11月28日(土) 日本軍「慰安婦」被害者の声に応え いまこそ立法解決を!~同時証言集会inおおさか2009~ に参加しました。
ナヌムの家より カンイルチュル(姜日出)ハルモニと村山一兵さん をお迎えしてお話を伺いました。
カンイルチュルハルモニは、1943年16歳の時に連行され、中国の牡丹江の「慰安所」で性奴隷生活を強いられました。戦争は終わり解放を迎えましたが、祖国に帰ることもままならず、中国でずっと生活をしていました。2000年4月に国籍を回復してナヌムの家に入居されたとのことです。
ハルモニのお話は、日本政府の不誠実さ(野宿者への対応なども含んでの)も強調され、だんだん声が大きくなり、興奮されてくる口調にその強いハン(恨)を感じ、心が痛みました。
村山一兵さんは、ナヌムの家の日本軍「慰安婦」歴史観で研究員としての仕事の傍ら、スタッフとしてハルモニたちとともに過ごしておられます。
27歳という若い村山さんの話は、本当にスゴイ!ものでした。
私自身が、感じていること、考えていること、また求めていること、それらを明確に言葉にしていただいたと…
会場からの質問にも的確に答えておられ、その感性や思慮深さに、こんな男性がもっとたくさん居たら…と願ってしまいました。
村山さんは、日本で「従軍慰安婦」と称されることに異論を述べられました。政権交代前、民主党を中心とする野党から「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律」案が何回か提出されましたが、審議未了でした。
民主党を中心とする連立政権になったのですから、その法律が可決されることを望み、そのためにもできることを行っていくつもりです。
2008年3月に、「慰安婦」問題を解決を求める意見書を宝塚市議会で可決されたのに続き、今まで10自治体が意見書を可決しているようです。
その様な報告も受け、集会議員の連帯の挨拶もあり、私も舞台に上がりました。
上がって、前のほうに座っていたので、とてもたくさんの方の参加者にあらためて感動してしまいました。
歴史としっかり向き合い、たくさんの方とともに歩んでいくこと、つながりをひろげていくこと等を訴えました。
ナヌムの家より カンイルチュル(姜日出)ハルモニと村山一兵さん をお迎えしてお話を伺いました。
カンイルチュルハルモニは、1943年16歳の時に連行され、中国の牡丹江の「慰安所」で性奴隷生活を強いられました。戦争は終わり解放を迎えましたが、祖国に帰ることもままならず、中国でずっと生活をしていました。2000年4月に国籍を回復してナヌムの家に入居されたとのことです。
ハルモニのお話は、日本政府の不誠実さ(野宿者への対応なども含んでの)も強調され、だんだん声が大きくなり、興奮されてくる口調にその強いハン(恨)を感じ、心が痛みました。
村山一兵さんは、ナヌムの家の日本軍「慰安婦」歴史観で研究員としての仕事の傍ら、スタッフとしてハルモニたちとともに過ごしておられます。
27歳という若い村山さんの話は、本当にスゴイ!ものでした。
私自身が、感じていること、考えていること、また求めていること、それらを明確に言葉にしていただいたと…
会場からの質問にも的確に答えておられ、その感性や思慮深さに、こんな男性がもっとたくさん居たら…と願ってしまいました。
村山さんは、日本で「従軍慰安婦」と称されることに異論を述べられました。政権交代前、民主党を中心とする野党から「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律」案が何回か提出されましたが、審議未了でした。
民主党を中心とする連立政権になったのですから、その法律が可決されることを望み、そのためにもできることを行っていくつもりです。
2008年3月に、「慰安婦」問題を解決を求める意見書を宝塚市議会で可決されたのに続き、今まで10自治体が意見書を可決しているようです。
その様な報告も受け、集会議員の連帯の挨拶もあり、私も舞台に上がりました。
上がって、前のほうに座っていたので、とてもたくさんの方の参加者にあらためて感動してしまいました。
歴史としっかり向き合い、たくさんの方とともに歩んでいくこと、つながりをひろげていくこと等を訴えました。