のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

遺体捜索が始まる4月7日までのこと

2011年04月24日 04時45分18秒 | Weblog
リンクさせてますので、

「TIME」誌の記事ご覧ください。

外国の記事には、

風評を増幅するという警戒感が一般にはあると思います。

しかし、写真の迫力は、

日本の新聞社、テレビ、雑誌等に発表されるのより、

遥かに優れています

(もちろん、僕の目から見て、という話ですが)。

撮影者の被写体との距離の違いから来るのでしょうか。

ただ、アメリカの記者たちが勇猛果敢だから、

こんないい写真が撮れた、という風には考えていません。

空中からの写真は別でしょうが、

写真提供者は、恐らく“地元の人”でしょう。

つまり、素人の日本人が撮った写真を、

アメリカの記者が買ったのではないでしょうか。

しかし、全体的に見て、何とも言えん迫力があります。


ところで、日本の取材陣は、1時間当たり1マイクロシーベルトを超えても

防護服着用です

(この基準に関しては、前に僕が書いた記事

「逃げる瞬間、『もっと早くに気づいておれば…』と思うのは悔しいです」

で示した基準と比較して考えてみて下さい)。

「一度は自主的に避難したけど、生活できないっぺ」

という村の人たちを取材するのに、

この規制が災いしていたのかもしれません。

しかし、防護服が面倒だからと言って、取材を断念するのでなく、

外国の記者と同じように

せめて地元の人からの写真提供を

もっと積極的に受け入れればよかったのに、と思います。

ふがいないのは、そこのところです。 

災害対策基本法で「警戒区域」に指定されない限り、

自己責任で取材は許されるはずです。

しかし、大手メディアに属するほとんどの記者は、

法的な根拠のない

そんな県警の立ち入り規制に迎合するかのように

自主規制し、

それで善しとした姿勢です。

(週刊「金曜日」4/22号所収、永尾俊彦・文「防護服の報道陣と防護なしの幼児」にある、

治安政策に詳しい福田雅章・一橋大学名誉教授の指摘を参照)。


他、特に何の努力もしないのですね。

そして素人の写真など、

まっぴらご免、という思い上がった

プロ意識が被災地を遠巻きに見ている結果を後押ししたとも言えます。

場所にもよるんでしょうけど、原発から北へ20キロ圏地点の南相馬市で、

毎時1・3マイクロシーベルト前後だったそうです。

単に数時間、滞在するだけなら健康には影響しない程度です。

福島市と大差ないのです。

それほどの脅威があると言えないのに、

この20キロ圏内につき、

福島県警が警視庁機動隊の協力を得て、

不明者の捜索を始めたのは、4月7日でした。

白の防護服にマスク、ゴーグルという厳重な装備でした。

勘ぐるようですが、

(危険だったから捜索が遅れた)

という物語――見せかけ――を作っておく必要があったからではないでしょうか。

結局、その企みに

報道陣がまんまと乗せられた、ということなのではないでしょうか。


飯舘村など毎時13マイクロシーベルト近くが

計測されるのも関わらず、

住民は和やかに談笑。

幼児といえど何の防護もしてないそうです

(永尾、上掲書参照)。

この人たちを、政府はずっと見捨てていた…

あるいは、この点につき、僕たちは、気づかされずにいた、

知らず内、皆が共犯者にされていたのです。


昨日、母乳から放射性物質が検出された記事を書きました。

なぜ、もっと目立つような形で報道しなかったのか

考えている内、

調査の主が民間人であることに思いが至りました。

僕がこの記事を通して言いたかったのは、そこの点です。

報道人から見て、素人の調査であっても

尊重して良いのです、それで問題に肉薄できるのだったら。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