広島市南区猿猴橋町・・・
江戸時代の道路として、当時、西国街道とも呼ばれた山陽道は、京都の羅城門(東寺口)から赤間関(現在の下関市)に至る道として再整備されたものである。
寛永10年(1633年)の幕府巡視使の巡視を契機としたが、寛永12年(1635年)参勤交代制の確立のためにも重要な街道であった。(概要)
猿猴橋
江戸時代から架かっており、現在の橋が完成したときには広島一の橋といわれ、渡り初めには遠方からたくさんの人が来たといいます。猿猴橋の由来は猿または猿猴(河童)が生息していたからとも伝えられています。落成当時欄干には猿猴の透かし彫りもあったそうです。1926年(大正15年)3月架橋されました。爆心地から約1,820mほど離れており、欄干の一部が破損する被害で済んだそうです。
猿猴橋町6番附近・・・
広島電鉄 猿猴橋町電停附近・・・
猿猴橋附近・・・
JR広島駅南口附近・・・・
猿猴橋・・・
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