籠神社(このじんじゃ)を掲載しました。
おことわり:掲載の写真は、参拝当日(10/24/2008)のものです、現在と異なっている場合があります。
丹後國一の宮「式内社」籠神社(このじんじゃ)
<通称>元伊勢(もといせ)
【鎮座地】〒629-2242 京都府宮津市字大垣430 旧丹後国 与佐郡
【電話】 0772-27-0006
【旧社格等】 国幣中社 (現別表神社)
丹後國一の宮
式内社 丹後國與謝郡 籠神社 名神大 月次新嘗
【御祭神】・彦火明命
(配祀)
・天照大神 ・豐受大神 ・海神 ・天水分神
【例祭】 4月24日 葵例大祭
【御由緒】
伊勢神宮元宮(古称與佐宮)
延喜式内 山陰道一之大社
丹後國一宮 籠神社
御祭神 彦火明命 (元伊勢一の宮)
(天照御魂神)
相殿 天御中主神
天照大神 (豊受大神)
海神 (豊玉姫命)
天水分神 (水神)
例祭 四月二十四日 葵祭ト称ス
摂社(奥宮)眞名井神社
御祭神 豊受大神 相殿 伊弉諾尊
例祭 十月十五日
境内神社 蛭子社 天照皇大神社 春日社 猿田彦命社
寶物古文書
一、 藤原佐理郷筆額面勅額 重要文化財
一、 小野道風筆 額面 勅額
一、 蘭陵王古面 文蔵主作
一、 丹後國一宮深秘 建武年中書写
一、 籠名神社祝部海部直氏系図 國寶
一、 石造狛犬二基 鎌倉時代建造 重要文化財
(境内由緒掲示板より)
籠神社
元伊勢籠神社のしおり
神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮眞名井原に豊受大神をお祭りして来ましたが、その御縁故によって人皇十代崇神天皇の御代に天照皇大神が大和国笠縫邑からおうつりになって、之を與謝宮(吉佐宮)と申して一緒にお祭り致しました。その後天照皇大神は11代垂仁天皇の御代に、また豊受大神は21代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢におうつりになりました。それに依って当社は元伊勢と云われております。両大神が伊勢にお遷りの後、天孫彦火明命を主祭神とし、社名を籠宮(このみや)と改め、元伊勢の社として、又丹後国の一之宮として朝野の崇敬を集めて来ました。
以上
(平成祭データ)
ーー御由緒ーー
當社は、古代には吉佐宮と云い、奥宮のある真名井原の霊地に、豊受大神と天照大神を共に祭った、両大神が伊勢にお遷りの後、天孫彦火明命を主祭神として、外に天照大神、豊受大神、海神、天水分神を共に祭り、龍宮と申した。以後、元伊勢と云われ、又、丹後国の一宮として名高い。神社創立の昔から、海部直(あまべのあたい)が神主として累代奉仕し、今八十二代を数える。
名勝天橋立は、昔は富社の参道として発祥し、又、神域であった。社殿は伊勢神宮と同じ、唯一神明造りであり、特に本殿高欄上の五色の座玉(すえたま)は、神宮と當社のみの高い格式を 表している。
(境内案内図より)
【参拝月日】 10/24/2008
一の鳥居
京都府の北西部、宮津市にあります。日本三景のひとつ、天橋立の北の付け根に鎮座しています。前に二基の社号標があります、右は「與佐宮阯丹後一之宮」 左には「元伊勢大神宮籠之宮」とあります。
宇治橋から一の鳥居
一の鳥居は前に架かる宇治橋を渡ります。岐阜県から産出された苗木石でつくられた、笠木が0.82mで、高さが7.14mの神明鳥居です。平成19年(2007)の竣工の新しいものです。
参道から二の鳥居
参道を進むと左に手水舎、正面に、二の鳥居、明治時代に二の鳥居があった場所に平成14年(2002)再建された神明鳥居です。奥に神門です。
神門
神明造で鰹木は6本、千木は内削ぎ、昭和6年(1931)のご遷宮の際に新築されました。鎌倉時代に作られ、天橋立に現れたと伝わる、国の重要文化財の狛犬は、着物?を着せられていました。
神門から拝殿
神門を入ると社殿のある境内です。正面に拝殿です。奥に本殿が続きます。
拝殿
拝殿の前、左右に、2本の神木があります。右が、無患子(むくろじ)、左は、玉樟(たまくす)です。
拝殿
神明造で鰹木は8本、千木は内削ぎ、このような神明造は伊勢神宮に代表される建築様式です。昭和6年(1931)の御遷宮です。
当社は、神代、眞名井原(奥宮)に豊受大神が降臨、後に鎮座地を伊勢に定める前に天照大神が遷幸したとの伝承から「元伊勢」とも称されています。
本殿
西側側面です。柱が丸く、棟持柱や心御柱がある神明造。欄干の擬宝珠は青・黄・赤・白・黒色に彩色された「五色の座玉」で、伊勢神宮・内宮の御正殿とここしかないことから見られるのはここだけです。
