あるフォロワーさんのツイートです。
ここで説かれていること、
正しいと思いますか。
――人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる――。
一見、正論風でしょ。
しかし、本当に正論でしょうか。
叙述されている事柄を
正反対なものに置き換えても
成り立ちます。
もし、正論ならば、
叙述を正反対なものに書き換えたら
偽になるはずです。
しかし、偽にならないとすれば、
元々の文章が真ではないからでしょう。
すなわち、
上の文章で
対比して説明されているのは、
「老い」と「若さ」です。
試しに、
上の文章を言い換えてみます。
「人は信念と共に老い、疑惑と共に若返る。人は自信と共に衰え行き、恐怖と共に若くある。希望ある限り老い、失望と共に若さに沈む」。
ねっ?
読んでいて何となく
そうかもしれんと思うでしょう。
こういう風に
反対のものに簡単に置き換えられる文章が
示される限り、
真とも偽とも言えません。
もう少し、
分かりやすい例で言うと、
次の二つの諺です。
一つは、
「3度目の正直」。
もう一つは、
「1度あることは2度ある」。
一般的な命題として述べた場合、
どちらも偽とは言えません。
だから
1回目●、2回目も●だった。
さて、3度目、
「あなたは、どう思うか? ●か○」
と問われて、
どちらと応えていいわけです。
もちろん、当たり外れの問題があります。
しかし、それは、
真偽の問題とは別です。
こんな説明を長々としたくなったのは、
池内恵氏(東大准教授)の
1月20日付の
「『イスラーム国』による日本人人質殺害予告について」
というタイトルの
メディアの皆さま向けの
妙な論稿に出くわしたからです。
こんな文章がありました。
――「イスラーム国」側の宣伝に無意識に乗り、「安倍政権批判」という政治目的のために、あたかも日本が政策変更を行っているかのように論じ、それが故にテロを誘発したと主張して、結果的にテロを正当化する議論が日本側に出てくるならば、少なくともそれがテロの暴力を政治目的に利用した議論だということは周知されなければならない――
☆ 記事URL:http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-258.html
この人、
『イスラーム国の衝撃』(奥付の日付は1月20日)
という著作があるようですが、
この文章において主張されているのは、
自国の政権批判は敵対国を利するというだけのことです。
複雑な修辞が使われているため、
理論的に
小学生のような放言に過ぎないことが
気づかれ難いので罪ですよ。
なぜ、首相の一存で
イスラム圏の国すべてを敵に回せるのでしょう。
そんな判断を
国民が許したでしょうか。
国民の声に耳を貸さない首相の責任を問うのは、
その失政の損失を
国民が被るからです。
「政権批判という政治目的にテロの暴力を利用する」と、
池内氏は、
主張しています。
しかし、実際は、
テロの暴力を招き寄せる
「宣戦布告」
という無責任な行動によって、
「憲法破壊」
という政治目的に利用する
安倍某の軽はずみな行動が非難に対象になっているのです。
参考までに、
冒頭に示したやり方で、
この文章の必ずしも真ならざること、
立証しておきます。
対比されているのは、
「イスラーム国」と「日本」です。
これを入れ替えます。
「日本」側の宣伝に無意識に乗り、「イスラム批判」という政治目的のために、あたかもイスラム側が政策変更を行っているかのように論じ、それが故にテロを誘発したと主張して、結果的にテロを正当化する議論がイスラム国側に出てくるならば、少なくともそれがテロの暴力を政治目的に利用した議論だということは周知されなければならない」
となります。
まるで夫婦喧嘩の悪しき見本です。
一方の主張は、こうです。
「夫」側の宣伝に無意識に乗り、「妻批判」という政治目的のため、あたかも妻側が愛人を囲ったかのように論じ、それが故に夫が暴力を振るったかのように主張して、結果的にDVを正当化する議論が妻側に出てくるならば、少なくともそれがDVを政治目的のため利用した議論だということは周知されなければならない。
これを夫と妻、入れ替えると――、
「妻」側の宣伝に無意識に乗り、「夫批判」という政治目的のため、あたかも夫側が愛人を囲ったかのように論じ、それが故に妻が暴力を振るったかのように主張して、結果的にDVを正当化する議論が夫側に出てくるならば、少なくともそれがDVを政治目的のため利用した議論だということは周知されなければならない。
上と下、どちらが文章として
すっきりしていると感じますか。
この文章で、
分かり難いのは、
DVの主体に妻も含められている点ですね。
しかし、妻のDVも
考えられなくはないのです。
昔、訴訟をネタにした漫談家がいました。
その方、
奥さんに蹴られて、
階段から転げ落ちて
大変な怪我をされたようです。
たまたま、
そのときバランスを崩して
そうなったというのではなくて、
いつも奥さんに
どつかれて家の中で
