上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

中山道69次を歩く (芦田宿~長久保宿)笠取峠越え

2023年11月20日 | 街道を歩く


【7日目 信濃路 長野県】 令和5年(2023)11月17日(金)雨
 宿場距離:芦田宿----長久保宿 5.8km 
 歩行距離:芦田宿~民宿みや 10.1km(累計225.2km) (日本橋・長久保3割増225.2/171.0=1.32)
 行  程:自宅5:00==7:00佐久平駅第二P07:51==バス==8:34立科町役場・ふるさと交流館11:50--12:00瑞香園12:30----12:40芦田宿本陣跡12:40----13:44笠取峠13:44---14:49長久保宿本陣跡-----16:06民宿みや(1泊2食9800円)
 *佐久平駅前第2駐車場800円/日、バス(千曲バス):佐久平駅=立科町役場 200円


天気予報は午前中雨で午後には回復する見込み
長久保宿先の宿は予約してあるのでバスで立科町(芦田宿)まで行くことにした


バスは朝7:51を逃すと次は夕方(16:21)まで無い
役場付近で昼過ぎまで過ごす算段



乗客は殆ど蓼科高校の学生
通学用バスの様で土日祝日は全休、料金は一律200円



役場に寄り情報収集するも時間をつぶす場所は無い




街中を歩くと「ふるさと交流館」なるものがあり
芦田宿周囲のジオラマや資料がそろっておりWi-Fi完備
係の人も親切で昼までここにお世話になることに





お昼になったので町中華を食べ

 

【26次 芦田宿】瑞香園12:30出発 今日の起点


予報どうり雨が上がったので歩き始めた
暫く歩くと車が追いかけてきた
なんと親切にも店に置き忘れた傘を持ってきてくれたのだ



歩きだして間もなく赤子の夜泣きに効果があるという「蛇石様」
中に入れないので蛇の這った跡があるという石は見ることができない


交流館前の不思議な人形 前を通ると首を振り目が光る



交流館隣に「土屋本陣」長野県宝
「土屋家は武田信玄二十四将の上席土屋右衛門の末裔で芦田宿の開設に尽力し名主と問屋を兼ねた」


本陣向かいの「山浦脇本陣」
建物は昭和52年に焼失



「酢屋茂」(すやも)
明治二十六年の創業の酢舗なので中世の中山道には無かった
今は味噌醤油の醸造元



「庄屋山浦家跡」の看板 建物は無い





「金丸土屋旅館」
文化元年(1804)創業の現役の旅館、軒下看板の江戸方には「津ちや」、京方には「土屋」と表記されている
昔の写真を見ると江戸方に「土屋」の字があるので時々替えるのだろうか?





高龍山正明寺(真言宗智山派)、天和八年(1622)の開山
銀杏を採るためだろうか落ち葉の下には網が張ってあった



石内場公園 旧芦田村と横鳥村の境で芦田宿の京側入口付近



笠取峠入口にある双体道祖神




ここまで来ると再び雨は本降り、傘を届けてもらったことに感謝しながら歩く


馬頭観音


若山牧水歌碑
「老松の 風にまぎれず 啼く鷹の 声かなしけれ 風白き峰に」
「岨道の きわまりぬれば 赤ら松 峰越の風に うちなびきつつ」



広重画のタイルが埋め込まれた石碑 望月・芦田・長窪




京方松並木入口



笠取峠一里塚(13:40 ここまで3.5km)




笠取峠(標高887m)
「旅人が上り坂で暑さと疲れのあまり、皆いつの間にか笠を取っていることから笠取峠と呼ばれるようになったと伝えられる」が

ふるさと交流館の資料によると
享保9年(1724)の文献には「かりとり峠」
宝暦3年(1753)の文献には「狩取坂という、又は狩鳥峠とも云う他、一説には笠取峠ともいう」とある



峰の茶屋
13:50 再び晴れ間が出ここで一休みしたいが雲行きが怪しいので先を急ぐ



ここから歩道が無く交通量の多い国道142号線を離れホッとする






車道を横切りながら進むが三度雨が降り出す


京方の笠取峠原道入口






酒造の神、大山昨命(おおやまくいのかみ)を祀る松尾神社
14:30 5.8km


街道にトイレは少なく便利をさせていただきました


 

【27次 長久保宿着 14:50 6.3km 】





中山道長久保宿吾一庵、江戸末期から明治初期の農家



長久保宿の通り




丸木屋 地域交流センター



一福処濱屋 長久保歴史資料館





石合本陣(長和町指定文化財)と立場(復元)
建物は寛永年間(1624~43)の建築で中全道に現存する最古の本陣建築といわれている
石合家の個人住宅で江戸期からの古文書や高札が沢山残されており町の文化財



脇本陣跡




釜鳴屋(竹内家)は本卯建をあげた建物で享保十六年(1731)以前の建築で長野県内最古の町屋(長和町指定文化財)



浜田屋旅館 ここで直角に折れる舛方跡 長久保宿の京口あたり



辰野屋




不聞道祖神(きかず)
耳の病気にご利益がある
反対言葉が使われているのは武田信玄が敵を欺くために使っていたことに由来するといわれている



15:20 8.0km 四泊(よどまり)の一里塚
江戸より48里、昭和35年道路改修により無くなった



落合橋手前、本日最後のコンビニ
ここから中山道を外れ、宿のある大門街道へ


途中の双体道祖神と青面金剛


古民家?を利用したパン屋さん。天然酵母にひかれパンを購入



16:00 10.1km  民宿みや着
話好きなご夫婦に街道情報を様々教えて頂いた


夕食




 本年2月以来の中山道、本来なら岩村田宿から歩く予定が雨のため
 芦田宿からの半日コースとしました
 立科町「ふるさと交流館」では資料の解説などしていただき雨の午前中を有意義に過ごせました
 また、傘を忘れた食堂はご夫婦だけの店の様でしたが
 昼時の一番忙しい時間に傘を届けに追いかけてきてくれた事には感激しました
 今回抜かした岩村田から芦田への旅にも再訪したいと思います

 この地域かなりの間雨が降らず水不足を心配していたそうです
 宿の御主人に「同行者と泊りで出かけると必ず雨に降られる」と言うと
 「もう一月早く来てほしかった」といわれ、雨男も役に立つ時があるもんだと思いました
  
 天気が悪くても良い思い出の残る一日でした
 
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