九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

物部神社(島根県太田市)

2024-02-29 15:29:48 | 神社参拝ー中国

 例年1月、2月はあっという間に過ぎていましたが、今年は正月から闘病生活で、一日一日が長く感じています。
2/13、退院後、週一回通院していますが、経過は順調とのことで、安心しています。
 
 長い時間椅子に座るのがお尻に良くないので、当ブログの更新も控えていました。久しぶりに全国一宮を掲載します。

おことわり:掲載の写真は、参拝当日(10/19/2008)のものです、現在と異なっている場合があります。

物部神社を掲載しました。

 「式内社」 物部神社(もののべじんじゃ)
<通称>一宮さん(いっくうさん)
【鎮座地】〒694-0011 島根県大田市川合町川合1545 旧石見国 安濃郡
【電話】  0854-82-0644
【旧社格等】 国幣小社 (現別表神社)
      石見國一の宮
      式内社 石見國安濃郡 物部神社 
【御祭神】 宇摩志麻遲命
      (配祀)饒速日命 韴靈神 天御中主大神 五神 鎭魂八柱
      (合祀)天照大御神    
【例祭】 10月8日 例大祭

【御由緒】  
  石見の国一の宮
物部神社
 御祭神宇摩志麻遅命は、物部氏の御祖神として知られていおります。御祭神の父神である饒速日命は十種神宝を奉じ、天磐舟に乗って大和国哮峯(いかるがみね)に天降り、御炊屋姫命を娶られ御祭神を生まれました。御祭神は父神の遺業を継いで国土開拓に尽くされました。
神武天皇御東遷のとき、忠誠を尽くしたので天皇より神剣フツノミタマノ剣を賜りました。また、神武天皇御即位のとき、御祭神は五十串を樹て、フツノミタマノ剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈願されました。(鎮魂祭の起源)
その後、御祭神は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定され、天香具山命は新潟県の弥彦神社に鎮座されました。御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫(つるぶ)・忍原(おしはら)・於爾(おに)・曽保里(そほり)の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎され(一瓶社の起源)、安の国(安濃郡名の起源)とされました。
次いで、御祭神は鶴に乗り鶴降山(つるぶさん)に降りられ国見をして、八百山が大和の天香具山ににていることから、この八百山の麓に宮居を築かれました。(折居田の起源)
 以上
  (平成祭りデータ)

物部神社
島根県大田市川合町。旧国幣小社(現、別表神社)。延喜式内社。石見国一の宮。
祭神は宇摩志麻遅命を主祭神とし、右相殿に饒速日命・布都霊神、左相殿に天御中主大神・天照皇大神を配祀し、 他に天神四柱の神籠を左方に、鎮魂八柱の 神籠を右方に奉安する。 
 創建は継体天皇八年と伝え、祭神は天香具山命とともに物部氏の一族を率いて、美濃(岐阜県南部)、越国(北陸地方)を平定し、石見国(島根県西部)に入り死去したと伝え、社殿背後の八百山の古墳は神墓と伝える。また播磨・丹波国(兵庫県)を経て石見国へ入ったともいうが、この付近に相当規模の物部氏配下の 部民である「物部」の集団があり、古くから集落をなし、中央豪族たる物部氏の部民に編成され貢租や労力を徴収されていたのであろう。『三代実録』貞観11年(869)正五位下、後、天慶四年(941)正四位上に昇叙。戦国時代には、大内、毛利氏をはじめとして武将の崇敬篤く、天正19年(1591)に豊臣秀吉は社領二八五石を定め、江戸時代、慶長一三年(1608)徳川家康の社殿造営、文政元年(1818)、安政三年(1856)には銀山領、浜田、津和野二領の 勧化金で社殿の修造をした。
 春日造りの流 れをくむ社殿(県指定の文化財)は島根県内にあっては出雲大社につぐ規模であり、享保三年(1718)焼失したが、宝暦三年(1753再建され、修理を経て現在に至る。
境内、外社も多く、川合神社は石見国造の祖の物部連竹子命を祀る。
 社宝は太刀(銘了解戒・重要文化財、銘雲生・県指定の文化財)をはじめとして、縁起書、当社伝来の『伊勢物語』他多くを蔵す。
例祭一〇月九日。かつては田植囃、流鏑馬が行われたが現在はない。他に御田植祭(七月二〇日)、田面祭 (九月一日)、鎮魂祭(一一月二四日他多くの古伝祭が行われている。
  (東京堂出版 神社辞典より)

