先日(6/10)の続きです。須賀神社から同じ楠橋の廣旗(ひろはた)八幡宮に向かいました。
楠橋地区の廣旗(ひろはた)八幡宮
【祭神】應神天皇 神功皇后 天照大神 仲哀天皇
(配祀)宗像姫三神 大國主命 仁徳天皇 菅原神 素盞嗚命 高オカ神 闇オカ神 罔象女神
【御由緒】
1.神功皇后征韓より御凱旋のみぎり当所明ケ森にてたちあかしを焼き給ひ聖蹟に因み
2.聖武天皇十二年(740年)大野東人勅命を奉じて朝敵藤原廣嗣討伐の時、
八幡宮を勧請せられしに創る。
3.朱雀天皇天慶四年小野好古、源経基、大蔵春實の諸公朝命により藤原純友討伐のため
下向ありその戦勝祈願の報さいとして祭田一町二反(神楽田)御供田四反(宮田)神馬一頭を
寄進せらる。
4.白河天皇永保二年に明ケ森の古宮より現在の鞘緒山に遷御し奉る本社は、又木夜郷(和名抄)
本社と称せら古へは、すこぶる大社なりしも天亀、天正の戦乱により神殿、社記の類は悉く
焼失せり。
(平成祭データ)
平成14年3月北九州市指定 有形民俗文化財(建造物)
本殿、拝殿、幣殿、渡殿 3棟 附 棟札10枚
現在の社殿は、境内地(約12,000㎡)の南北方向を軸に北から本殿、渡殿、幣殿、拝殿が配置されています。これらの社殿は保存状態が良好な江戸時代末期の神社建築として貴重であり、近世神社建築を知る上で高い価値が認められます。
現存する棟札などから、本殿は天保12年(1841年)に起工され翌13年3月に上棟、5月に遷宮、渡殿・幣殿、拝殿は弘化4年(1847年)6月に起工、翌5年4月に上棟、大工棟梁は楠橋村の光長貞定ほか近村の4人で、彫刻は鞍手郡金丸村(現在の若宮町)の古田源衛門の作です。
本殿:桁行3間(4.2M)、梁間3間(4.OM)、身舎が梁間3間で、全て丸柱とする特殊な大型前室付
三間社流造、屋根は銅板葺です。各所に彫刻を多用し、縁を腰組で受け、向拝部における
手挟みの支持形式や木鼻の龍等、市内の他の本殿ではあまり見られない特徴をもっています。
拝殿:桁行4間(6.2m)、梁間3間(6m)で、入母屋造、桟瓦葺の建物です。拝殿に丸柱を使用している
のは珍しいことです。
幣殿:拝殿背後に接続した切妻造で、屋根は桟瓦葺の建物です。
渡殿:本殿と幣殿を繋ぐ吹放しの切妻造、屋根は桟瓦葺の建物です。
(渡廊下)を設ける神社は、江戸期のものは市内では当社しかなく、非常に珍しいことです。
(境内案内板より)
北九州都市高速4号線沿いの白岩町の白岩神社
【祭神】伊弉諾尊 伊弉冉尊
【御由緒】
1.正和年中(1312~1317)麻生氏の創立。
2.文明年中(1469~1487)邑主香月七郎興則再興せり。昔はすこぶる大社なりしと言う。
(平成祭データ)
楠橋地区の廣旗(ひろはた)八幡宮
【祭神】應神天皇 神功皇后 天照大神 仲哀天皇
(配祀)宗像姫三神 大國主命 仁徳天皇 菅原神 素盞嗚命 高オカ神 闇オカ神 罔象女神
【御由緒】
1.神功皇后征韓より御凱旋のみぎり当所明ケ森にてたちあかしを焼き給ひ聖蹟に因み
2.聖武天皇十二年(740年)大野東人勅命を奉じて朝敵藤原廣嗣討伐の時、
八幡宮を勧請せられしに創る。
3.朱雀天皇天慶四年小野好古、源経基、大蔵春實の諸公朝命により藤原純友討伐のため
下向ありその戦勝祈願の報さいとして祭田一町二反(神楽田)御供田四反(宮田)神馬一頭を
寄進せらる。
