今日で関東東北大震災から49日目です。
ということは犠牲になった方達の49日の法要の日です。
時が過ぎて、いつか振り返って、大災害が起こったことが信じられないように復興すると信じています。
応援しています。
そんなことを思いながら東北の地酒を頂いて・・・・・昔を思い出していました。
むかし
それは憧れのスチュワーデスとしてフライトし始めた頃のことです。
今の最新の飛行機に慣れてしまうと、こんな時代もあったのかと自分でも感心します。
すぐに忘れちゃうので、思い立ってブログに書きとめることにしました。
お付き合いください。
私が国際線チェックアウト(訓練が終了しフライトすること)した当時の最先端の飛行機、それはB747でした。
そのジャンボジェット機の階段は螺旋階段でした。
当時は他の航空会社も含めてビジネスクラスは無く、ファーストクラスとエコノミークラスのみでした。
航空座席にビジネスクラスが登場したのは、1980年に航空運賃の3クラス制が導入されたあとの1983年です。
エコノミークラスといっても今のようなツアー旅客は少なく、ほとんどの方がビジネスマンでした。
エコノミークラスはお酒も、映画を見るためのイヤホーンも有料。
はっきり覚えていないのですが、ビールと日本酒が1ドルで、ワインや水割りなどのカクテル類が1ドル50セント、イヤホーンが2ドル50セントだったような???
当時の1ドルは300円近かったような?????
遠い記憶ですが・・・
映画を上映する前にはすべての窓を下してもらうようにアナウンスを入れ、客室のコンパートメントごとに順番に前からMOVIEスィッチを押し続け、映像が始まった合図のOKサインをもらったら、次のコンパートメントの人が同じようにMOVIEスィッチを押します。
OKOKOKOKOK
B747ジャンボジェットにはコンパートメントがA・B・C・D・Eとあり、それぞれのコンパートメントにMOVIEスィッチがありました。
同時には、映画を開始するMOVIEスィッチを押せないシステムだったため、コンパートメント毎に映像が少しづつ遅れていきます。
今思うと、なんとなくゆったりとしていて、いい時代だったなぁ~
あの頃のお客様の印象は優雅で紳士淑女の方達が多く、企業戦士といった方も少なく、時間がゆっくりと流れていくような雰囲気を感じます。
当時お酒が有料だったこともあり、飲み物の管理、冷え具合とかも入念にチェックし、カクテル類なんかを作るのも慎重にていねいに、ひとつひとつ美味しく飲んでいただけるように努力していました。
後方のD・Eコンパートメントは220席くらいでした(はっきり覚えていませんが)
そこを9名で担当していました。(はっきりと覚えています。)
それが7名から6名に減り。
そして今は5名で担当しますから当然以前のような余裕はないわけです。
それに加えて、満席になることはとても珍しいことでした。
なのでエコノミークラスの座席でも隣が空席になることが多いためゆったりとくつろいで頂いたと思います。
いわゆる団体旅行や航空券とホテルがセットというようなパッケージ商品もあまりポピュラーではなかったと記憶しています。
それから何年か後に、ビジネスクラスができましたが、当時はエコノミークラスと席は一緒で、お酒と映画を見るためのイヤホーンが無料。
食事も同じエコノミークラスの機内食ですが、ビジネスはオードブルなどのお皿が一品多くトレーに追加されちょっと豪華でした。
もちろんお食事のチョイス(、ビーフ・フィッシュ・チキンなどを選ぶ)というのはまだなく一種類のみ。
全路線のエコノミークラスの機内食のメインはビーフステーキでした。(結構立派なヒレステーキの回りにベーコンを巻いたもの)
ビジネスクラスとエコノミークラスの席は、ボーディングが始まる前に、地上係員に座席の何列から何列までがビジネスクラスなのかを確認し、プラカードで表示するだけでした。
エコノミーには普通エコノミー運賃を払って利用する旅客と、団体運賃のパッケージ旅客が同じ座席に座り、同じサービスを受けていたのです。
当然のことながら普通運賃を払う旅客から同じサービスに対する不満があがるようになり、これに応える形で中間の新クラスが、いわゆるビジネスクラスが設けられることとなったのです。
ということは犠牲になった方達の49日の法要の日です。
時が過ぎて、いつか振り返って、大災害が起こったことが信じられないように復興すると信じています。
応援しています。
そんなことを思いながら東北の地酒を頂いて・・・・・昔を思い出していました。
むかし
それは憧れのスチュワーデスとしてフライトし始めた頃のことです。
今の最新の飛行機に慣れてしまうと、こんな時代もあったのかと自分でも感心します。
すぐに忘れちゃうので、思い立ってブログに書きとめることにしました。
お付き合いください。
私が国際線チェックアウト(訓練が終了しフライトすること)した当時の最先端の飛行機、それはB747でした。
そのジャンボジェット機の階段は螺旋階段でした。
当時は他の航空会社も含めてビジネスクラスは無く、ファーストクラスとエコノミークラスのみでした。
航空座席にビジネスクラスが登場したのは、1980年に航空運賃の3クラス制が導入されたあとの1983年です。
エコノミークラスといっても今のようなツアー旅客は少なく、ほとんどの方がビジネスマンでした。
エコノミークラスはお酒も、映画を見るためのイヤホーンも有料。
はっきり覚えていないのですが、ビールと日本酒が1ドルで、ワインや水割りなどのカクテル類が1ドル50セント、イヤホーンが2ドル50セントだったような???
