1月9日(土)は、北河内平和人権センターの結成20周年記念講演会、16日(土)は、北河内地区教職員組合結成20周年記念行事と、20周年記念が続きました。労働組合再編成が行なわれて、「新しい時代、新しい変化に対応して、国民の期待に応え、平和と自由と民主主義を希求し、ゆとりある豊かな生活、幸せな家庭を築くため、ここに労働界全体の統一を達成することができました。」と、連合大阪が1989年12月に統一大会を開かれました。そして大阪教組が再建され、北河内地区教組が結成されました。平和と人権については継続させていかなければならないと、元総評系で、平和人権センターが結成されたわけです。
それから20年、社会は大きく変化しました。労働環境も教育環境も決して私たちが望むものとはなっていません。やっと昨年政権交代が実現し、これから・・・ですね。とにかく、ゴタゴタを整理して政策を着々と進めていってもらわなければなりません。
1月9日(土)は、「現代の貧困~派遣村から見た日本社会~」と題して、湯浅 誠さん(反貧困ネットワーク事務局長・NPO法人自立生活サポートセンターもやい事務局長・内閣府参与)の講演でした。
雇用分野と福祉分野の間に落ち込んだ人・・・野宿者となっている、という現実。その数が1995年に比べて、6倍以上。フリーターになるのも、非正規雇用になるのも個人の問題といわれていたが、そうではなく社会構造の問題であることが、2006年頃から認識され始めてきたこと。日本社会・政治は「貧困」に正面から向き合ってこなかったこと、故に貧困率の測定を実施し、これからの社会のあり様をしっかりと考え、取り組んでいかなければならない、等々話されました。雇用も福祉も、しくみを考えていくのにあたっては、利用者・当事者の声をビルトインできるようにしなければなりません。教育の分野では、何が必要となるか、というと・・・社会をつくる責任は、市民一人ひとりの責任であること、そういう意味で、民主主義の市民を育成するのは教育分野ですよね。
まだまだ、私の周辺では、派遣村に身を寄せざるを得ない人々のことを自己責任論でおさめてしまう人は多いです。本来あるべきセーフティネットの網目が非常に大きいのが、日本社会の実態です。ネットに引っかかることができずに落ちてしまった人は、あがってくることができません。また、情報量の差や、つながっていくことができるかどうか、生活に大きく影響してきます。他の人の立場に思いを寄せることができる、とにかく重要で必要なことです。また、政治家はそうあるべきだと・・・。そして、この貧困問題は、若者や男性が非正規雇用者として数が非常に増えたので、クローズアップされたわけですが、女性は元々非正規雇用であり、貧困問題と直面していたことを忘れてはなりません。
16日は、豊中市教職員組合演劇部「劇団金太郎飴」による「父と暮せば」という演劇を記念行事で観させていただきました。井上ひさしさんの脚本で、広島原爆で父親野親友を亡くし、生き残ってしまったことへの後悔で、絶対に幸せになってはならない、という毎日を過ごしている美津江という主人公とその彼女のちょっとした思いから姿を現す父親とのふたりの会話からだけで成り立っているお芝居です。「生きとんのが申しわけのうてならん」という彼女と、自分の分まで幸せをつかんで生きてほしい、という父親の思いが、やりとりされることが、とにかく心に響きます。そして、その幸せの対象となるだろう青年の思いが、原爆という恐ろしい事実を後世へと伝えていかなければならない、その協力者に彼女を、ということ。そしてその演劇を、現職の教職員組合員がされているということ。とにかく良かったです!
で、写真は湯浅さんと・・・
17日(日)は、「脇本ちよみさんの労をねぎらい励ます集い」に参加しました。まだ私が、若い教員だった頃、男女共生教育の先駆者として、女性部活動を担っておられ、尊敬する先輩でした。そして、大阪府内では初の女性書記長として、守口市教職員組合で、教組運動を引っ張ってこられていた脇本さんが、年度途中に連合大阪副事務局長として、転職された時は、私は、枚教組の副委員長で、そんな人生があるのだということを知ったことがショックだったことを覚えています。その後、女性初の事務局長となられ、本当に労働組合の中で、女性の課題もしっかりと踏まえられ、取り組んでこられたことに、私自身がパワーをいただいてきました。学校というところは、社会の縮図であると教わってきたのに、教職員の立場からでしか、それを考えることができなかった私でしたが、そうではない、ということも学びました。昨年10月に任期が切れ、激務から解放された脇本さんですが、これからも元気に、ゆっくりとした時間の中で、また前へ歩んでいっていただきたいと願っています。お疲れ様でした!