のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

小保方晴子さんをバッシングする人たちの特徴

2014年04月13日 10時00分12秒 | 日本の現状
サイト「兵頭に訊こう」に

「奴隷国家におけるSTAP細胞発見へのバッシング」(2014年04月12日 )

と題する記事があります。

そこに、

――ツイッターの情報によると、福島に避難者を戻そうとする上昌広(大学教師)がミヤネで小保方バッシングを繰り返している。また、小保方晴子の記者会見会場には、「放射能は安全」の安斎育郎を礼賛するサイエンスライターの片瀬久美子が来ていて、小保方に噛みついたということだ。

小保方晴子も自分を押しつぶそうとする「大きな力」の存在を感じているようだ。STAP細胞が成功すると困る既得権益支配層が存在することは確かである。

STAP細胞に関する小保方晴子の発見は、これが外国だったら国を挙げて支援にまわる。成功は喜び、失敗は励ましの声になる。しかし、わが国では異様なことにそうはならない。――

と記述されてます。

☆ 記事URL:http://m-hyodo.com/court-case-10/

原発推進派が

小保方晴子さんをバッシングする傾向にある

という指摘に、

はっとするものがありました。

そう言えば

そうなんじゃないでしょうか…。

小保方:「200回以上、実験は成功してます」

記者 :「1回、公開実験して頂けませんか」

小保方:「今まで、毎回毎回が公開実験のようなものです」

(この言葉のやり取りで、何なんだ、この女は?)と、

ずっこけてしまった人が

たくさんいらしゃっるようです。

極論を承知で言います。

その人たちは、

多分に原発推進派なのでしょう。

小保方さんにつき、

(この反論は、反論とは言えない)

という弾劾ないし拒否反応は、

利権との癒着があるか否かは別にして、

原子力村を

支える共通特性

と言えなくもないな…と思うのです。

もちろん、

直感の域を超えていません。

ただ、深く頷くものが内にあるんです。

この小保方さんの答弁に対する拒否反応と

原子力への肯定的評価という

両者の関係は、

単なる偶然の一致か、あるいは、

そうでないのか――

気になるところです。

小保方晴子さんには、

この人にだけ了解されている

何だか奥義のようなものがありそうです。

上述の議論に関連するでしょうか。

少し、分析してみます。

奥義と言うと、

武術のようなので、手技と言い換えます。

この手技、

科学の分野では

嫌う人たちが多いようです。

外科など

手技が認められる医療の世界にあっても、

精神医療となると、

求められている知識、技術は

「薬効」

に関するものであって、

「心のシステム」

に関しないと聞いたことがあります。

その背後には、

製薬会社の巨大な利権が絡んでいると言います。

原子炉と同じく、

薬についても先進国である

イギリスは、

国家として薬剤のデメリットを調査し、

欠陥を熟知しているので

医者に扱わせるには

危険として、

初診での処方を禁じているようです。

これ、結構、

びっくり情報でしょう。

日本は

「医は仁術」

と言う考え方があって、

医者を信奉してます。

でも、イギリス人に言わせれば、

医者ぐらい欲の皮の突っ張った人間はいないわけで、

(こいつらに「抗うつ剤」を処方させたら

患者を廃人にしてしまう)

という、実に、シビアな現状把握をします。

医者としては、

「うつ病」

になるような人の話を

長々と聴く気がないわけです。

それがため5分診療で

お薬は

「お茶碗一杯」

と言うことになりかねません。

胸の奥の方で痛む

良心の声を無視する“専門性”さえ

身につければ、

金はそのほうが儲かる

と言うわけです。

だから

イギリスでは、

日本においてお手伝いさんと同一視されている

福祉士系統の人に

診察させると言います。

そういう工夫を

日本人はするのが苦手なのです。

と言うか、

不可能でしょう。

一体、

福祉士やら看護士と

医者と

どっちがステータスが高いの?

医者でしょ。

お手伝いさんみたく指示待ちの人たちに

処方を任せる?

冗談は、

休み休み言い給えで

話が

終わっちゃうんですね。

偏見に満ちた、

そういう決め付けは、

科学を発達させると言う見地から見て

大きな問題と思います。

「うつ病」治療などの現場では、

病状を

正確に掴むためには

介護士やら、

福祉士などの話を聴く専門家の

助力が不可欠です。

すなわち、「話を聴く」と言っても、

単純なものじゃないのです。

聴き方があって非常に奥が深いのです。

そういう技術を持った人に一層、薬の処方権も与えてしまえ

というイギリスのような考え方は、

ある意味、とても合理的です。

日本人の価値観では

「殿様が殿様然でいられる」という

空気が

尊重されます。

小保方さんへの非難も

要約して言えば、

「論文の書き方を知らなかった」

ということです。

医者の世界で言うと、

カルテの書き方がなってない者が

白い衣を着て、

医者まがいのカルテを書いた!