【参拝月日】 10/19/2008

境内入り口
 島根県のほぼ中央に位置する、太田市にあります。三瓶山からの靜間川と石見国西部から流れる忍原川の合流点の川合町に鎮座しています。手前に「石見一宮 物部神社」とある社号標、一段高い位置に社殿のある境内です。

大鳥居から境内
 大鳥居は、出雲大社と並ぶ大きさで、木製としては島根県最大の明神鳥居です。平成25年の創建1500年記念事業の一環として建造されました。

大鳥居から拝殿
 大鳥居から一直線に延びる参道の正面に拝殿から本殿と続いています。背後の山は、八百山と呼ばれ、神体山と崇められています。

参道から拝殿
 鳥居をくぐり、参道を進むと、一対の狛犬と、続いて狛犬ならぬ、狛鶴が迎えてくれます。

手水石
 参道右手にあります。富金石(と呼ばれる、砂金を含む石で作られた珍しい手水石です。なかに「浄」「勝」「財」「健」「徳」の勾玉が彫られています。
 
  富金石(ふきんせき)
 この手水石は俗に含金石と呼ばれる 砂金を含んだ大変珍しい石です。 手水石に彫られた四つの曲玉にふれて 勝運や財運をお祈り下さい。
石の持つ特殊な霊気により貴方の内なる運気が呼び覚まされるでしょう。 また手水に流れる水は御神井より湧き出る御神水です。その昔「石見国 安濃郡川合郷に甘露降る」と古文書に 書かれ、時の国司が朝廷に献上したところ、天皇は吉兆だと喜ばれ、元号を仁寿と改められました。(851~854)
 御神井に湧き出る御神水はこの流れといわれ、枯れることなく現在に至っております。
手水石の曲玉 一、浄の曲玉  二、勝の曲玉  三、財の曲玉  四、健の曲玉  五、徳の曲玉


社殿全景
 左から、授与所、一段高い位置に、拝殿、その奥に本殿と並んでいます。


拝殿 
 入母屋造、銅板葺きの屋根、昭和13年(1938)造営、台湾から大径の檜を輸入し、用材としてふんだんに使用されています。
  緑深い八百山の前に豪華な社殿です。

拝殿の扁額と幔幕
 「物部神社」とある、木目の綺麗な、扁額には「昭和46?年4月」の日付が見られます。幔幕には神紋「日負鶴」があしらわれています。

拝殿の扁額
 「正一位物部大明神」とある、扁額は「天保六年正月伏見宮邦家親王御真筆 社宝 伏見御所寄付」の札が横にあります。  

拝殿・本殿
 御祭神、宇摩志麻遅命は、神武天皇の大和平定を助けた後、物部一族を卒いて尾張国・美濃国・越国を平定し、後にこの石見国で没したと伝えられています。

本殿 
 継体天皇8年(513)に創建され、宝暦3年(1753年)に再建され、文政元年(1818)の修理を経て、安政3年(1856年)宝暦時の規模で改修されています。

本殿 
 当地では出雲大社の大社造が多い中、春日大社に由来する春日造です。妻入りの切妻造の前方に、庇を延ばしてある。高さ16mに及ぶ、春日造では全国一の規模です。
 高床で屋根に千木と鰹木を載せるな大社造りととの共通点も多い。

勝石
 拝殿の直ぐ左(西側)にあります。宇摩志麻遅命が石見の地に降臨した際に腰掛けられたと言われる岩です。昭和56年(1981)に近隣から移転されています。

  折居田のお腰掛岩
 むかし物部神社の御祭神宇摩志麻遅命が白い鶴に乗ってこの川合に天降られました。そのところを鶴降山といいます。 鶴降山から国見をなされたところ、八百山(神社の後山)が大和国の天の香具山によく似ているので、八百山の麓にお住まいなさることになりました。このとき 鶴降山から白い鶴に乗って降りられたところを折居田といいます。
 折居田には御祭神が腰を掛けられたという大きな岩があり、またむかしから大きくもならず枯れもしないといい伝え のある一本の桜の樹がありました。 ここから東へ六百メートルくらいのところに あって、石碑が建ててあります。
 近くには清らかな泉もあり、十種神宝を祀る石上布瑠神社もあります。 昭和五十六年の秋、道路の拡張工事のためお腰掛岩と桜の樹を境内に移して伝説とともに永久に保存することになりました
 御祭神が白い鶴に乗って天降りなされたという伝説によって、物部神社の御神紋は「日負鶴」となっています。

