このことわざ、受けてる。誰でも知ってるものなぁ・・・
しかし、実感がない。
(介護に専念してる者は、女と一緒やないかって? そんなこと言うのであれば、
働く女は、男と同じや。)
男は、横のつながりを作る能力という点では、女より劣等種なんだと思う。
これから言うことは、だから劣等種の男の愚痴と受け取ってもらったらいい。
つまりですね、日常生活において思うわけです。
敵は七人どころか百人はおるぞー、
場合によっては、千人だ。このことわざ作った人、よほど能天気だわ!と。
しかし、人と衝突するとき、一対一が常だ。だとすると、上のことわざ、
日替わりで現れる敵のことを言っているのだとも考えられる。
日曜日は、Aさん、月曜日はBさん、・・・
ツゥラツゥラツゥラツララ♪
それならば納得がいく。
しかし、実感がない。
(介護に専念してる者は、女と一緒やないかって? そんなこと言うのであれば、
働く女は、男と同じや。)
男は、横のつながりを作る能力という点では、女より劣等種なんだと思う。
これから言うことは、だから劣等種の男の愚痴と受け取ってもらったらいい。
つまりですね、日常生活において思うわけです。
敵は七人どころか百人はおるぞー、
場合によっては、千人だ。このことわざ作った人、よほど能天気だわ!と。
しかし、人と衝突するとき、一対一が常だ。だとすると、上のことわざ、
日替わりで現れる敵のことを言っているのだとも考えられる。
日曜日は、Aさん、月曜日はBさん、・・・
ツゥラツゥラツゥラツララ♪
それならば納得がいく。
とあります。
忠太さんは、直接手を下さない周りで見ている人まで敵だと思っているようですね。だから、場合によっては1000人もいると・・。自分がそういう目で見ていると敵でない人まで、敵にまわしてしまうのでは?
三成と家康のように、時には敵だと思っている人が、本当はよき理解者のときもあり得る、とは思ったことはないのでしょうか?
があるとも思います。
その点は、しばらく措くことにします。
思うに、「直接、手を下さない人」っていうのは、卑
怯な傍観者です。味方にしたいとも思わないです。
それに、敵ばっかりやと思ってる方が、「理解者」を
見つけたとき、感動するでしょ。
味方やと思ってた人の裏切りにあったときの消耗度
を考えると簡単には人を信じる気になれないです。
三成のことはよく知らないですが、結局のところ、家
康に利用されたのではないですか。
人間不信のかたまりのような僕ですが、案外に自分が
多数派だという自信があります。
何故か。
七人云々のことわざ、正式には「されど、我に八人の
仲間あり」の後文が続きます。
百人の敵を認めたとしても、僕の文章に暗さがないで
しょう。百人の敵が現れたとき、一万人ぐらいは僕の
味方だと考えているからです。千人も敵が現れたとき
も、そのベキ数が我が陣営にあり、です。
すごいでしょ! Specutaclar!
敵は多ければ多いほど楽しい、ということになるわけ
です。なりません?
持っているのが人間だと思っています。似たり寄ったりの人はあれど、隅から隅まで同じ人はいないと・・。
だから、私は時には自分が傍観者になりうると思うのです。卑怯かもしれない観者にです。過去にいくらもしてそうです。
「幼いころいじめられていた子をみてみぬふりした。」
「電車で痴漢にあっている子を助けられなかった」「禁煙の所で煙草吸ってる人に注意できなかった」「裏切るつもりでなくとも結果そうなった」いっぱいあって今の自分があるのだと思います。
今はどんな人にもその人なりの主張があると考えています。
善きにつけ、悪きにつけ、にんげんだもの!
(あいだみつおじゃあないけど・・)
忠太さんも自分なりの考えを、しっかり持ってらっしゃるということでそれなりに、安心しています。
それぞれの立場で、見える状況は異なりますものね。
世の中、完全な黒も、完全な白もありません。グレー
であるのが普通、と思います。
「善きにつけ悪しきにつけ人間」。
かく言う僕も、後悔すべきことが山のようにありま
す。あえて付け加えるとすれば、
「人は、善をなしたくて善をなすにあらず。悪をなし
たくて悪をなすにあらず」ということですかね。