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朝鮮通信使フィールドワーク

2007年10月15日 | 活動
10月11日(木)JR大正駅に集合し、「朝鮮通信使400年大阪ストーリー“大坂残留組”船乗り達の大坂滞在記を歩く」と題したフィールドワークに参加しました。
憲法第9条を誇りにする会の定例会です。憲法第9条を誇りにする会とは、大阪府内で働いていて退職された教職員がメンバーとなって、憲法改悪に反対するために、学習会など活発に活動されている会です。私も会員の一人です。

朝鮮通信使とは?
朝鮮通信使は,足利・豊臣・徳川の武家政権に対して,朝鮮国王が書契(しょけい,国書)および礼単(進物)をもたらすため派遣した外交使節団のことで,実質的には,江戸時代に12回にわたり友好のシンボルとして来日した使節団のことを指しています。
江戸時代の朝鮮通信使は,幕府の命を受けた対馬藩主が朝鮮へ使者を派遣し,これを受けた朝鮮側が,正使(文官堂上正三品),副使(文官堂下正三品),従事官(文官五・六品)の三使を中心に使節団を編成しました。この三使には,将来朝鮮政府首脳部になるべき人物が選ばれます。
  この通信使の来日は,文化面においても多大な影響を与え,絵画や歌舞伎の題材にも取り上げられるほどでしたが,なかでも,当時の文化人にとっては,先進的な大陸の文化を取り入れる絶好の機会でした。

フィールドワークコースは・・・
①大正橋公園「船番所」跡   江戸期、木津川沿いのこの場所には「船番所」が置かれた。大坂市中に入るメイン河川であった木津川に臨み、東からは道頓堀がつながり、知りなし側への水路が西に流れる交通の要衝であった。通信使本隊は、通信使船から川御座舟に乗り換え川を上っていき江戸へと向かった。
②「御船蔵」跡(岩崎橋公園御船蔵跡)   通信使船が停泊し、船乗りたちが周囲と遮断されて軟禁された場所。御船蔵葉、幕府の官船等を納める施設。
③大阪ドーム南公園 ④尻無川元堤防上の道路 を経て ⑤茨住吉神社
⑥“人権寺“竹林寺(小童「金漢重」の墓・崔天悰の位牌)   1764(宝暦14・明和元)年冬、大坂について亡くなった通信使小童の金漢重の墓がある。将軍家治襲職祝賀のため来日した通信使462名の中の一人でした。そしてこの年の4月、対馬藩の通訳官鈴木伝蔵によって殺害された通信使の中官崔天悰の位牌がある。鈴木伝蔵は厳しい吟味の後、通信使立会いのもと5月2日、月正島で断罪された。また、大坂に残された通信使残留組(船乗りたち)の慰労会もこの寺で開催されていた。
⑦朝鮮通信使上陸記念碑「九条島と朝鮮通信使」   大阪初で、現在唯一の朝鮮通信使の記念碑(写真がそうです)。碑文には、竹林寺で亡くなった小童の辞世の句とその死を悼む住職の詩が刻まれている。
そして大正駅で解散しました。

朝鮮通信使が社会の教科書に載るようになって20年ほどだそうです。歴史というのは、難しいものですが、常に真実と向き合っていかなければならないと思っています。

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