとそこでしがみ付き、しばらく停止。
「だっこ~だっこ~」というおねだりもなく、
そこで、しばらく停止。
可愛すぎて、もちろん抱き上げるけどね。
彼の、サイレントタッチには何度か驚きました。
わき腹をくすぐられるのが、大好物。



お次はこの子。
彼の仕草に、驚きました。
ぼーっと、冷めた顔をしながら、頬杖つくの。左手で。
この写真ではしてないんだけど、ほんと、頻繁にするの。
泣きやんだ後も、ベビーベッドにいるときも、まわりの子供ががちゃがちゃおもちゃで遊んでてその勢いで頭殴られた時も。
この子も、あまり泣かない。
でも、一度抱くとね、離さない。
離した時には、声帯ちぎれそうな程の声で泣く。
あやしても笑わない。
くすぐっても、いないいないばーも、たかいたかーいも、おもちゃも。
逆に、泣きだすの。
始め、私も、少してこずり、(2人のボランティアもてこずって諦めかけてた)
でも、自然と、
ただひたすらずっと抱いてた。
どこを見てるのか、どこか一点をずーっと見つめてる彼の目を見つめながら、
ひたすら抱いて、子守唄を歌ってた。
彼はホッとしたのか、いつもそうすると、すーっと眠りにはいっていった。
2時間くらいそうしていると、彼は安心するのか、
私の目を見つめるようになって、
私に抱かれていた手が離れて、すこし泣き出しそうになっていても、
「大丈夫、直ぐ戻ってくるけんね」
といったら、泣のをこらえた。
私が他の子供をみて、彼のところに戻ると、
彼は、「あ、いた。」と言わんばかりの表情をして、
目を合わして、微かにニコっとするようになった。



お次はこの子。
この子も、一人あそんでて。
ごろごろころがって、
その時その時自分の手にあるモノを宙にあげて、静かににこにこしてる事が多かった。
滅多に泣かない。
始めは、泣いて抱っこを求めてる姿を一度もみなかった。
おしっこ・うんちで、おむつがぐちょぐちょでも、
ぼーっとしてるか、静かににこにこ。
その子がさ。
見て、この笑顔。


(この3枚は、さっきお話ししたCAのお友達から今日送ってもらったもの)


見て!
うちに負けてないでしょ、この笑顔、笑。
私と目が合うだけで、手をぱちぱちしながら笑うようになったり、
一緒に遊んでいて、
ちょっと他所へ行こうとすると、
「もっと~~」とおねだりするようになったり、泣くようになったり。
以前より、もっと感情を自由に表現するようになった。
私が、孤児院を去ってからも、
しばらく孤児院にいたCAの女性からメールで、
「C君、断然、始めよりも他の子供たちと遊んだり、自分から周りにむかって行動を起こすようになってるよ!」
と、連絡が入り。
もう、それを聞いた時、嬉しくてたまらなかった。
すごく心配だったから。



ここで紹介した3人の子たち、(他にもいるんだけど、スペースと写真が・・)
私が主に触れ合った子供たち、
に共通してるのは、「滅多に泣かない」ということ。
泣かないのが良いのか?というと、
それは状況によりけりで。
この子たちの場合は、
「諦めてる」という状態。

泣く(だっこしてほしい、かまってほしい、おしめ濡れてる、お腹すいた、等)

誰も来ないから、まだ
泣く

まだ来ないから
泣く

泣きつかれる

これが、何度も繰り返されたんだろうと思う。
普通だと、
「泣く=ケアが得られる」
となるところが
「泣く=疲れる」→「ま、いいや」
と、彼らの中でなってるように思えた。

