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令和6年(2025)2月12日(水)曇り-小雨-曇り
【行程】2月11日前橋駅16:52=JR=18:33大宮駅19:45=西武観光(明光)バス=12日7:30田辺駅8:02=龍神バス=8:45 - 09:00 滝尻王子 09:04 - 09:11 胎内くぐり 乳岩 09:19 - - 09:31 胎内くぐり 乳岩 - 10:14 剣ノ山 10:15 - 10:23 飯盛山 - 10:40 針地蔵尊 10:41 - 10:56 夫婦地蔵 - 11:02 岩見木工所 - 11:07 高原熊野神社 11:09 - 11:12 高原霧の里休憩所 11:29 - 12:02 高原池 - 12:11 大門王子 12:12 - 12:33 十丈峠 - 12:38 十丈王子 - 13:03 小判地蔵 - 13:15 悪四郎屋敷跡 - 14:22 大坂本王子 14:27 - 14:42 道の駅 熊野古道中辺路 14:44 - 15:02 牛馬童子 15:07 - 15:42 近露王子跡 15:43 - 16:53 比曽原王子 16:54 - 17:18 継桜王子 17:26 - 17:28 民宿継桜 (1泊2食:13千円 弁当880円)
歩行距離18.4km 登り1300m 下り960m
JR(前橋~大宮):1518+1000=2,518 西武バス(大宮~田辺):13,100 龍神バス(田辺~滝尻):900円
今回も埼玉県大宮駅前から西武と明光共同運行の夜行バスで大宮駅前を出発
翌朝田辺駅前到着
【旧中辺路町】
新宮行の路線バスで滝尻へ
路線バスは交通系ICカードは使えないがペイペイは使える
対岸の78滝尻王子を出発
ここから熊野三千六百峰の山中徒行の道、熊野三山の神域に入る
富田川沿いにさかのぼってきた比較的緩やかな道は滝尻王子から急な尾根道に変わる
胎内くぐり
出口は狭くザックを背負ったままでは通過できない
乳岩
「奥州平泉の藤原秀衡(ふじわらのひでひら)が、妻が子種を授かったお礼に熊野参詣した。本宮に参る途中、滝尻で、妻はにわかに産気づき、出産。赤子を連れては熊野詣はできないと、その夜、夢枕に立った熊野権現のお告げにより、滝尻の裏山にある乳岩という岩屋に赤子を残して旅を続けた。 子は、山の狼に守られ、岩から滴り落ちる乳を飲んで、両親が帰ってくるまで無事に育っていた。」
その後、乳岩に布製の乳形供えて豊かな母乳を願う風習があった
ここまで来てヤマレコ地図では「不寝王子」が手前にあることに気づき滝尻王子方面に戻るも発見できず道に迷ってしまった。結局「不寝王子」は乳岩の先にあった。
79不寝王子
眼下に富田川を望む
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経塚跡を過ぎると平坦な道となり一安心
指導標や番号の入った導標があり道迷いはしないはずだが・・
飯盛山 341m
飯盛山からの展望 遠くは果無山脈か?
夫婦地蔵
対岸に広がる集落
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高原熊野神社 中辺路沿いに現存するものでは最古の神社建築
「高原熊野神社は高原地区の産土神で高原王子と呼ばれることもありますが、平安時代から鎌倉時代にかけてこの神社は存在せず、熊野九十九王子のうちには入れられません。」
境内にある大きな楠
高原霧の里休憩所
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展望から見える景色(一望百峰)、奥が果無山脈
秋には、霧が深く立ちこめ四方の山々が島々のように頂だけを見せる事から霧の里といわれている
高原地区の道は石畳
江戸時代まで旅篭が軒を連ねていたそうだ
集落からまた登り
日陰には先週降った雪が残る
左;青面金剛 右:大日如来
一里塚
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休憩舎?造林小屋?