4.白河天皇永保二年に明ケ森の古宮より現在の鞘緒山に遷御し奉る本社は、又木夜郷(和名抄)
本社と称せら古へは、すこぶる大社なりしも天亀、天正の戦乱により神殿、社記の類は悉く
焼失せり。
(平成祭データ)
平成14年3月北九州市指定 有形民俗文化財(建造物)
本殿、拝殿、幣殿、渡殿 3棟 附 棟札10枚
現在の社殿は、境内地(約12,000㎡)の南北方向を軸に北から本殿、渡殿、幣殿、拝殿が配置されています。これらの社殿は保存状態が良好な江戸時代末期の神社建築として貴重であり、近世神社建築を知る上で高い価値が認められます。
現存する棟札などから、本殿は天保12年(1841年)に起工され翌13年3月に上棟、5月に遷宮、渡殿・幣殿、拝殿は弘化4年(1847年)6月に起工、翌5年4月に上棟、大工棟梁は楠橋村の光長貞定ほか近村の4人で、彫刻は鞍手郡金丸村(現在の若宮町)の古田源衛門の作です。
本殿:桁行3間(4.2M)、梁間3間(4.OM)、身舎が梁間3間で、全て丸柱とする特殊な大型前室付
三間社流造、屋根は銅板葺です。各所に彫刻を多用し、縁を腰組で受け、向拝部における
手挟みの支持形式や木鼻の龍等、市内の他の本殿ではあまり見られない特徴をもっています。
拝殿:桁行4間(6.2m)、梁間3間(6m)で、入母屋造、桟瓦葺の建物です。拝殿に丸柱を使用している
のは珍しいことです。
幣殿:拝殿背後に接続した切妻造で、屋根は桟瓦葺の建物です。
渡殿:本殿と幣殿を繋ぐ吹放しの切妻造、屋根は桟瓦葺の建物です。
(渡廊下)を設ける神社は、江戸期のものは市内では当社しかなく、非常に珍しいことです。
(境内案内板より)
北九州都市高速4号線沿いの白岩町の白岩神社
【祭神】伊弉諾尊 伊弉冉尊
【御由緒】
1.正和年中(1312~1317)麻生氏の創立。
2.文明年中(1469~1487)邑主香月七郎興則再興せり。昔はすこぶる大社なりしと言う。
(平成祭データ)
当社の社名「廣旗(ひろはた)」の由来について、手元の資料では不明です。(記述がありません。)
1.筑前國續風土記拾遺 中巻 には
遠賀郡楠橋村に「八幡宮」の記載があります。
2.福岡縣神社誌 上巻(昭和19年)には、
村社 廣旗八幡宮 遠賀郡香月町大字楠橋字六面 辻 とあり、社号の前に社名がついています。
3.境内案内板には
三 由来
1081年 宮田の地在の八幡大神宮を故有りて改 め、此処鞆緒山の霊域に社殿を創建。
「木夜郷本社楠橋之庄八幡大神宮」と称した。
とあるのみで社名「廣旗」がいつから付いた かは不明です。また「廣幡」と表記したかも
わかりません。
一般的に社号の前の社名は地名、または神名がつくと聞いています。とくに八幡宮(神社)はほとんど地名が社名になっているのが普通ですね。
祭神の應神天皇は八幡神「誉田天皇広幡八幡麻呂」とされていますので、当社では祭神を社名として
いるのでしょうか。
神社本庁の神社データベース「平成祭データ」には全国で
1.廣幡八幡宮(神社)
宮城、千葉、長野、愛知、三重、岡山の各県に みられます。
2.廣旗八幡宮(神社)
山口、徳島、香川、福岡にあります。
以上のように岡山より東では「廣幡」、山口以西四国、九州では「廣旗」とはっきりと区別されて表記されています。
このデータだけでは時代より地域で表記が異なっているといえます。
以上、今後とも宜しくお願いいたします。