約30人の幼児に3~4人のスタッフという状況下で、
泣かない子どもたちは
自然と、スタッフからのアテンションが得られなくなる。

それに、慣れてしまったのかな。
何度、彼らの泣き声は軽視されたんだろう。
生きるための必死な訴えなのに。



衣食住がそろっていても、
温かいタッチ(優しく触れてもらう事)がないと
死んでしまうのは人間の赤ちゃんだけだと聞いたことがある。

どのような触れ合い・タッチをケアギバーから与えられるかによって、
その子の他人と触れ合う上での行動パターンの土台が築かれるということも心理学の授業で学んだ。

生まれつき人間は

  ●   ●
   
    ●
のフィギュアには興味をしめすけど


    ●

  ●   ●
には興味を示さないということも
科学的に証明されているらしい。


産まれて、4~5か月ころから(勿論個人差あり)
相手(主にケアギバー、何時も面倒見てくれている人)の表情を真似し、学んでいくということも、証明されている。



色々な事が証明され、
母体と胎児の関係、
産まれてからの赤ちゃんに対する影響が
一人ひとりの精神の成長をどれだけ左右するのか、
徐々に明らかになってきている。


「まだ、お腹にいるから…」
「赤ちゃんだから分かってないよ」
「まだ、赤ちゃんだし、関係ないって…」
こんな考えは、もう古い。

お腹に宿った命、
産まれてきた命は、
もう、その時点で、

一人前の人間だと、私は思う。




もし、このViengping Children Home でのボランティアに興味のある方、
子供たちを養子として引き取りたいというお考えのある方、
または、この様な事に興味のある方が周りにいる方、
是非、私にご一報下さいまし^^

パート 2

2009年08月25日 12時00分30秒 | 思い巡らす事
2年前にたまたまネットサーフィングしていて出会いました。
一目ぼれでした。
素直に、「これだ」と。大きな家族、ban rom sai。

当時、私は、
英語のクラスの最後のエッセイで、(以前の投稿で紹介した、フリーダに似てる先生、ヘレンケラーの映画を授業で鑑賞した時の)
「今まで読んできた著名人の書物を活用して、あなたの好きな事を書きなさい」
という、なんとも寛大な先生のお言葉に甘え、
「私たちの未来をよくするために」というような、
デカクでたものを書きました。

正義について説いた John Rawls と Martin Luther King Jr. と Martha C. Nussbaum
教育について説いた John Dewey と Frederick Douglass
その他もろもろ…

世界をより良いものにするために、活躍された人達。
私が読んだ全てのものに共通していたことは、
「人間としての命を最大限に活用して生きること」

「よくするために」という言葉に含まれる「未来」への想い・願い。
じゃあ、そのために、私たちに何ができる?
という疑問の前に私が考えたのは、
「子供がいなきゃ私たちの未来はない」。
良い世界には、良い人間が必要。
良い人間を育てること。
これが、私たちが未来をよくするということに繋がっていくのではないかと、
こう思ったのです。

良い人間、というと聞こえが悪いと思いますが、
ここでいう私の「良い人間」は、
著名人の方々が唱えた「人間としての命を最大限に活用して生きる」人間です。
そして、この「最大限に活用」というのが、
以前私がお話しした、
GENIEとヘレンケラーの、二人の件のお話に繋がるのです。
人間の、「人間としての命を最大限に活用」出来るか否か、
これは、幼少時代までの成長・環境にものずごく深く繋がっています。
実は、胎児の時からそれは始ります。

じゃ、それらを得られなかった子供は手遅れ?
そうではありません。
でも、幼少時代(特に3歳までといわれている)までに出来た心の傷を癒すことは、ものずごく難しいのです。
その傷は、主に潜在意識のレベルなので、意識的に直すことは難しいのです。

また、別に最大限じゃなくっても…。最大限って難しい…。
って思われる方もいるかもしれません。
私もそう思います。
でも、私たちで最大限の努力はしてみましょう!
何をするか?
一人の人間として尊重し、愛することです。

その努力を、HIVに母子感染した29人の子供たちの為に注いでいるのがこのban rom sai です。
ban rom saiのドキュメンタリーを見てみる


コンセプトは、「大きな家族」。
我が子供の為にと、
地域で根強く残っているHIVの人たちに対する偏見・差別をなくす運動もしています。
その成果、子供たちは、HIVだからと拒否されていた学校にも通えるようになりました。
敷地内に建てられた図書館は、
地域の人たちも利用できるようになっていて、
それも、差別・偏見をなくすことに一役買っています。

ban rom saiが建てられたのは約10年前、
すくすくと成長していく子供たちに教えるのは「自立性」。
部屋のお掃除、ご飯の支度、子供たちが自ら進んでしている姿が目に入りました。

