広島市東区矢賀地区・・・
江戸時代の道路として、当時、西国街道とも呼ばれた山陽道は、京都の羅城門(東寺口)から赤間関(現在の下関市)に至る道として再整備されたものである。
寛永10年(1633年)の幕府巡視使の巡視を契機としたが、寛永12年(1635年)参勤交代制の確立のためにも重要な街道であった。(概要)
矢賀(やが)は、広島市東区の南端にある地区である。南北に長く、芸備線や広島新幹線運転所、広島車両所などに沿った形となっている。地区内には府中大川や温品川が流れています。
矢賀新町4丁目附近・・・
矢賀新町3丁目附近・・・
あけぼの通り矢賀立体附近・・・
矢賀2丁目附近・・・
矢賀1丁目附近・・・
あけぼの通り附近にて・・・
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