奥宮より現在地に遷座した養老三年(719)を創建としています、社号は、主祭神の彦火明命(山幸彦)が籠船に乗って、海神を訪ねたという故事に由来しています。
本殿
伊勢神宮内宮と同じ唯一神明造で、鰹木は10本、千木は内削ぎ。桁行三間、梁行二間の神明造で、檜皮葺。弘化2年(1845年)の再建で、京都府の有形文化財に指定されています。
さざれ石(産霊岩むすびいわ)
拝殿左にある、天然記念物の石です。日本国歌「君が代」で歌われる石、末永く日本が栄えるよう、願いが込められています。
境内社
社殿の左(西側)に4社並んでいます。右から、天照大神和魂社、春日大明神社、猿田彦神社、真名井稲荷神社です。
天照大神和魂社
天照大神の和魂を祀る、境内摂社です。
春日大明神社
春日四神(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神)を祀る末社です。古代には武甕槌社と称したと伝えられています。
猿田彦神社
古代から大世多大明神と呼ばれる猿田彦大神を祀る末社です。
真名井稲荷神社
宇迦御魂、保食神、豊受比売を祀る摂社です。明治末期まで奥宮:真名井原に祀られていましたが、平成3年(1991)に当社境内に再建されたことから、真名井とついています。
恵美須神社
拝殿の右(東側)にあります。彦火火出見命、倭宿禰命を祀る、摂社です。大化以前の籠宮の元神であり、主祭神であったと伝えられています。
古代御生れの庭
境内左(西)境内社、天照大神和魂社の対面にあります。お生まれ神事の心と形を今の世に偲ぶために、自然石で築かれた石庭です。
倭宿禰命の銅像
境内左端、真名井稲荷神社の左にあります。海部宮司家四代目の祖、倭宿禰命の像です。古事記に神武東征の途次、明石海峡(速吸門)に亀に乗って現われ、水先案内を務めた、珍彦(倭宿禰命)の姿です。
倭宿禰命
別名・珍彦・椎根津彦・神知津彦
籠宮主祭神天孫彦火明命第四代
海部宮司家四代目の祖
神武東遷の途次、明石海峡(速吸門)に亀に乗って現われ、神武天皇を先導して浪速、河内、大和へと進み、幾多の献策に依り大和建国の第一の功労者として、神武天皇から倭宿禰(やまとのすくねの称号を賜る。 外に大倭国造、倭直とも云う。
大倭(おおやまと だいわ)の字音は、後の大和の(やまと)の国号に深い関係があると云われる。
亀に乗ったお姿は応神朝の海部の賜姓以前、 海人族の始原の一面を語り、又海氏と天系との同一出自をも示唆するようである。
御神徳
人生先導、事業成就、健康長寿、平和招来、海上守護
元伊勢籠神社
八十二代宮司 海部光彦
社殿全景
右奥から拝殿、授与所、と続き、拝殿奥に本殿です。4社並んだ境内社前は、割とゆったりとしています。
拝殿から神門
神門から、二の鳥居、一の鳥居まで一直線に参道がつづいています。
神門から二の鳥居
向かって右の手水舎は、平成20年(2008)に新築された、神宮様式の手水舎です。参拝当日(10/24/2008)は新品でした。
千古のたたずまいを見せる奥宮
眞名井神社
古代丹波の最高神である豊受大神(天御中主神又は國常立尊とも云う)を大氏神として戴いて当地方に天降られた天照國照彦火明命は、大神様をお祭りするのにふさわしい神聖なところとして、常世の波の寄せる天橋立のほとりのこの地をお選びになりました。こうして造化の名勝天橋立の北端眞名井原に御鎮座、第十代崇神天皇の時に天照大神の御霊代が當宮にお遷りになり、吉佐宮(よさのみや)と申して豊受大神と御一緒に四年間お祭りされました。元伊勢の御由緒の起こりです。奥宮は今、神代が現代に生きている聖地として、心ある信仰者の熱い祈りが日々捧げられています。
(籠神社パンフレットより)
奥宮(眞名井神社)一の鳥居
本社裏から、東に400mほどにあります。参道入り口の鳥居です。左に「外宮大元宮吉佐宮」の社号標。
奥宮境内入り口
左に「眞名井神社」とある社号標と古名の石碑。右の社号標には、「匏宮大神宮」とあります。
古名の石碑には
眞名井神社
豊受大神元津宮ナリ
古名 匏宮 吉佐宮 与謝宮
一云 天吉葛宮
一云 比沼眞名井
一云 久志浜宮
一云 元伊勢大元宮
右の社号標の裏には、
匏訓吉佐瓢也
比佐古之社
吉佐宮
一名 豊受大神宮
一名 古社大明神
一名 真名井奥宮
一名 久志日野真名井原乃宮奥宮
波せき地蔵