同じ敷地内で行われている、
ゲストハウスの運営、衣料製品の制作。
「働く」という行為が自然と子供たちの目に入るように…という想いもあるようです。

ban rom saiの素晴らしいところの一つは、
資金を寄付金だけに頼らないところです。
名取さんはおっしゃっていました。
 「募金おねがしまぁ~~す。あなたの助けがぁ~…」って、それだけに縋るの
  は、なんだか物乞いみたいでいやだったの。
  それに、寄付金から入るお金だけだと不安定であてにならないでしょ。
この想いから始めたのが、
先程も少し話した衣料製品の販売、ゲストハウス、子供たちのアート盛りだくさんのギャラリー展、書籍 等です。
予算以上に得たお金を使って行われたのは、家族旅行。
大家族でタイ南部・プーケットまで行かれたそうです。
「子供たちに色んなものを見て、感じてほしいから」
と名取さんはおっしゃっていました。

ban rom saiの見学を終えて(ガイドしてくださったのは麻生さん)
予定より早めに、予約していた「土の家」にお邪魔させていただきました。
これが内装です。


この土の家は、以前ban rom saiで働いていた大地さんという方が、
赤土から一年かけて造り上げたものらしいです。

その他、二つのゲストハウスは、
デザイナーとしても活躍してる名取さんご自身と、インテリアデザイナーの娘さんで協力してデザインしたものらしいです。
二つとも、とてもシンプルで粋なデザインです。
よろしかったらban rom saiのHPでチェキラってくださいね^^

短時間でしたが、本当、我が家の様にホッとした時間をこの家で過ごしました。
お昼は、無料貸し出しの自転車で、
自然が奏でる音色をバックに好きな音楽に時たま耳を傾けながら・歌いながら3時間ほど細道を駆け回って、
家に帰って、自転車で出かける前に採って冷やしておいたラムヤイという果物を頬張って…。
(ban rom saiの敷地はもともとラムヤイ畑だったので、いたるところにラムヤイの木があるの。麻生さんが「食べ放題だから」とおっしゃっていたので。。)
ban rom saiから借りた、
佐保美恵子さん著書、「生きるって素敵なこと!-美和が問いかける幸せの形」という本を片手に、
コーヒーを淹れて、買ってきたクラッカーと一緒に堪能。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062120968/ref=cm_rdp_product_img
(本の紹介)
そして、待ちに待っていた、
ライトアップされたプール。
宿泊者は私一人だったので、貸し切り状態で泳ぎました♪
(プールの写真はデジブックのアルバムに載せてます)

ここでちょっと耳寄りなお知らせ!
9月全国ロードショー決定の映画
「プール」 http://pool-movie.com/
監督:大森美香さん
出演:小林聡美さん・加瀬亮さん・もたいまさこさん・伽奈さん
映画の舞台はなんと、このban rom saiのゲストハウス。
そして、私がお嬢様気分を味わったこのプールが、映画でのメインスポットなのです。
みなさん、もしよろしかったら御覧になってみてください^^
この映画のキャッチフレーズ
「理由なんて、愛ひとつで十分だ。」
なんとも、私好みです。

この映画を通して、より多くの人がban rom saiの存在を知って、
より多くの人が、子供たちの事を考えるようになって、
家族の在り方について考えるキッカケになればいいなぁ…と願っています

ということで、お嬢様気分も束の間、
お部屋に侵入してきた猫のグッドモーニングコールと、
鳥達が家の屋根をかさかさと移動する音で目が覚め、
美味しく、心の温まる朝食を頂いた後、
早速、お暇の準備。

帰る前に、名取さんに会いたい!と
鈴木さんにお伝えしたところ、
「名取さんは今、日本での講演が終わってタイに昨日帰ってらっしゃるのですが、 今はバンコクにいらしてまして。
 おそらく今日の夜には…。でも、スケジュール が分からないので、麻生さんにメールで聞いてみてください」
というお返事。
肩を落として帰る自分に、
絶対会えるから、とりあえず麻生さんに連絡してみよう!
と後押しする自分。
翌日の朝、さっそく麻生さんにメール。
そして、その次の日、13日に時間が取れるとのお返事。
よっしゃ!とガッツポーズをとった手がだらしなくブランと垂れ下がったのが13日の朝。
麻生さんから、
「ごめんなさい。都合が悪くなりました。
 今週の名取のスケジュールはとても忙しくて、はっきりとしたことは言えませんが、今のところ14日の午前10時ということでどうでしょう? 
 また変更があり次第連絡します」。
大丈夫、きっと会える。
と自分に言い聞かせ、14日の朝を待ちました。

麻生さんからの連絡はなし。

ということは…。

そうです!



