The Miracle Worker ラストシーン見てみる
注))あ、まず始めに!
この文章は長いので覚悟して。
興味なかったら、オブラートよりも軽く流して下さい。
一年半程前、CAの短大で英語のクラスをとっていました。
私はその英語の先生が大好きだったのです。
勿論、今でも好きなので、時たま連絡を取らさしてもらってます。
南米のARTISTのFRIDA KAHLO
この写真の女性です。
彼女にそっくりの、ベネズエラ出身の先生なの。
先生が、最後の授業の時にクラスで、
この"The Miracle Worker"の映画を紹介し、クラスで鑑賞しました。
その時から、この映画は私の大好きな映画の一つです。
このシリーズは何年にもわたって取り直されてるらしいですが、
先生曰く、このバージョンが一番良い!とのことです。
なるほど…。登場人物の演技っぷりに圧巻です。
ご覧ください。
ヘレン・ケラーのことが昔から大好きで、
小学生の時から、ヘレン・ケラーに関する本を何故だか読み漁っていました。
歴史上のどんな偉い人よりも、何故だかヘレンに惹かれたのです。
中学・高校と、ヘレン・ケラー書物あさりにブランクがあっての、
大学で、こんな素敵な形での再会。嬉しいですね。
先生有難うございます。
皆さんよかったら、想像してみてください。
もし、生まれたときから、
耳が聞こえない・目が見えない 状況だったら…。
「あんよ」「まんま」「たっち」…
言葉という概念がないのです。
自分に名前があるということすら知らない。
肌に触れるもの・匂い・味覚のみ。
ヘレンの伝記に、
ヘレンの家族は、「言葉を持つ前のヘレンは野生動物のようだった。」
と記しています。
実際、この映画で、ヘレン役の女性は本当に動物のようにふるまっていました。
演技だからねぇ…と思う方もいるでしょう。
でも、私は、この演技はそれほど大袈裟なものではないように思います。
私がここに載せているのは、
この映画の最終シーン。
ヘレンが初めて言葉という概念を感じる瞬間。
「WATER」
ヘレンはこの時のことをこのように表現してます。
「突然、私は靄ついた意識の中にある何か忘れられていたようなもの、戻ってくるという感覚を帯びた感情へのゾクゾクとした心の振動を感じた。そして、どういうわけか(上手く表現できないけれど…というニュアンス)、言葉の神秘的な力が私をハッとさせた。【water】というものが、私の手に流れてくる冷たくて・素晴らしいものであることをしったのです。そのイキイキとした言葉の存在が、私の魂を呼び覚まし、光と希望と喜びを与え、自由を感じたのです」
この瞬間をキッカケに、ヘレンは言葉を覚えるようになり、
(映画の中でも、WATERと立て続けに、ground, step, bell, mother, papa, teacher…)
英語以外の言葉もマスターし、講演等の活動もするようになりました。
でも、ここで一つ私の心に引っ掛かること。
目と耳が不自由ではなくても、
言葉(所謂、人間の言葉)を身につけてないモノ。
こういう類の例は、極端なものですが。
1970年にCA・LAで発見された12歳の少女GENIE。
GENIEは生後間もなく両親に監禁、12歳になるまで。
声を発することを12年間罰せられ、
発見された当時に発すことのできた言葉は「STOP IT」「NO MORE」
彼女に携わった研究者の方々は、GENIEのことを、
人間のようではなかった…ととあるドキュメンタリーで述べてます。
その他にもこのような、例は世界中で発見されてます。
人間は、何を持って「人間である」というのでしょうね。
人間の定義もきっと人それぞれです。
定義なんていらないのかもしれません。
でも、
今の、
私たちが築いてきたこの世界に、
言葉は欠かせないものになってます。
日ごろ当たり前のように使っている道具。
だからこそ必要不可欠。
今の時代に、言葉はきっと「人間である」ということと深く関わっているんだと思います。
だからこそ、ヘレンが有名になるわけだし。
GENIEのような女性がニュースになるのだろう。
人間の可能性って不思議ですね。
もし、仮に、
生まれたときから、私が、この世界にたった一人の人間だったら…。
と考えてみて。
きっと…言葉(所謂、人間の言葉)は必要ないな…と思うのです。
皆さんはどうですか?
ありえないことですが、考えてみると面白いものです。
これを思うと、
言葉の必要性って「他人がいること」と深くつながってるんだなと思うのです。
伝えたいという想い…、なのでしょうか。
きっと、原始時代の時の言葉と比べて、今の言葉は複雑。
だから、きっと昔に比べて、私たちの感情も複雑になってる。
こ~んなことをね、ぼーっと考えて。。
言葉がなかったら、
この、「チャットの場」なんて存在しないんだろうな…と
思想を繋げてみるのです。