逃げ回っていたと
週刊誌に暴露されていました。
すなわち、
その視点を素直に受け入れるなら、
上の二つの文章は、
対等に成り立っているのが理解できるでしょう。
つまり、述部を他方のものに取り替えても成り立つわけですから、
元の文章(命題)は、
必ずしも真な文章として完結していないということです。
難解なのは、
文章の構造に由来すると思います。
「●が暴力を振るったかのように主張して」
という個所が
「結果的にDVを正当化する議論が○側に出てくるならば」に
続くくだりで
行動の主体が
●と○の二重になっているので
分かり難いと言えます。
一方を隠して、
読めばわかりやすいかもしれないですね。
難解さだけでなら、
一流の学者です。
余計な飾りを取ってしまえば、
科学者のする議論の枠をはみ出しているのは明らかです。
敵の正しさを認めるのは、
利敵行為だと、
この学者は言っているだけのことなのに、
よくここまで
理解し難くしゃべるなと思います。
正直、なぜ、日本にとってイスラム国が敵なのか、
納得できないです。
政権批判という政治目的のために
テロという暴力を持ち出しているのじゃないです。
テロという結果を前にして、
それを回避する政治目的をもって
政権批判しているのです。
それを強引に
真とも偽とも言えない
話にすり替えられようとしてます、
主語が「イスラーム国」でも「日本」でも
どちらでも成り立つ文章によって!
要するに、
池内氏という学者は、
論理の立て方が転倒してしまっているのです。
政権批判のため
テロという暴力を利用する者などいません。
政権を維持するために
テロを招き寄せ、
その脅威でもって
国民に服従を迫る為政者がいるだけです。
我々国民は、
テロという暴力を避けるため
米国に追随して
イスラム勢力に敵対する有志連合に与する
という政治目的を持つ
現政権に反対しているだけです。
I am not Abe!と。
「転倒している」というのは、
政権批判という政治目的のため
テロという暴力を利用する者がいるかのような
逆転した
ものの考え方を指します。
このような逆転した発想が出てくる背景には
政権は
交代可能という
政治のダイナミズムを忘れさせるために
なされるのでしょう。
「政権批判のため
テロという暴力を利用する者などいません」
という、
この言い方、
3・11のとき、
原発に反対する者がいるから
原発の敷地内に
燃料プールがができたとの言い草を
思い起させます。
あるいは、
虐待する親が
虐待される息子、娘に向かって
「お前が悪い」
と言って聞かせる姿にそっくりです。
イスラエルと軍事同盟を結び、
わざわざ中東に行って
宣戦布告をしたと受け取られても仕方のない
挑発行為をして、
イスラムの勢力を刺激する政権の
行動を検証させず、
そのような批判的な検証のために
”テロ”を持ち出しているのだという難癖をつける。
そのことによって、
テロ行為を招き寄せた
政府の失政に蓋をしようとしているのです。
そうした行為がテロの正当性を決定づけるのに――。
ちなみに、
この先生の専門は何か、
調べました。
ウィキペディアによると、
「イスラム政治思想」が御専門とのことです。
政治思想の
スペシャリストが
こんな風に
言論抑圧の側に立っているというのは、
残念なことですね。
イスラムの教えの影響を受けたという言い訳だけは
勘弁して欲しいものです。
なお、池内恵氏の文章に関して
僕が問題だとした、
上に例として挙げたものも含めて
東大話法の見本だとして
安富歩氏が
「マイケル・ジャクソンの思想」という
サイトにおいて
総括的に批判されておられます。
読まれたらいいと思います。
小気味いいです。
最後に述べられる
「『テロの対象になって当然、責任はアベにある』という言論に対してイメージ操作を行い、
その上で「極めて悪質」と畳み掛けるような手口は、汚い。
これこそまさにテロの暴力の威嚇を背にして自らの政治的立場を通そうとする、
極めて悪質なものであることを、理解しなければならない。」
という安富氏の意見に同感です。
☆ 記事URL:http://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-1046.html
ここで説かれていること、
正しいと思いますか。
――人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる――。
一見、正論風でしょ。
しかし、本当に正論でしょうか。
叙述されている事柄を
正反対なものに置き換えても
成り立ちます。
もし、正論ならば、
叙述を正反対なものに書き換えたら
偽になるはずです。
しかし、偽にならないとすれば、
元々の文章が真ではないからでしょう。
すなわち、
上の文章で
対比して説明されているのは、
「老い」と「若さ」です。
試しに、
上の文章を言い換えてみます。
「人は信念と共に老い、疑惑と共に若返る。人は自信と共に衰え行き、恐怖と共に若くある。希望ある限り老い、失望と共に若さに沈む」。
ねっ?