この写真が物語ってくれてるでしょ?
この達成したって感じの表情。笑

名取さんは本当に、
キリッと、でも、とても気さくで温かい人でした。
30分という短い時間でしたが、
二人で、私が上記に述べた、子供の事、これからの事を語りました。
ban rom saiの子供たちも、それぞれ色々なバックグランド経てここにきており、
幼少時代の傷を今も引きずってる子は少なくないという事実。
その傷は、幼い時は幼い時の形で表現され、
思春期の今では、それがまた違う形で表現されているとおっしゃっていました。
それと、HIVの悪化を抑制するお薬の副作用のこと。
副作用のないお薬はないわけで、
でも、事例がない故に、どういう形で副作用が起こっているのかが分からない。
お薬に対する、変化・状態を正確に述べることは子供にはまだ難しく。
その副作用は、フィジカル的なもの、もしかしたら、メンタル的なものかもしれない。ということ。

子供の事、家族の事は、全ての人に共通する重大な事なのに、
国はまだ、その重要性に真正面から取り組もうとする余裕がない。
だからこそ、私たちがNPOやNGOで組織を立ち上げて、
まずは一人一人から、家族から、地域から…と、
土台のしっかりとした運動をする必要がある。
各地の地域が動き出すと、もしかしたら、国も動き出すかもしれない。
それぞれの国が動き出すと、世界が動くかもしれない。



ban rom sai。
ガジュマルの木の下の家 という意味を持つこの言葉。
ガジュマルの木は神聖な木で、幸運・守り神の木と考えられているそうです。
名取さんは、ban rom saiという場所が、
子供たちにとって、ガジュマルの木のような存在でありたいという願いを込めて名前を付けたとおっしゃっておりました。

この写真が、ban rom sai 大黒柱のガジュマルの木です。

さすが、熱い思いを抱く、このban rom sai。
案の定、こんなに長くなってしまいました。
最後まで目を通してくださった方、本当にありがとうございます。

では、最後に、

発展国も、発展途上国も、
大人が仕出かす惨事の犠牲者は、罪のない子供達です。
この世界が、国々が、各地域が、各家族が、
これから生まれてくる子供たち、今生きている子供たちにとって、
ガジュマルの木のような存在になれるように。
私たちも、しっかり根を張ってすくすく成長していきましょう。

パート 1

2009年08月24日 02時45分13秒 | 思い巡らす事
ということで、先ずは観光のお話から。。。
はじまりはじまり…♪

チェンマイの街は、本当に、一歩踏み出せば自然がすぐそば。
住んでいる人も、そんなにガツガツしていないし、
野良犬達も、同じくガツガツしてません。
バンコクに住んでいるお友達(ゲストハウスで仲良くなった。ブックマークに彼女のBLOGのせてます)
曰く、チェンマイではバンコクに比べて物価も半分くらいとのことです。
お土産等のお買い物をするなら、毎週末行われるマーケットが一番。
ナイトマーケットよりも安いです。

土地柄、お水の心配をしてる方もおられるかと思いますが、
大丈夫なお水はとても安く手に入ります。
まず、スーパーで10バーツ(30円)くらいの1.5Lの水を買って、
その後はその空きボトルを利用して、
道端にある給水機で足す。だいたい1Lが3円。
私は全くお腹壊さなかったので、大丈夫なお水だと思います。

困ったのは、コーヒー。
毎日一杯は飲むこれ。
タイコーヒーは甘いのなんのって…。
さとう&コンデンスミルクですもの。
「あの…砂糖すこ~~~~しだけで」と
たどたどしいタイ語で伝えて、「OK!!」という頼もしい返事が返っては来ても、
コンデンスミルクは欠かせない!
ミルクだけ入れて飲むことに慣れてる私には…う”ぅぅ…。
しばらく耐えていた私に、同じくボランティアをしてたKちゃんが、
ゲストハウスの付近のベーカリーで普通のコーヒーが買えることを教えてくれて。
それから、通いました。毎朝。