二の鳥居の左手前にあります。大宝元年(701)に大地震の大津波が押し寄せたが、この地蔵の前で止まったと伝えられています。
真名井原 波せき地蔵堂
昔太宝年間(約一三〇〇年程以前)に、大地震の大津波が押し寄せたのを、ここで切り返したと伝えられ、以後 天災地変から守る霊験と子育て 病気よけの妙徳も聞こえる。
又、日本の原点真名井の神への お取次もされると云うあらたかな お忍裁さんである。
二千五百年(ふたちいは) 鎮まる神の神はかり 百の御生れの時ぞ近づく
平成八年八月八日
(現地案内板)
天の真名井の水
二の鳥居の左前にあります。主祭神(海部氏始祖)から三代目の天村雲命が高天原から持ち下った、御神水です。
天の眞名井の御神水
豊受大神をお祭りするのにこの地が選ば れた理由の一つは、眞名井の水という御神水が湧き出ていたからです。これは主祭神(海部氏始祖)から三代目の天村雲命が高天原に参い登って、神々がお使いになる天の眞名井の水を黄金の鉢に入れて持ち下り、それを古代丹波の泉に合せたと云われ、その霊験を 今に伝えているのがこの眞名井の御神水で、豊受大神のお顔は
藤の花で、そのみたまは天の眞名井の水との秘伝があります。このお水は古来「天地根源眞名井の水」と称されて来ました。
(現地案内板)
二の鳥居と狛龍
人の生き死をも統べるといわれる宝玉、潮満玉(金色)と潮干玉(銀色)を持つ龍神(狛龍)が左右にあります。
参道
二の鳥居をくぐると緩やかな参道が続きます。
拝殿
参道の階段を上がると正面に拝殿です、奥に本殿が続いています。
社殿全景
神明造で屋根は檜皮葺です。遥か昔、伊勢神宮の御祭神である天照大神と豊受大神を祀っていました。古くは、「匏宮」「吉佐宮」「与佐宮」「与謝宮」などと表記されていました。
磐座
本殿裏にあります。本殿側から見て、右、磐座主座 左、磐座西座です。
磐座主座、磐座西座
右、磐座主座には「天御中主大神霊畤」の標柱、豊受大神を祀り、相殿として罔象女命、倉稲魂命、神代五代神を祀る。左側は磐座西座、「天照大神小宮霊畤」の標柱。天照大神、伊射奈岐大神、伊射奈美大神が祀られています。
磐座奥座
本殿右奥にあります。盬土老翁(大綿津見神、亦名住吉同体、亦名豊受大神)、宇迦之御魂(稲荷大神)、熊野大神(須佐之男神)、愛宕大神、道祖神が祀られています。
産盥(うぶたらい)
拝殿向かって、右にあります。鳥居の奥に盥のようなくぼみのある、大きな石があります。神様が沐浴されたものなのか、いわれ等不明です。
境内から参道
階段を下りた先に二の鳥居が見えます。
(以上、参考、2015年9月、㈱デアゴスティーニジャパン発行「週刊日本の神社、No81」)
成相山パノラマ展望台
天橋立の全容を見られる、展望台に上がりました。天橋立は宮津湾に延びる3km以上の、細長い、砂嘴(さし)いわば自然の橋です。博多湾の海の中道も同様です。
https://www.jalan.net/kankou/spt_26205ad3350045769/
天橋立
かつては、籠神社の社領地であり参道でもありました。天への架け橋としてイザナギ、イザナミの神が上り下りに使っていましたが、ある日イザナギが昼寝をしている間に倒れ、天橋立になったと云われています。
天橋立の起源と神秘
京都府の北部、日本海に面した宮津湾の西端を小さく区切る 阿蘇海の波静かな水面に、松の緑の香ぐわしく神秘なたたづまいを見せて真一文字にぽっかり浮かぶ特別名勝天橋立は、その昔は 当神社の境内であり、又参道で ありました。
その天橋立は、地形的にははるか昔に河川や内湾の土砂の流れを外海の激しい潮流が堰きとめてできた砂嘴(さし)であると云われます。紺青の海に青青と緑の生い茂る一文字の松原はまさに造化の妙でありましょう。
さて伝承に依りますと神代の昔、天にあった男神イザナギノ大神が地上の籠宮の磐座(社殿建築以前の太古の祭場)に祭られていた女神イザナミノ大神のもとに 通うため、天から大きな長い梯子を地上に立てて通われたと云わ れます。すると一夜梯子が倒れてしまいそれが天橋立となったと伝えられています。これは人間の心が純朴で素直であった古代には、 神と人、天と地上とは互いに往き来でき、天橋立は神と人、男と女とを結ぶ愛の懸け橋と信じられていたのです。
(籠神社パンフレットより)
https://www.amanohashidate.jp/spot/amanohashidate/
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