読んでいて何となく
そうかもしれんと思うでしょう。
こういう風に
反対のものに簡単に置き換えられる文章が
示される限り、
真とも偽とも言えません。
もう少し、
分かりやすい例で言うと、
次の二つの諺です。
一つは、
「3度目の正直」。
もう一つは、
「1度あることは2度ある」。
一般的な命題として述べた場合、
どちらも偽とは言えません。
だから
1回目●、2回目も●だった。
さて、3度目、
「あなたは、どう思うか? ●か○」
と問われて、
どちらと応えていいわけです。
もちろん、当たり外れの問題があります。
しかし、それは、
真偽の問題とは別です。
こんな説明を長々としたくなったのは、
池内恵氏(東大准教授)の
1月20日付の
「『イスラーム国』による日本人人質殺害予告について」
というタイトルの
メディアの皆さま向けの
妙な論稿に出くわしたからです。
こんな文章がありました。
――「イスラーム国」側の宣伝に無意識に乗り、「安倍政権批判」という政治目的のために、あたかも日本が政策変更を行っているかのように論じ、それが故にテロを誘発したと主張して、結果的にテロを正当化する議論が日本側に出てくるならば、少なくともそれがテロの暴力を政治目的に利用した議論だということは周知されなければならない――
☆ 記事URL:http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-258.html
この人、
『イスラーム国の衝撃』(奥付の日付は1月20日)
という著作があるようですが、
この文章において主張されているのは、
自国の政権批判は敵対国を利するというだけのことです。
複雑な修辞が使われているため、
理論的に
小学生のような放言に過ぎないことが
気づかれ難いので罪ですよ。
なぜ、首相の一存で
イスラム圏の国すべてを敵に回せるのでしょう。
そんな判断を
国民が許したでしょうか。
国民の声に耳を貸さない首相の責任を問うのは、
その失政の損失を
国民が被るからです。
「政権批判という政治目的にテロの暴力を利用する」と、
池内氏は、
主張しています。
しかし、実際は、
テロの暴力を招き寄せる
「宣戦布告」
という無責任な行動によって、
「憲法破壊」
という政治目的に利用する
安倍某の軽はずみな行動が非難に対象になっているのです。
参考までに、
冒頭に示したやり方で、
この文章の必ずしも真ならざること、
立証しておきます。
対比されているのは、
「イスラーム国」と「日本」です。
これを入れ替えます。
「日本」側の宣伝に無意識に乗り、「イスラム批判」という政治目的のために、あたかもイスラム側が政策変更を行っているかのように論じ、それが故にテロを誘発したと主張して、結果的にテロを正当化する議論がイスラム国側に出てくるならば、少なくともそれがテロの暴力を政治目的に利用した議論だということは周知されなければならない」
となります。
まるで夫婦喧嘩の悪しき見本です。
一方の主張は、こうです。
「夫」側の宣伝に無意識に乗り、「妻批判」という政治目的のため、あたかも妻側が愛人を囲ったかのように論じ、それが故に夫が暴力を振るったかのように主張して、結果的にDVを正当化する議論が妻側に出てくるならば、少なくともそれがDVを政治目的のため利用した議論だということは周知されなければならない。
これを夫と妻、入れ替えると――、
「妻」側の宣伝に無意識に乗り、「夫批判」という政治目的のため、あたかも夫側が愛人を囲ったかのように論じ、それが故に妻が暴力を振るったかのように主張して、結果的にDVを正当化する議論が夫側に出てくるならば、少なくともそれがDVを政治目的のため利用した議論だということは周知されなければならない。
上と下、どちらが文章として
すっきりしていると感じますか。
この文章で、
分かり難いのは、
DVの主体に妻も含められている点ですね。
しかし、妻のDVも
考えられなくはないのです。
昔、訴訟をネタにした漫談家がいました。
その方、
奥さんに蹴られて、
階段から転げ落ちて
大変な怪我をされたようです。
たまたま、
そのときバランスを崩して
そうなったというのではなくて、
いつも奥さんに
どつかれて家の中で
逃げ回っていたと
週刊誌に暴露されていました。
すなわち、