ッと…。

観光と宣言しておきながら、またそれた。
ので、写真はって進めますw

チェンマイを南に進んだところにあるのが
Doi Inthanon National Parkです。
滝に自然温泉に村々にと盛り沢山。
出発前日、一緒に行ったお友達に「滝で泳げるから!」
と言われて、まんまと涼しい恰好で挑んだ私。

最初に向かったDoi Inthanonの頂上は2565m。
霧に、雨に、風に…。
時期も悪く、息を呑むはずであろう景色で飲んだのは涙。
霧で真っ白。
ぱぱぱっと来た証に写真を撮り収めて車に駆け込む次第。

そこから山を下り、着いたのは、
昔ながらの生活スタイルが今も残る村。
一面に広がる田んぼに山々。
白い地獄から逃れた安堵感と、その緑の綺麗さに、
口は常時半開き。

ここから源泉地へ向かい、
パークのスタート地点にもどって昼食。

パークの入り口付近にあるのがこの滝です。
Mae Ya Waterfall。


この滝の次に行ったのが、Mae Klang Waterfall。
個人的に、最初の方が 形と水の勢いが好きでした。
なので改めてここに写真添付。

また違う日に、観光に行ったのは
Doi Suthepという山手にあるお寺です。
ここにはブッダの骨が祀られているらしいです。

このお寺に行く途中。
チェンマイの街を山から見下ろした写真です。
たまたまチェンマイ空港から飛行機が離陸してたので、
そこをパシャリ。


こんなかんじでしょうか?

本当に観光への知識は疎いです。。。笑
皆さんの方が知ってたりして。。

あ、
タイでは麺類すすっちゃだめですよ!
あと、基本はフォークとスプーン。
お皿は持ち上げないこと。
これらがエチケットだそうです。

っと。
ありったけの知識を振り絞るのもなんだかこっ恥ずかしいので…。
この辺でwww

最後に…。
私、現地の人にタイ人っぽいとよくいわれたもんです。
タイ語で話しかけられることも茶飯事。
そこで覚えたタイ語。
「まい かうじゃい ぱーさー たい かー」


さわっでぃーかー


ムービープラス更新しました。
チェンマイから帰って初のムービー。

チェンマイの思い出

2009年08月22日 16時39分49秒 | 思い巡らす事
チェンマイから戻って、数日経ちました。
チェンマイ~台北行きのフライトから、何らかしらの菌をもちかえったのか、
くしゃみ・鼻水・喉イタ の三拍子。
おぉぉ、やべ、もしかして締めがインフルエンザ?!
と半ベソかきながらアメリカに帰国。
関節痛・発熱の様子はないし…♪
と鼻水垂らしながら良い気になってるここ数日。
順調に回復しております。

