<低みと高みでいえば低みの世界。自分に言い聞かせなければいけないのは、いつもそこなのです。低くあれ、もっと低くあれ、と。>
とても共感できます。
しかし、この言葉を発した辺見庸さん自身は、理解されなくていいと言います。
<黙る、もうしゃべりませんというのは、ぼくのあこがれです。いまは、最終的に黙るために、話している。とことわに黙る。死んだら、ぜひそうしようとおもう。それはね、死んだらどうせしゃべれないからさ。>
この人のように、僕もいつか自分の発する言葉が宙づりでいいと思える日が来るのでしょうか。。。仕方ないんでしょうか、言葉の宙づりって。。。
とても共感できます。
しかし、この言葉を発した辺見庸さん自身は、理解されなくていいと言います。
<黙る、もうしゃべりませんというのは、ぼくのあこがれです。いまは、最終的に黙るために、話している。とことわに黙る。死んだら、ぜひそうしようとおもう。それはね、死んだらどうせしゃべれないからさ。>
この人のように、僕もいつか自分の発する言葉が宙づりでいいと思える日が来るのでしょうか。。。仕方ないんでしょうか、言葉の宙づりって。。。
自分が悩んでるときやなにかに苦しんでるとき
それを誰かに話したとしても、その人が助言し
てくれても、答えは自分で用意してたりする。
その答えが間違っていて修正したとしても
最終決定するのは自分。だから最後の言葉は
いつも飲み込む癖がついてしまった。
本当は甘えたいんだけど
まる投げして甘えると、ぐずぐずに崩れてしま
いそうでこわい。こわくてたまらない。
だから最後まで言えないのがわたし。
強いからじゃないよ
むしろ弱いから。。
ちなみに、 ブログペット占いというのがありまして、本日の判定は次の通りです。
「参照をすると宙づりレベルがアップ」
う~ん。
とても、わたしには切ない響きがあります。
なぜなら、わたしの立場(存在)そのものが
宙づりで、相手には届かない言葉や想念をで
自分が振り回されていたからです。
でも、今はすべてを手放すことで、すべてを
受け容れることがでるようになり、呪縛が解けたような
気持ちです。
それはさておき、この表現、もがく甲斐のない虚しさをよく伝えていますね。エルモリアさんは、その虚しさの山を越えられたわけですね。
「すべてを手放すことで、すべてを
受け容れることができる」ということって、簡単にはできなかったはずです。ある種の悟りが必要です。今、このとき、自分を捨てる・・・
捨てたとき、大きな存在から拾ってもらえるような感覚ではなかったですか。
受容!
出来ればしたいけれど、残念ながら、すれば自分が崩れてしまうような恐怖感がまだ僕にはあります。