のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

ゼロ戦の使われ方からして、それは敵艦に投げつける「ゴミ」だった…

2013年12月23日 14時53分49秒 | Weblog
元祖主婦の友のペンギンカフェ‏@penguincafe0831さんのツイートです。

――ゼロ戦が、どんな使われ方をしたのかに全く触れとらん。最初こそ活躍したが、やがて各国に追いつかれ、追いこされ、時代遅れになり、最後は特攻機に使われて、それも大した成果がなかったことに全く触れてない。〔2013年12月23日 - 13:57 〕――

同感です。

見た目と戦闘能力は、

違います。

これは言えるな

と思うのは、

ゼロ戦の最大の欠点は、

銃撃用に

耐ええなかったということ。

石油をよく食う

欠陥機というのが

戦闘中の海軍の評価でした。

だからこそ、

惜しげもなく一発の弾丸として

使い捨てにできたのです。

さて、人間は、

その当時、

欠陥機のゼロ戦にも劣る

文字通り、

ただの人形(ひとがた)でした。

人間と言えるのは、

戦争によって利権を確保しえる

人間だけでした。

そんなわけで、

操縦席の後ろは、

防御に

充分ではありませんでした。

それでも、

見た目の美しさはあったかもしれない。

しかし、美しいゆえに

「戦闘性に優れていた」

と言うのなら、

兵士を

ことごとく女性にすべきです。

女性の殺傷能力を

無視して

特攻機に乗せ、

敵艦に突っ込ませたらいいでしょう。

突っ込む前から

撃墜され海の藻屑になる姿を見て、

(あ~、美しい)

と思って感涙むせび泣いていたらいいでしょう。

話のすり替えではないです。

死ぬ人間が

男性であっても女性であっても同じです。

「死に際」を

桜の散る姿になぞらえ、

「潔く死んで行け」

とは誰に対しても言う気はないです。

何の戦果も挙げ得ず、

無駄死にをしていく世界を

「美しい」

の一言を持って

正当化する人間の気持ちが

理解できません。

理解する気もないです。

最近の政治のありようを見て、

狂人を

一日も早く、

権力の座から

引きずり降ろさないといけないな、

と心底思います。

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