なので、徐々に、チェンマイでの想い出を綴っていこうと思います。

まず、始めに。
何時間か前にフォトアルバムの様なものを更新したので、
よかったら見てみてください。

何から話そうか…な。
3パーツに分けようと思っております。今のところ。

1.チェンマイ観光
2.バーンロムサイでの出来事
3.孤児院ボランティアを通して

てなかんじで。
如何でしょう?笑

今回はパート1、チェンマイ観光です。

の前に!
すごくラッキーだったお話から。。。

ロスから台北、飛行機乗り替えて、台北からチェンマイへという経路で行きました。
なので、ロスから台北行きの飛行機の中には、多くの方の目的地が台北でした。
ところがどっこい、私の隣の席で本を読んでいる女性の本がタイ語だったのです。
こ、これは!とすかさず、彼女に話しかけました。
案の定、彼女はチェンマイ出身のタイ人。現在はロスの病院でICUの看護師。
タイの事、看護の事と色々話が盛り上がり、チェンマイまでの長い旅路を楽しく過ごすことができました。
その彼女が、女一人の初チェンマイを心配して、泊る予定だったゲストハウスまで車で送ってくれたのです。
右も左もちんぷんかんぷんな私にとって本当に有難い存在でした。
その後も、「元気にしてる?楽しんでる?」と電話をくれて、お母さんの様に優しく気遣ってくれました。
この順調な出だしが、まだまだ続くのです。
アメリカを発つ前から、色々な組織・孤児院にメールを送って、ボランティア先を探していたのですが、インフルエンザの流行・政府の取り決め等で、どこからも良い返事は返ってこず…。
実は、チェンマイに着いても、まだ、ボランティア先の孤児院がみつかってなかったのです。
チェンマイ2日目、たまたま入ったカフェでシェイクを飲みながら、PCを借りてメールをチェックしてると、Viengping Children's Homeという孤児院からお返事が。「是非ボランティアしにいらしてください」とのこと。
やった!!!!!と、最高潮な私とは裏腹に、チェンマイの土地勘が全くしっくりきてなく、ちゃんと辿り着けるのか不安な私。
そこで、泊っていたゲストハウスで知り合った日本人の方に尋ねてみると、自分はイマイチよく分からないから…と、タイ人でガイドとして働いている方を紹介して頂いたのです。
そのタイの方と、その晩夕食を一緒に食べ、孤児院の事を尋ねると、「もちろん知ってる!」となんとも頼もしい返事。
彼は、ガイドのお仕事とは別にボランティア団体で活動していて、この類の情報に精通してたのです。
ということで、正に、トントン拍子。
なんと、チェンマイ3日目にして、Viengping Children's Homeを訪ねることに成功!
必要な書類を提出し、その3日後から二週間ボランティアさしていただけることになったのです。

おおお。
パート1を書くスペースがなくなりつつある。

っと、こちら深夜2時過ぎ。
そろそろおねむの時間。。。



私、もともと観光目的じゃなかったので、お寺の事とか、観光スポットの事とかまったく調べずに行ったので…大したこと言えないかもしれませんが…
私が見たチェンマイという感じで、綴ってみようと思います。

ということで、今回は

パート0(ゼロ)、THE END。

Secrets of The Wild Child [1]

2009年02月24日 01時32分22秒 | 思い巡らす事
GENIEのドキュメンタリーを見てみる in English

前の文で、私たちと言葉の繋がりのようなものを書きましたが、
私が感じることをもう一つ。

もし、貴方・私に生まれたての人間の命があるとします。
私たち次第で、きっとその子がどのようになるかということは、きっと、決まってしまいます。
大げさな話、殺せばそれまで。でしょう。
その人その人の"基盤"になるようなものは、主に0歳から5歳の間にほぼ確立されるといいます。
言葉も、その時期を逃すと、
単語は覚えられても、グラマーの概念が身につかないといいます。

ヘレンとGENIEの例を取り上げても、
それは明らかなのですが、
育てる側(所謂、親)の態度・姿勢でほぼ確定してしまうのです。
遺伝子の問題ももちろんあるかもしれません。
でも、私にはそれはたまに人間の言い訳のように聞こえるのです。

五体不満足でも、愛情を十分に注げばヘレンのような可能性は秘めているとおもうし、
逆に、五体満足でも、愛情を十分に注がなかったら、GENIEのようになるという可能性を秘めていると思うのです。

優劣をつけるわけじゃありません。
ただ、罪のない子供に、悲しい思いをさせたくないだけです。
子育てだけではなく、戦争も関係してます。
家族がしっかりしていても、戦争はいとも簡単にそれを壊してしまいます。

身近なところで、今の私ができること、
それはこのように、誰かに伝えること。
それと、自分の中で、
自分がどんな命を授かろうと、大切に育てることを自分に誓うこと。

P.S.
ここに載せているのは、GENIEに関するドキュメンタリーです。
PART6まであるので、もしよかったらご覧ください。

The Miracle Worker 最後のシーン。ヘレン・ケラー

2009年02月23日 01時36分44秒 | 思い巡らす事
The Miracle Worker ラストシーン見てみる

注))あ、まず始めに!
   この文章は長いので覚悟して。
   興味なかったら、オブラートよりも軽く流して下さい。

一年半程前、CAの短大で英語のクラスをとっていました。
私はその英語の先生が大好きだったのです。
勿論、今でも好きなので、時たま連絡を取らさしてもらってます。
南米のARTISTのFRIDA KAHLO



