検察が政治に介入し、その検察側にたって、マスコミが世論を誘導し、
自分たちに都合の悪い政治家を社会的に抹殺する、
っということをこの国はずっと繰り返してきたのだ。
権力にとって都合のいい政治家は国民生活にとって最悪な政治家だということを
コイズミ政権以後、ずっと見てきて確信した。
小沢さんの魔女狩り裁判を通して、この国の検察の悪、司法のいいかげんさ、
そういうものに巻かれる信念のない政治家たちが、白日のもとにさらされてきた。
小沢支援のデモや集会が今年になってすごく増えている。
立ち上がる人々がたくさんいる。
わたしも昨年と今年の2月にたくさんの仲間といっしょに国会議事堂前で声をあげた。
検察や司法に憂う議員の方が10名ほど、一緒に声をあげてくれた。
自分が動かなければ何も変わらないと思った。
動いても変えることはむずかしいのだけれど、それでも一緒に動く仲間はたくさんいた。
小沢さんひとりに戦いを押し付けていても相手が巨大過ぎる。
仲間のみんなもそう思ったからこそ、アリのように小さな存在かもしれないけれど、
自分たちが立ち上がらければだめだと思ったのだ。
もちろんマスコミは報道しない。マスコミは権力にべったりくっついている。
「小沢は悪」をしつこいぐらいマスコミは連呼してきた。
ドラマ「運命の人」の弓成記者のような新聞記者もいない・・・
小沢さんの意見陳述はりっぱだった。
こういう政治家こそが国民の生活が第一の政治に向かっていってくれる人だろう。
国民から搾取することしか考えていない官僚やそれにのせられる政治家が、
なんとしても小沢さんを抹殺しようとして、2年もの間、血税を使い事件を捏造してきた。
これで裁判官が有罪判決をだしたら、日本はもう救われないほど崩壊していると思う。
マスコミに対する違和感はこれだけじゃない。
震災後、すぐに「がんばろう日本」とか金子みすずの詩を垂れ流していたテレビ
「ひとりじゃない」とサッカー選手を出していたテレビ。
実際につなみで家族を失った人たちは、「ひとりじゃない、がんばろう」と言われても
とてもそんな気にはなれなかったし、お父さんの甥のたつきくんがつなみの犠牲になって、
寝ることも食べることも忘れて、瓦礫の中を息子を探していたおかあさんには、ひどく虚しい言葉
だったと思う。
お父さんが子どもの頃暮らしていた石巻は、ひどいありさまだったし、お父さんが通っていた小学校も
つなみで流された。そこに住む人たちは何をどうがんばればいいのかさえ考えたくもないことだった。
いまだに行方のわからない家族を探している人がたくさんいる。
確かに希望は生きて行くために必要。
けれどそれは押し付けられるものではなく、みずからが苦しんで歩くことでしかないのだ。
絆という言葉をおしつけてばかりいる政府は、人の痛みをわかろうとしない。
「絆」という言葉がわたしには気持ちが悪いぐらいだ・・・
日本のこれからを自分たちが立ち上がって歩くことで見据えていきたい。
自分たちに都合の悪い政治家を社会的に抹殺する、
っということをこの国はずっと繰り返してきたのだ。
権力にとって都合のいい政治家は国民生活にとって最悪な政治家だということを
コイズミ政権以後、ずっと見てきて確信した。
小沢さんの魔女狩り裁判を通して、この国の検察の悪、司法のいいかげんさ、
そういうものに巻かれる信念のない政治家たちが、白日のもとにさらされてきた。
小沢支援のデモや集会が今年になってすごく増えている。
立ち上がる人々がたくさんいる。
わたしも昨年と今年の2月にたくさんの仲間といっしょに国会議事堂前で声をあげた。
検察や司法に憂う議員の方が10名ほど、一緒に声をあげてくれた。
自分が動かなければ何も変わらないと思った。
動いても変えることはむずかしいのだけれど、それでも一緒に動く仲間はたくさんいた。
小沢さんひとりに戦いを押し付けていても相手が巨大過ぎる。
仲間のみんなもそう思ったからこそ、アリのように小さな存在かもしれないけれど、
自分たちが立ち上がらければだめだと思ったのだ。
もちろんマスコミは報道しない。マスコミは権力にべったりくっついている。
「小沢は悪」をしつこいぐらいマスコミは連呼してきた。
ドラマ「運命の人」の弓成記者のような新聞記者もいない・・・
小沢さんの意見陳述はりっぱだった。
こういう政治家こそが国民の生活が第一の政治に向かっていってくれる人だろう。
国民から搾取することしか考えていない官僚やそれにのせられる政治家が、
なんとしても小沢さんを抹殺しようとして、2年もの間、血税を使い事件を捏造してきた。
これで裁判官が有罪判決をだしたら、日本はもう救われないほど崩壊していると思う。
マスコミに対する違和感はこれだけじゃない。
震災後、すぐに「がんばろう日本」とか金子みすずの詩を垂れ流していたテレビ
「ひとりじゃない」とサッカー選手を出していたテレビ。
実際につなみで家族を失った人たちは、「ひとりじゃない、がんばろう」と言われても
とてもそんな気にはなれなかったし、お父さんの甥のたつきくんがつなみの犠牲になって、
寝ることも食べることも忘れて、瓦礫の中を息子を探していたおかあさんには、ひどく虚しい言葉
だったと思う。
お父さんが子どもの頃暮らしていた石巻は、ひどいありさまだったし、お父さんが通っていた小学校も
つなみで流された。そこに住む人たちは何をどうがんばればいいのかさえ考えたくもないことだった。
いまだに行方のわからない家族を探している人がたくさんいる。
確かに希望は生きて行くために必要。
けれどそれは押し付けられるものではなく、みずからが苦しんで歩くことでしかないのだ。
絆という言葉をおしつけてばかりいる政府は、人の痛みをわかろうとしない。
「絆」という言葉がわたしには気持ちが悪いぐらいだ・・・
日本のこれからを自分たちが立ち上がって歩くことで見据えていきたい。