ということなんですな。

そこに非難が集中してました。

記された内容が

正しいかどうかなど、

二の次、三の次になってました。

しかし、患者相手の仕事でなく、

研究なわけです。

他の者が

簡単にカルテを読み込めるということは、

それ自体、

価値を有しません。



さて、話を「抗うつ剤」に戻します。

日本では

「人の話を聴く」

特殊な技術がなくとも

医者ならば、

処方箋を出してよい建前になってます。

原発もそうです。

データを記録する方法が

マニュアル化されておって、

管理はすべて、コンピューター。

機械の点検等は、

原発ジプシーに一任され

現場での声を上に吸い上げる

ルートがありません。

TPPも同じで、

輸入国、輸出国の駆け引きと言う

手技は役に立ちません。

揉め事は、

一切、企業活動を

阻害する足かせ、手かせになっているか

という観点からのみ

是非が

論じられます。

大企業の論理では

いかなる「手技」であろうと、

それが「手技」である限り、

まずは、関税障壁の一種と見られる

ってわけですな。

残念なことに、

日本では

その傾向を

自国の文化として受け入れやすいです。

誰もが知るように、

錬金術から化学が生まれました。

どんな技術も

市民権を得るまでには、

気の遠くなるような時間を要します。

それが待てない人には、

技術革新を論ずるだけの余裕がないだけなのです。

現在、太陽光発電は、

かつてのIT技術と同じで、

3年で4倍に機能が向上しているそうです。

この成長率を称して、

「ムーアの法則」と言われています

(拙稿「ザ・ガーディアン紙/『アル・ゴア氏の考えるエネルギー政策』」参照/リンク)。

しかし、

そんな超特急の進歩でも

手技を

科学でないと考える人に

時間を長く感じ、

待てません。

実際、ITの最先端の技術、その成長力を支えているのは

インド人です。

一時、日本でも流行ましたけど、

彼らは、

特殊な計算法を採用しています。

ご興味ある方は、

「インド式計算ドリル」

などと題された書物を購入されたらよいでしょう。

インドの、

計算の世界における手技が

記されています。

しかし、紹介は、

どこまでも物珍しさからです。

知的武器と評価し、

その計算法の体得者を

大量に雇用するだけの勇気を

日本人は、

有しているでしょうか。

人材を確保する

という一点に関して、

もう一度、

イギリスの事例を持ち出して起きます。

同国の科学雑誌

「ネイチャー」の権威についてです。

イギリスでは、

記者の養成に力を入れています。

安倍晋三のように

政府の御用聞きにするためではないです。

文字通り、

質を上げているのです。

なぜ、そんなことをするかというと、

科学者は、

往々、自分の住む巣を

守るため、

まるで神の啓示であるかのごとく

データを扱おうとします。

つまり、“誤謬”を認めないということです。

たとえば、3・11以降、

脱原発の象徴として「小出裕章」氏が

持ち上げられました。

この人、確かに人徳者なのかな、

と思います。

しかし、素人の

放射能測定を排除しようと

ラジオで

「素人の放射能測定は迷惑です。止めて頂きたい」と

公然と言ってました。

みんなに持ち上げられた挙句に、

自分を見失った

例証です。

こういう驕りは誰にでも生じます。

小出氏でさえ、

特有なことではなかったのです。

どう回避するか

という問題意識を持ったとき、

解決策は、

精神医療における薬の処方権のあり方について

一言したように、

現場に近い人の活用にあるように思います。

言い方を変えましょうか。

科学が

国民に近い物とするには

解説者が

必要なんです。

それを任務にする人がいないと、

小出氏のような人をして

封建時代さながらに

「素人は黙ってろ」

と言わしめているのです。

イギリスは、

そういう欠陥を見通して、

王室直属の

科学記者を養成するための機関を作りました。

兵頭さんが

「ネイチャー」という

雑誌の権威を持ちあげて

“専門家中の専門家”であるとして

褒め上げます。

それだから、

同誌の査定員が

小保方さんの論文に合格の印を押したことを

重く受け止め、

くちばしをさしはさむなと仰りたいわけです。

これもしかし、実は、

「専門家は偉いんだ」

という根拠なき信仰に支えられた妄言です。

「ネイチャー」の査定員だって、

元を正せば、

ただのジャーナリストのはずです。

“専門家中の専門家”

という評価は、

知らぬがゆえの

贔屓の引き倒しでしょう。

思うに、

日本のマスコミに所属する記者たちは、

同じ記者でありながら

なぜ「ネイチャー」の記者たちが沈黙を守っているのか、

考えるべきです。

科学がどんなものであるかを、

彼ら、

イギリスの記者たちは、

知っているんです。

日本の記者は知らない…

という点に、

根本の問題が横たわっています。


4月10日発行、日刊ゲンダイ記事に

小保方さんの会見を

「墓穴掘った釈明会見」

として、

泥試合とも言うべき

“10年裁判”が

始まると

予想されてありました。

しかし、小保方さんにすれば、

不毛な訴訟を10年間、

日本でするより、

渡米して

「実験の成功」を事実として立証する方が

遥かに簡単なはずです。

だんまりを決め込んでいた指導役の

笹井芳樹が

のこのこと小保方さんの会見の後、

出てきたのは

それを恐れたからに他ならないのではないか。

僕はそう受け取りました。

ある雑誌が

「笹井、小保方の失楽園」

というタイトルで二人の関係を特集してました。

(なんと日本的な!!)

と思いました。

そのタイトルを眺めながら

「笹井、小保方の後楽園」と、

もごもご口の中で言い直しました。

あの二人がセックスしてようが

してなかろうが、

どうでもいいです。

人のプライベートな関係を

想像を逞しくして

あれこれ

言いたがる心性に

下品さしか感じないです。

一緒に公園を散策する程度の

思い出はあったでしょう。

それでいいんじゃないでしょうか。

ただ、「来週中に会見する」

笹井氏の

胸の内にあるのは

そんな甘ったるい感情じゃないでしょう。

ぶっちゃた話、

アメリカで実験成功なんてなことになったら

困るんですよ。

それしか

会見を決意した動機はないな

と思います。


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