当時の1ドルは300円近かったような?????
遠い記憶ですが・・・
映画を上映する前にはすべての窓を下してもらうようにアナウンスを入れ、客室のコンパートメントごとに順番に前からMOVIEスィッチを押し続け、映像が始まった合図のOKサインをもらったら、次のコンパートメントの人が同じようにMOVIEスィッチを押します。
OKOKOKOKOK
B747ジャンボジェットにはコンパートメントがA・B・C・D・Eとあり、それぞれのコンパートメントにMOVIEスィッチがありました。
同時には、映画を開始するMOVIEスィッチを押せないシステムだったため、コンパートメント毎に映像が少しづつ遅れていきます。
今思うと、なんとなくゆったりとしていて、いい時代だったなぁ~
あの頃のお客様の印象は優雅で紳士淑女の方達が多く、企業戦士といった方も少なく、時間がゆっくりと流れていくような雰囲気を感じます。
当時お酒が有料だったこともあり、飲み物の管理、冷え具合とかも入念にチェックし、カクテル類なんかを作るのも慎重にていねいに、ひとつひとつ美味しく飲んでいただけるように努力していました。
後方のD・Eコンパートメントは220席くらいでした(はっきり覚えていませんが)
そこを9名で担当していました。(はっきりと覚えています。)
それが7名から6名に減り。
そして今は5名で担当しますから当然以前のような余裕はないわけです。
それに加えて、満席になることはとても珍しいことでした。
なのでエコノミークラスの座席でも隣が空席になることが多いためゆったりとくつろいで頂いたと思います。
いわゆる団体旅行や航空券とホテルがセットというようなパッケージ商品もあまりポピュラーではなかったと記憶しています。
それから何年か後に、ビジネスクラスができましたが、当時はエコノミークラスと席は一緒で、お酒と映画を見るためのイヤホーンが無料。
食事も同じエコノミークラスの機内食ですが、ビジネスはオードブルなどのお皿が一品多くトレーに追加されちょっと豪華でした。
もちろんお食事のチョイス(、ビーフ・フィッシュ・チキンなどを選ぶ)というのはまだなく一種類のみ。
全路線のエコノミークラスの機内食のメインはビーフステーキでした。(結構立派なヒレステーキの回りにベーコンを巻いたもの)
ビジネスクラスとエコノミークラスの席は、ボーディングが始まる前に、地上係員に座席の何列から何列までがビジネスクラスなのかを確認し、プラカードで表示するだけでした。
エコノミーには普通エコノミー運賃を払って利用する旅客と、団体運賃のパッケージ旅客が同じ座席に座り、同じサービスを受けていたのです。
当然のことながら普通運賃を払う旅客から同じサービスに対する不満があがるようになり、これに応える形で中間の新クラスが、いわゆるビジネスクラスが設けられることとなったのです。
本当に良かったなぁ、Cクラスはゆったりしていて、CAさんはとても親切でした。
今は特典旅行でしかCは乗れませんが、機内サービスも簡素化されて少し寂しいですね。
JALカードを持っていると飛行機に乗らなくてもマイルがどんどんたまるので、年1回はマイルで海外に行けます♪鶴丸が復活して懐かしくて嬉しいです。きっときっとまた良い時代が来ますように応援していますよ!やっぱりJALが好きです。がんばれ!ノンさんもお体大事にしてくださいね。健康が第一。
もしかしたら機上でお会いしているかもしれませんね。
残してきた後輩たちの為にも良い会社に戻ってほしいですが・・・・・
現実はなかなか難しいみたいです。
現場を去るのも地獄・残るのも地獄(悲)なんです。
フライトするのが楽しくてたまらなかったあのころが懐かしい~
でもこれからも応援よろしくお願いします。
懐かしい話を時々思い出した時はまたブログに書きたいと思っています。