その視点を素直に受け入れるなら、
上の二つの文章は、
対等に成り立っているのが理解できるでしょう。
つまり、述部を他方のものに取り替えても成り立つわけですから、
元の文章(命題)は、
必ずしも真な文章として完結していないということです。
難解なのは、
文章の構造に由来すると思います。
「●が暴力を振るったかのように主張して」
という個所が
「結果的にDVを正当化する議論が○側に出てくるならば」に
続くくだりで
行動の主体が
●と○の二重になっているので
分かり難いと言えます。
一方を隠して、
読めばわかりやすいかもしれないですね。
難解さだけでなら、
一流の学者です。
余計な飾りを取ってしまえば、
科学者のする議論の枠をはみ出しているのは明らかです。
敵の正しさを認めるのは、
利敵行為だと、
この学者は言っているだけのことなのに、
よくここまで
理解し難くしゃべるなと思います。
正直、なぜ、日本にとってイスラム国が敵なのか、
納得できないです。
政権批判という政治目的のために
テロという暴力を持ち出しているのじゃないです。
テロという結果を前にして、
それを回避する政治目的をもって
政権批判しているのです。
それを強引に
真とも偽とも言えない
話にすり替えられようとしてます、
主語が「イスラーム国」でも「日本」でも
どちらでも成り立つ文章によって!
要するに、
池内氏という学者は、
論理の立て方が転倒してしまっているのです。
政権批判のため
テロという暴力を利用する者などいません。
政権を維持するために
テロを招き寄せ、
その脅威でもって
国民に服従を迫る為政者がいるだけです。
我々国民は、
テロという暴力を避けるため
米国に追随して
イスラム勢力に敵対する有志連合に与する
という政治目的を持つ
現政権に反対しているだけです。
I am not Abe!と。
「転倒している」というのは、
政権批判という政治目的のため
テロという暴力を利用する者がいるかのような
逆転した
ものの考え方を指します。
このような逆転した発想が出てくる背景には
政権は
交代可能という
政治のダイナミズムを忘れさせるために
なされるのでしょう。
「政権批判のため
テロという暴力を利用する者などいません」
という、
この言い方、
3・11のとき、
原発に反対する者がいるから
原発の敷地内に
燃料プールがができたとの言い草を
思い起させます。
あるいは、
虐待する親が
虐待される息子、娘に向かって
「お前が悪い」
と言って聞かせる姿にそっくりです。
イスラエルと軍事同盟を結び、
わざわざ中東に行って
宣戦布告をしたと受け取られても仕方のない
挑発行為をして、
イスラムの勢力を刺激する政権の
行動を検証させず、
そのような批判的な検証のために
”テロ”を持ち出しているのだという難癖をつける。
そのことによって、
テロ行為を招き寄せた
政府の失政に蓋をしようとしているのです。
そうした行為がテロの正当性を決定づけるのに――。
ちなみに、
この先生の専門は何か、
調べました。
ウィキペディアによると、
「イスラム政治思想」が御専門とのことです。
政治思想の
スペシャリストが
こんな風に
言論抑圧の側に立っているというのは、
残念なことですね。
イスラムの教えの影響を受けたという言い訳だけは
勘弁して欲しいものです。
なお、池内恵氏の文章に関して
僕が問題だとした、
上に例として挙げたものも含めて
東大話法の見本だとして
安富歩氏が
「マイケル・ジャクソンの思想」という
サイトにおいて
総括的に批判されておられます。
読まれたらいいと思います。
小気味いいです。
最後に述べられる
「『テロの対象になって当然、責任はアベにある』という言論に対してイメージ操作を行い、
その上で「極めて悪質」と畳み掛けるような手口は、汚い。
これこそまさにテロの暴力の威嚇を背にして自らの政治的立場を通そうとする、
極めて悪質なものであることを、理解しなければならない。」
という安富氏の意見に同感です。
☆ 記事URL:http://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-1046.html
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