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はるたび_2011 も無事に終了しました。 ちょっとしたロングに出たことで気分転換もすっかりできまして、風林火山 「火」の章を始めようと思います。 並行して はるたび のレポもリマスターでアップしていきますが、コチラもアップを続けなていかないと、残すべきモノがどこかに飛散してしまいそうなので週イチを目標に記事を書いていこうと思います。
なにより未だにご苦労されている被災者に何ができるかを問い続けるために、自分がキチンと伝えられることを伝えていきたいのです。
あらためまして、震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された方々とそのご家族、ご親戚、そして関係者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
あの地震からちょうど2ヶ月になりますが、遡りますのは大震災当日から1週間が経過しようとする日となります。 第二次サポート隊としてワシも仙台に入るのですが、物資の調達や輸送車両の手配もあり新潟に諸方から人が集まることになっています。
川崎からの出発は午後イチなのですが予想通りに出発ギリギリまでバタバタしておりまして、最後は手下に買いに走らせた物品を駅の改札で受け取って予定の新幹線に乗り込みます。
当然ながら昼ゴハンを食べる暇などなかったので、東京駅で駅弁を買いまして車中でいただきます。

ワシというか我が家の場合、駅弁を買うといっても家で食べるコトが多いのと、行き先での食をテーマにしているので車中で駅弁をいただくのはかなり久しぶりデス♪
のほほんとした天気の関東エリアを抜け新潟エリアに入るといきなり冬景色になります。


駅に到着して、クルマで来ている北関東組(といってもヒトリ)と合流して新潟事業所に向かいます。 首都圏ではすでに燃料の調達が困難になっていましたので途中のスタンドに寄ってみますが新潟ではまだ給油制限は行われていないようです。
事業所に到着し諸事を打ち合わせた後に買出しに行きます。 大阪からの別働隊がモロモロを積み込んでくるので、ワシらは野菜や玉子など生鮮食品を中心に調達に入ります。 新潟はそれほど品不足にはなっていないようですが、一応は遠慮しながら…それでも結構買い漁っていきます。
ヲバチャン「あんたらいっぱい買い物してるけどどこから来たのさ?」
ワシら 「いやぁ、神奈川県から来て仙台のナカマのところに物資を届けるのですよ。 買占めしないように気をつけているつもりですが、ゴメンナサイ。」
ヲバチャン「いいの、いいの、その辺の全部持ってっていいからねぇ!」
本当にありがたいコトです(涙)
でも、新潟まで買出しに来る新潟のヒトビトは少ないのでしょうが、山形ではモノ不足が始まっているとも聞いているので、あまり無茶買いはしないように注意しときます。
途中で、
「女性用品は買ったか?」
とか、
「布団一式よろしく!」
とか、
「カレーが喰いたい!」
とか、
「離乳食が欲しい!」
とか、
「○○ブランドの粉ミルクが欲しい!」
とか、仙台からモロモロのリクエストが飛び込んできます。
なるべくならリクエストに応えたいと思うのですが、勝手も分からない土地だし結構悩まされます。
一応の買い物を済ませるとホテルというか宿泊所に入り当分入れないであろう風呂に入るなどして、大阪組の到着を待ちます。
ほぼ予定通りに到着した大阪組(といってもヒトリ)と簡単に打ち合わせをしてから食事をいただくことにして、宿近くのローカルなファミレスに入ります。
まあ、仙台にいる間はロクナモノはおろか食事も満足にできるか不安だったのと、多少はハイな気持ちになっているので、ついつい食べすぎ&呑みすぎでしまいます(爆)
と、まあコンナ感じで過ごした仙台入りの前日ですが、少々不安なコトは確かでした。
(続く…)