自分自身の状態と相互作用できる「心」のシステムや、他者とともに言語的合意領域を発展(建設)させることができる「心」のシステムは、自分自身の言語を変形の源として扱うことができる。なので言語的に閉ざされた言語領域があり、そこで相互作用することができる。そして変形の領域を高次なクラスとして扱い、他のクラスを区別することができ、他のクラスを自身の補正の対象から外すことも含むこともできる。それにより閉ざされた言語領域を専門化することができる。専門化は自身の選択により心的利益を得ることで成功する。しかし、選択するのは自身ではあるが利益のためには他者がいなくては成り立たない。利益は他者との比較の領域に位置しているからである。
基本的に個人の利益は他者の区別による選択である。自身の努力や経験は他者の区別により利益として成り立つことから、利益は他者の判断に委ねられる。つまり、自身の利益のために他者を利用することはできるが、自身のために自身を利用することは不可能なのである。また、その立場を変換することにより利益を得ることができる。他者との言語作用で、閉ざされた言語領域を表現するとき、確実に言語は指示的意味を含むようになる。そして互いに相互作用をするか、個人の構成の歴史を守ろうとするか、妥協するかのうちでも選択、判断、区別はあり、閉ざされた言語領域には必ず変形は現れる。こうしたシステムの特性としての記述は古くから止まず、現在でも続けられている。その中からいくつか私の考えを織り交ぜ掲示してみよう。
- ・・・・・つづく。
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