【山 名】黒岳1984.48m 旭岳2290.9m 羊蹄山1898m (北海道)
【日 程】令和元年7月11日(木)~7月18日(木)
【同 行】中
【天 候】7月11日晴;7月12日曇り・ガス;7月13日曇り・雨 ;7月14日曇り・晴れ・ガス・雨 7月15日曇り・ガス
【ルート】
7月11日 前橋7:00==10:00新潟港14;45==6:20小樽港(車両21900 運転者2150 ツーリストA)
7月12日小樽港===鱗友市場==250km==11:00層雲峡ロープウエイ駅12:00===12:30七合目駅----13:55黒岳----14:20黒岳石室(素泊2000円) (ロープウェイ・リフト往復3000円)
7月13日黒岳石室5:30----7:15北鎮----7:45中岳----9:00黒岳10:00----11:207合目
黒岳の湯 600円、 民宿とだて4100円(素泊まり)
7月14日層雲峡5:00==110km==6:50旭岳ロープウェイ駅7:00===7:15姿見駅7:30----9:15旭岳山頂----間宮岳----中岳分岐----13:20姿見駅==森の湯花神楽(650円)==旭川ラーメン===カリンパニ・ニセコ藤山(素泊4600円)
旭岳ロープウェイからニセコまで310km
7月15日カリンパニニセコ5:10----5:50羊蹄山自然公園P----真狩コース----7:505合目---10:45山頂11:15----11:55 9合目-----14:50自然公園P カリンパニ・ニセコ藤山泊(朝食付5200円)
温泉:まっかり温泉 夕食:寿都アンテナショップ 神楽
【行 程】12日7合目から黒岳石室まで L=4.9km +900m -300行動時間3:50
13日黒岳石室から中岳往復 L=9.0km +-530m行動時間6:00
14日旭岳往復 L=14.3km +-1170m 行動時間6:00
15日羊蹄山往復 L=17.6km +-2520m 行動時間9:00
【地 図】行程地図はこちら
廃校を利用したユースホステル「カリンパニニセコ藤山」を早朝出発
カリンパニとはアイヌ語で桜の木を意味するらしい
学校に植わっていた桜の木を記念して付けた名前とか
2009
2010
羊蹄山自然公園駐車場
まだ登山客の車の数は多くないがオートキャンプ場には多くのテントが張られていた
2011
2012
出発地点の標高は400m弱
白樺純林は明るく美しいが
クマザサが高く生い茂りかなり蒸し暑い
2014
2015
ヤマハハコ
2016
ヨツバサワヒヨドリ?
シラカバとササの道は長く続き遠くは見えず、花の種類は少ない
2019
2020
5合目付近でようやく見通しが効くように
2022
2023
ゴゼンタチバナ
7合目を過ぎ、標高1500m位から樹木は低くなり草花も目立つように
2025
マルバシモツケ
2026
イワブクロ
2030
エゾフウロ
2031
ヤマブキショウマ
2033
イワベンケイ
2036
サマニヨモギ
2037
2038
ハクサンチドリ
2039
9合目を過ぎるとお花畑出現
2048
2041
ミヤマアキノキリンソウ
2043
クルマユリ
2044
オオカサモチ
2045
キバナシャクナゲ
2046
エゾツガザクラ
2047
ハクサンチドリ
2050
コケモモ
2051
火口の淵に出て反時計回りに最高点を目指す
間もなくケルンが出現、ここが最高点と思いきや
この先岩場を延々と歩き山頂にはなかなかつかない
2053
2054
霧の先に最高点らしきものが次々に現れるが
そこに到達するたびに逃げ水の様に裏切られ精神的に疲れてしまう
2055 チシマギキョウ
2057
漸く山頂に着くも何も見えず風は強い
風の当たらないところで昼食をとり
お釜巡りに出発
2058 三角点 山頂から外れている
2061 メアカンキンバイ
2063 避難小屋跡
2064
火口を反時計回りに一周し下山
山頂までの距離は少し長いが、真狩コース9合目から
火口にに出た後は、時計回りに回った方が楽なコースだった気がする
2921
1851
下山後はニセコ町にある寿都町のアンテナショップ神楽で海鮮を食べる
当初の予定では、もう一山夕張岳に挑戦する予定であったが
疲れもあり、海の幸が楽しめる寿都町のある積丹方面へ観光と変更
もう一晩カリンパニニセコ藤山に宿泊することにした
5383 カリンパニニセコ藤山の前庭(旧校庭)
3755 部屋(6に部屋に2人で宿泊)
2泊目に親切なカリンパニニセコ藤山のオーナーと話をする機会を得ました
30代に見えるオーナーは北海道出身
ニュージーランドで林業の仕事を6年位した後、東京で数年生活
2011年秋から営業を始めたそうです
そんな経歴もあった語学も堪能なせいか、ニセコの土地がらか
はたまたユースホステルのせいか解りませんが外国人の御客も多いとか
お手伝いの方も外国の方でした
学生時代以来40数年ぶりのユースホステル泊でしたが良い思い出となりました
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