西五社(荒経霊社・皇祖四代社)
 本殿の左(西側)に隣接する末社です。荒経霊社は素戔嗚尊を、皇祖四代社は天忍穂耳尊・瓊瓊杵命、彦火々出見尊・鵜草葺不合命(天照大御神の直系子孫4代)が祀られています。

稲荷神社
 本殿左(西側)西五社の左にあります。稲倉魂命、大穴牟遅神、大年神、大地主神を祀る末社です。左に、御神墓への入り口があります。

東五社(神世七代社)
 本殿右(東側)にあります。天地開闢の折に出現した13柱七代の神(國常立尊 國狹槌尊 豐斟渟尊 泥土煮尊 沙土煮尊 角杙尊 活杙尊 大戸道尊 大戸邊尊 面足尊 惶根尊 伊弉諾尊 伊弉冉尊 )を祀る末社です。

須賀見神社・乙見神社
 東五社の右にある末社です。須賀見神社には六見宿禰命、乙見神社には三見宿禰命が祀られています。

後神社
 本殿右(東側)にあります。御祭神・宇摩志麻遅命の妃神である師長姫命を祀る摂社です。正面に二本の大杉が聳えています。

一瓶社
 後神社の右(東側)にあります。佐比売山三瓶大明神を祀る末社です。 石見国を制した宇摩志麻遅命は3つの聖なる瓶を各所に納めて平和を祈りました。 その1つが一瓶社です。三番目の瓶は三瓶山の 麓の三瓶大明神に祀られ、このことから三つの瓶の山——三瓶山——の名がついたといわれています。

一瓶社の伝説
 物部神社の境内地には一瓶社という厳瓮(いっぺ)を 祀った末社があります。御祭神がこの地方を平定された時に三つの瓶を三ヶ所に据え、この地方を安住の地とされました。一番目の瓶は物部神社の一瓶社に納め、二番目の瓶は浮布池の邇幣姫神社に、三番目の瓶は三瓶山の 麓の三瓶大明神に祀られ、このことから三つの瓶の山——三瓶山——の名がついたといわれています。古名は佐比売山といい、出雲国風土記の国引き神話には佐比売山としるされています。また一瓶社には室町時代頃の古備前の大甕(二石入り) が現存しており、代々この大甕を使って神饌用の御神酒を造っています。(忌籠神事)

御神井
 本殿右(東側)にあります。平安時代から伝わる、御神水です。かつて、朝廷に献上され、元号・仁寿(851~854)の由来となったと伝えられています。
 
境内社
 御神井の近くにあります、御祭神等不明です。

神馬(パーソロン号御神馬像)
 拝殿の左側下にあります。パーソロン号は七冠馬シンボリルドルフの父馬でその血統で一時代を築いたサラブレッドです。氏子の方により平成2年(1990)午年の年に奉納されています。
 
御神木(夜なき椨・聖天さん)
 神馬像の左にあります。「夜なき椨」呼ばれる子育ての御神木の椨の巨木です。
 
御神木(夜なき椨・聖天さん)中に縁結び・安産の神とされる大聖歓喜天が祀られています。
  夜なき椨
 この前の水は古来より子育ての神木として有名です。
夜なきをする子をこの本の空洞に一晩寝せておくと夜なきがなおった といわれ子供の病気やけがを なおす神様です。

  聖天さん
 姿は象頭人身の双身像で男天(魔王)と女天(十一面観音の化身)が抱きあっており、富貴を与え、病をのぞく、夫婦和合の神様です。
 縁結び、子宝を授ける神様です。

石見尊徳岩谷九十老翁頌徳碑
 江戸後期から明治中期にかけて、地域に多大な貢献をされた豪農・岩谷九十老翁(米安大明神)を顕彰する石碑です。


拝殿から大鳥居
 当社では年間を通して、各種祭事が斎行され、1月7日の奉射祭(ぶしゃさい)では、「鬼」と書いた的を射手が射抜いて邪気を祓い、今年一年の無病息災を祈る魔除神事で地元ではテレビ放映も行われています。

参道から大鳥居
 手前の狛鶴は、石見に入った、宇摩志麻遅命が白鶴に乗って降臨されたという伝説が残っていることから、神使(神さまのお使い)は「鶴」、御神紋も太陽を背に負った鶴「ひおい鶴」となっています。

境内全景
 後背の八百山は、宇摩志麻遅命が「天香具山に似ている」と思し召して宮居を定め、のちに葬られた場所と伝わっています。社殿が創建される前は御祭神が鎮まる八百山を神体山として崇めていました。

当日の参拝記録です、10数年前の記憶を思い出すのも楽しいです。



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