日本は昔、「倭の国」と呼ばれてました。しかし、現代人の我々は、
倭国をもって、自国名とは思ってません。
何時から倭国が日本国になったのでしょうね。ずっと疑問でした。
しかし、この度、疑問氷解! 謎が解けました。
何とね、遣唐使の働きで名前の変更が認められたようですよ。
知ってました~?
粟田真人(あわたのまひと)という遣唐使がおりましてね、
その人のお蔭らしいですね、どうも。
遣唐使が派遣された当時、中国では則天武后が皇帝をしておりました。
則天武后が残虐なのは知ってましたけど、性豪でもあったのですね。
旦那の高宗が56歳で死去したとき、
それまで被っていた貞節な妻という仮面をかなぐり投げ捨て、
本性をさらけ出しました。
例えばですね…
男ハーレムを作って、好みの男性を囲い込みました。
上に述べた粟田真人も囲い込まれた一人です。
巨根の持主であったのでしょうね、彼を見た則天武后は、
「あら、『倭』というけど、みみっちくないじゃない。
分かったわ。これからは、あなたの希望を入れて、
これからは『日本』でいいわよ」と言ったとか言わなかったとか。。。
とにかく、この出会いが縁で、倭国が日本国になったとのことです。
遣唐使は、文化使節とばかり思ってましたが、
実態は、必ずしもそうではなかったようです。則天武后一点狙いの
「男」という貢物、性愛玩具だった節があるらしいのです。
中国に残された漢詩に「日本使節」という言葉が出てきます。
それは、今で言うところの“イケメン”を指す用語だそうです。
要するに、頭の中は、空っぽでいいんです。
「大和朝廷、平安王朝も、とにかく美男子を選んで、中国に差し出していた」と、
井上章一さん(国際日本文化研究センター教授)という方がおっしゃってます。
倭国をもって、自国名とは思ってません。
何時から倭国が日本国になったのでしょうね。ずっと疑問でした。
しかし、この度、疑問氷解! 謎が解けました。
何とね、遣唐使の働きで名前の変更が認められたようですよ。
知ってました~?
粟田真人(あわたのまひと)という遣唐使がおりましてね、
その人のお蔭らしいですね、どうも。
遣唐使が派遣された当時、中国では則天武后が皇帝をしておりました。
則天武后が残虐なのは知ってましたけど、性豪でもあったのですね。
旦那の高宗が56歳で死去したとき、
それまで被っていた貞節な妻という仮面をかなぐり投げ捨て、
本性をさらけ出しました。
例えばですね…
男ハーレムを作って、好みの男性を囲い込みました。
上に述べた粟田真人も囲い込まれた一人です。
巨根の持主であったのでしょうね、彼を見た則天武后は、
「あら、『倭』というけど、みみっちくないじゃない。
分かったわ。これからは、あなたの希望を入れて、
これからは『日本』でいいわよ」と言ったとか言わなかったとか。。。
とにかく、この出会いが縁で、倭国が日本国になったとのことです。
遣唐使は、文化使節とばかり思ってましたが、
実態は、必ずしもそうではなかったようです。則天武后一点狙いの
「男」という貢物、性愛玩具だった節があるらしいのです。
中国に残された漢詩に「日本使節」という言葉が出てきます。
それは、今で言うところの“イケメン”を指す用語だそうです。
要するに、頭の中は、空っぽでいいんです。
「大和朝廷、平安王朝も、とにかく美男子を選んで、中国に差し出していた」と、
井上章一さん(国際日本文化研究センター教授)という方がおっしゃってます。
遣唐使というと優秀な人材が選出派遣と思ってました。
イケメンとは、恐れ入りました。平安時代、光源氏のような
良い男が.....。。。。
うーん、羨ましい(^_-)~☆ ☆
(うちにもいました、イケメン武蔵が・(≧◯≦)・)
僕にはよく分かりませんが、中曽根弘文外務大臣は、その点、評判がいいようです。これは、鹿島さんのお言葉。
しかし、カッコいいのが一人というのは、問題ですね。チアーとか、イケメン武蔵君に頑張ってもらいたいところです。