《補われた知と対をなすもの-38》
「自己のない心の樹」
「補われた知の樹」が完全に「自己のない心の樹」の自由を奪うことに至った合意された真実、共通の真実は、一方向から見つめた疑う余地のない真実としたため、限界づけた概念の不自由さすらも真実となっていった。
現実に果たせない夢や約束は別世界で果たせるものだという根拠のない真実もまた、疑う余地のない真実となった。
それゆえに、愛情の解放も、一方向から見つめた真実と根拠のない真実において「削除」という最終形からは逃れられなくなっていった。
しかし、疑う余地のない真実であるのに、迷いと悲しみはあった・・・・・
<「生きること」を「自己のない心の樹」は知っていた>・・・・・
<「生きて産む」ことを「自己のない心の樹」は知っていた>・・・・・
<真実はどこにもなく、概念に残る真実は「生きていること」を前提とし存在することを「自己のない心の樹」は知っていた>からだ・・・・・
「自己のない心の樹」は不自由に縛られるとき、それを振り払おうと「補われた知の樹」とは対照的な振舞をする。
それが、疑う余地のない真実に対する、迷いと悲しみとなった。・・・・・つづく。
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