毎日新聞、今朝の朝刊に
ある市民の声として
次のような
発言が紹介されていました。
「生徒には歌えと言っておいて、
自分たちは歌わない教師を見ると
いらいらしたものだ。
歌ったからといって
戦争をする国になるわけではない。
教師も歌うルールは当然だ」と。
これは、まだかなり若い方の反応と思います。
意見の中身が子供っぽいです。
図書館で
雑談している人に
少し大きい声で
「静かにしろ」と
注意するのが可笑しい、
という発想です。
ラートブルッフという法哲学者が
論理的に
注意する際の声は大声で構わない、
つまり、二重基準でよいことを立証しました
(この立証は、
数学的な解法として
世界的な承認を受けています。
つまり、三角形の内角の和は
180度と言うのと
変わらない数学的真理です)。
なぜよいのか――。
一言で言うと、
立場の違いがあるからです。
マラソンの指導をするとき、
選手は走ります。
しかし、コーチは自転車に乗っていたりするでしょ?
あれと同じというわけです。
教育の現場では、
この不公平な公平がとても重要と思います。
昔、「友達教師」などという
接し方が好ましいような宣伝をされた時期がありました。
しかし、先生は、
やっぱり先生らしくあって欲しい。
そう願うのが
大多数の
子を持つ普通の親御さんの考えではないでしょうか。
橋下知事は、
自分が偉いんだということを
他の者に見せつけたかったんでしょうかね。
「組織」
なんて言い出して、かえって
「個人」
を否定する心の貧しさを
立証したに過ぎません。
使用人の家庭に
押しかけて行って、
居合わせる子どもたちに
自分の権力を見せつけたがる成金社長のようです。
幼稚さのみ強く感じてしまいました。
もし、このような欲求しか持てないまま
子を授かれば、
躾と称して
我が子を虐待するでしょうね。
維新の会も
選良たらんとする集団ならば、
それなりに分別があって然るべき
なんじゃないでしょうか。
この問題は、
主義主張の差のように見えて
そうではないです。
人間としての
成熟度の差です。
是非、再考して頂きたいです。
ある市民の声として
次のような
発言が紹介されていました。
「生徒には歌えと言っておいて、
自分たちは歌わない教師を見ると
いらいらしたものだ。
歌ったからといって
戦争をする国になるわけではない。
教師も歌うルールは当然だ」と。
これは、まだかなり若い方の反応と思います。
意見の中身が子供っぽいです。
図書館で
雑談している人に
少し大きい声で
「静かにしろ」と
注意するのが可笑しい、
という発想です。
ラートブルッフという法哲学者が
論理的に
注意する際の声は大声で構わない、
つまり、二重基準でよいことを立証しました
(この立証は、
数学的な解法として
世界的な承認を受けています。
つまり、三角形の内角の和は
180度と言うのと
変わらない数学的真理です)。
なぜよいのか――。
一言で言うと、
立場の違いがあるからです。
マラソンの指導をするとき、
選手は走ります。
しかし、コーチは自転車に乗っていたりするでしょ?
あれと同じというわけです。
教育の現場では、
この不公平な公平がとても重要と思います。
昔、「友達教師」などという
接し方が好ましいような宣伝をされた時期がありました。
しかし、先生は、
やっぱり先生らしくあって欲しい。
そう願うのが
大多数の
子を持つ普通の親御さんの考えではないでしょうか。
橋下知事は、
自分が偉いんだということを
他の者に見せつけたかったんでしょうかね。
「組織」
なんて言い出して、かえって
「個人」
を否定する心の貧しさを
立証したに過ぎません。
使用人の家庭に
押しかけて行って、
居合わせる子どもたちに
自分の権力を見せつけたがる成金社長のようです。
幼稚さのみ強く感じてしまいました。
もし、このような欲求しか持てないまま
子を授かれば、
躾と称して
我が子を虐待するでしょうね。
維新の会も
選良たらんとする集団ならば、
それなりに分別があって然るべき
なんじゃないでしょうか。
この問題は、
主義主張の差のように見えて
そうではないです。
人間としての
成熟度の差です。
是非、再考して頂きたいです。
もしも生徒と同じように歌わない先生が居たら生徒たちはどう思うでしょうか?
教師たちの勝手な行動をみて本当に教育してるように見えるのでしょうか?
「あんな態度でも怒られないんだったら俺も歌わんとこう、面倒くさいや!」
と思うのが子供ですよ。
教師のくせにそんな勝手なことする者がいる
ということの方が私にとっては信じられないことでしたョ。
子供たちは戦争がどうのなんて知ったことではないのです。
日本という国の国歌としての「君が代」なのです。
自国の国歌も歌えないようでは世界へ出た時にも恥ずべきことです。
しっかり義務教育時代に覚える必要があると思います。
この歌が戦争賛歌とは私だって一度も感じたことはありません!
校歌だって起立して歌ってきませんでしたか?それと同じことです。
成熟していない子供たちを教えるのですから、
生徒が見習える先生であってほしいと願うのが親たるものではないでしょうか?
それぞれの歴史を経て今にいたる国々、
作られたその時の人々の思いを知ったとて何が問題になるでしょう?
返って歴史に興味を持つきっかけになれば、
もっと我が祖国日本を大事にできると私は思っています。
「国歌」だから、義務としてでも歌わせる、という判断こそ為政者の勝手と言うべきです