この写真の女性です。
彼女にそっくりの、ベネズエラ出身の先生なの。
先生が、最後の授業の時にクラスで、
この"The Miracle Worker"の映画を紹介し、クラスで鑑賞しました。
その時から、この映画は私の大好きな映画の一つです。
このシリーズは何年にもわたって取り直されてるらしいですが、
先生曰く、このバージョンが一番良い!とのことです。
なるほど…。登場人物の演技っぷりに圧巻です。
ご覧ください。

ヘレン・ケラーのことが昔から大好きで、
小学生の時から、ヘレン・ケラーに関する本を何故だか読み漁っていました。
歴史上のどんな偉い人よりも、何故だかヘレンに惹かれたのです。
中学・高校と、ヘレン・ケラー書物あさりにブランクがあっての、
大学で、こんな素敵な形での再会。嬉しいですね。
先生有難うございます。


皆さんよかったら、想像してみてください。
もし、生まれたときから、
耳が聞こえない・目が見えない 状況だったら…。
「あんよ」「まんま」「たっち」…
言葉という概念がないのです。
自分に名前があるということすら知らない。
肌に触れるもの・匂い・味覚のみ。

ヘレンの伝記に、
ヘレンの家族は、「言葉を持つ前のヘレンは野生動物のようだった。」
と記しています。
実際、この映画で、ヘレン役の女性は本当に動物のようにふるまっていました。
演技だからねぇ…と思う方もいるでしょう。
でも、私は、この演技はそれほど大袈裟なものではないように思います。
私がここに載せているのは、
この映画の最終シーン。
ヘレンが初めて言葉という概念を感じる瞬間。
「WATER」
ヘレンはこの時のことをこのように表現してます。

「突然、私は靄ついた意識の中にある何か忘れられていたようなもの、戻ってくるという感覚を帯びた感情へのゾクゾクとした心の振動を感じた。そして、どういうわけか(上手く表現できないけれど…というニュアンス)、言葉の神秘的な力が私をハッとさせた。【water】というものが、私の手に流れてくる冷たくて・素晴らしいものであることをしったのです。そのイキイキとした言葉の存在が、私の魂を呼び覚まし、光と希望と喜びを与え、自由を感じたのです」

この瞬間をキッカケに、ヘレンは言葉を覚えるようになり、
(映画の中でも、WATERと立て続けに、ground, step, bell, mother, papa, teacher…)
英語以外の言葉もマスターし、講演等の活動もするようになりました。


でも、ここで一つ私の心に引っ掛かること。
目と耳が不自由ではなくても、
言葉(所謂、人間の言葉)を身につけてないモノ。
こういう類の例は、極端なものですが。
1970年にCA・LAで発見された12歳の少女GENIE。
GENIEは生後間もなく両親に監禁、12歳になるまで。
声を発することを12年間罰せられ、
発見された当時に発すことのできた言葉は「STOP IT」「NO MORE」
彼女に携わった研究者の方々は、GENIEのことを、
人間のようではなかった…ととあるドキュメンタリーで述べてます。

その他にもこのような、例は世界中で発見されてます。

人間は、何を持って「人間である」というのでしょうね。
人間の定義もきっと人それぞれです。
定義なんていらないのかもしれません。

でも、
今の、
私たちが築いてきたこの世界に、
言葉は欠かせないものになってます。
日ごろ当たり前のように使っている道具。
だからこそ必要不可欠。
今の時代に、言葉はきっと「人間である」ということと深く関わっているんだと思います。
だからこそ、ヘレンが有名になるわけだし。
GENIEのような女性がニュースになるのだろう。

人間の可能性って不思議ですね。

もし、仮に、
生まれたときから、私が、この世界にたった一人の人間だったら…。
と考えてみて。
きっと…言葉(所謂、人間の言葉)は必要ないな…と思うのです。
皆さんはどうですか?
ありえないことですが、考えてみると面白いものです。

これを思うと、
言葉の必要性って「他人がいること」と深くつながってるんだなと思うのです。
伝えたいという想い…、なのでしょうか。
きっと、原始時代の時の言葉と比べて、今の言葉は複雑。
だから、きっと昔に比べて、私たちの感情も複雑になってる。


こ~んなことをね、ぼーっと考えて。。


言葉がなかったら、
この、「チャットの場」なんて存在しないんだろうな…と
思想を繋げてみるのです。