中に囲炉裏と懐かしいカーバイトランプ
昔、祭に出る夜店の照明に使われており独特の匂いがして、子供の頃は夜店の匂いと思っていた
カーバイトランプは宇江敏勝「山びとの記」に造林小屋で使っていたとあった
*カーバイドランプ (carbide lamp) は炭化カルシウム(カルシウムカーバイド) CaC2 と水を反応させ、発生したアセチレンを燃焼させるランプ。
高原池は凍っていた
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80大門王子
大門王子の名のいわれは、熊野本宮大社の大鳥居があったという事柄からきている
大門王子から緩い下り坂、雪道を軽装の女性が行く
滝尻王子から抜きつ抜かれつと何度かすれ違う
単独行の中国の方らしいが、他に2名単独行の中国人女性を見かける
中国からの旅行者は団体から個人旅行に変わったことを実感する
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81十丈王子(じゅうじょう)
中世は重點(じゅうてん)王子と呼ばれおり、近世になって十丈王子と呼ばれるようになった
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小判地蔵
嘉永7年(1854)熊野から紀三井寺に向かう途中、宇江と疲労で小判を口にくわえて行き倒れになった豊後の旅人を地元の人が祀ったもの、行路死亡人を祀ったものは他にも多数ある様だ
悪四郎屋敷跡
本名は十丈四郎といい、大変な力持ちで頓智に長けた人物の屋敷跡、後ろには悪四郎山(782m)がある
一里塚
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上多和茶屋跡(うわだわちゃやあと) 大正期まで人家があった
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11月23日に月が3つ現れるという三体月の伝承があり、観賞地もある
*中辺路町では、高尾山の他に、上田和(うわだわ。熊野古道・中辺路、悪四郎山を越えた所)や要害森山(ようがいのもりやま。口熊野と奥熊野の境界であった三越峠の南にそびえる)でも11月23日に三体の月を見ることができるとの伝承があって、近隣の人々は山中で月待ち行事を行いました。本宮町では大瀬(おおぜ)などで三体月の伝承があり、やはり11月23日の夜は月待ちをしました。(み熊野ネット)
逢坂峠(おうさかとうげ)
狭い土道を下る
「くずれ沓(くつ)」という崩れやすい石屑の道
14:40 道の駅熊野古道中辺路 滝尻王子から11.6km 5時間40分
ここで休もうと思ったが雨が降ってきたので先を急ぐ
一里塚跡
一里塚跡が沢山あるが、何処が起点で何番目の一里塚だか解らない
和歌山城から本宮までだろうか?
石碑「望郷の箸折峠」
花山院の熊野詣のおり、ここで休息して食事に生えていた葦をおって箸として使われたことからこもの名が付いたと言う
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箸折峠と牛馬童子
牛馬童子像は、明治22年に作られ花山院が牛と馬の両方にまたがっている
隣は童顔の花山院像に合わせたような可愛い顔の役行者像、奥に花山院の経塚
峠から近露集落を見る
日置川(ひきがわ)を渡る
「近露の水は現世の不浄をはらう」と信じられていた、渡れば近露王子
* *
83近露王子
南方熊楠は当時、神社合祀による杉の巨木を乱伐から守るためしばしば訪れたが伐られ神社は廃絶された
近野村には六社の王子社(近露王子、野中王子、比曽原王子、中川王子、湯川王子、小広王子)があったが、新しく作った金刀比羅神社(現、近野神社)にすべて合祀されて、すべて廃社となった。
「近露王子之跡」と刻まれた碑は大本教主出口王仁三郎の筆跡
近露には宿場があり伝馬所もあった
月待供養塔 11月23日が三体月だから23夜塔だろうか??
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84比曽原王子
明治末期に石碑だけの比曾原王子神社として、金比羅神社に合祀された。
85継桜王子
17:25 日没を過ぎすっかり暗くなってしまった
社殿に向かう石段を挟んで推定樹齢は800年の杉の巨木が立ち並んでいる
杉の巨木は現在8本あるが、神社合祀で廃社となり森が伐採される前には40本ほどあったそうだ
今宵の宿「民宿 つぎ桜」
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永年料理人として働いていた1946年生まれの御主人が2011年故郷に戻って始めた民宿
地元食材を使った懐石料理の様な夕食はとても美味しかった
1日2~3組のみで予約の取れない宿でしたが、今年から外国人相手は大変なので日本人だけ泊めるようにしたとのことで泊まることができた
滝尻から継桜まで18km8時間ほど歩いた
滝尻王子から神域で本格的な山道、標識がしっかりしているのに道迷いを数回してしまった
途中、白人カップル2組、東洋系カップル2組、東洋系単独女性3人とすれ違いましたが、日本人とは一人も出会いませんでした
春節も終わりましたが、東洋系の外国人はおそらく皆中国の方です
中国人と言えば今まで団体旅行が主と思っていましたが、個人旅行に移行してきたようです
少しばかり話した人は道迷いもせず、英語も堪能で単語しか解らない当方としては恥ずかしいかぎり
いずれも若者で日本の「るるぶ旅」(見る・食べる・遊ぶ:古いか!)を楽しんで良いところを
故国に伝えてほしい と思う今日この頃であります
参考1:歩く旅シリーズ 熊野古道を歩く 山と渓谷社
参考2:「日本史 小辞典」(改訂版) 山川出版社
参考3:藤原定家の熊野御幸(ごこう):神坂次郎著 角川ソフィア文庫
参考4:熊野まんだら街道:神坂次郎著 新潮文庫
参考5:ウオーカーステイションTV:https://www.wstv.jp/
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