「無償化、朝鮮学校は除外」という見出しの記事が
毎日新聞朝刊(3月13日付)に載ってました。
除外とは、また何ともさもしい決断です。
一応、第三者による評価組織の判断を待つとありました。
しかし、ことは、それほど専門的判断を要するのでしょうか。
思うに、在日の朝鮮の子どもたちは、
日本国にとって宝です。
それは丁度、朝鮮にいる日本の子どもたちが
朝鮮国にとって宝であるように!
これって、いたってシンプルな「第三者による評価」です。
しかも真実と思います。
北朝鮮の拉致問題が未解決だから、
その制裁を説く人がいるようだけれど、ただの差別の口実です。
戦前まで話をさかのぼれば、
日本こそ、拉致加害国です、残念ながら。
強制的に朝鮮の人たちを日本に連れ去ったのですから。
朝鮮の人は、祖先を大切にします。
決して過去になされた拉致のことを忘れないでしょう。
他方、日本は、全体として見て、家族-社会の絆がずたぼろです。
その内、自分のルーツに天皇しか見えなくなってしまうのかもしれません。
そうなれば、そっくりそのまま戦前の再現です。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」という
空想的にして、薄っぺらな大衆小説が大流行な日本です。
あり得ない話ではないでしょう。
一体、どれほどの人が日清戦争で
朝鮮という国が焦土となった戦だったことを知っているでしょう。
日本は、まるで歴史から何も学んでいないようです。
憎悪や偏見からは共存は生まれません。
太平洋戦争の折、
「大東亜共栄圏」という言葉が流通しました。
この発想自体は悪くありません。
問題なのは、「脱亜」してしまった国に
共存を語る資格がなかったのに、あると強弁した事実です。
国民に嘘をつき続け、
追い詰められた為政者が国外にも嘘をつく相手を探した・・・
そして、無理を通そうとした結果・・・
亡国へと国民を駆り立てました。
共存のないところに共栄はありません。
そして、共栄の地盤のないところでは、共闘は実現しないのです。
成り立つのは押しつけだけです。
しかも大東亜共栄圏が夢のまた夢に終わるということを、
時の軍部は承知していたはずです。
その責任が今なお問われている、という風に感じます。
にもかかわらず、為政者は、
責任の所在を明確にする代わりに、
戦争に対し不感症で対抗しようとしている、
と言ったところではないでしょうか。
たとえば、歴史観につき
「自虐的なるものは悪」という評価の基準があります。
よくぞ考えたものです。
こじつけでも国民に思考停止を求められれば、それでよしとするわけです。
圧政の徴(しるし)だと気づく人は余りいません。
自称「右翼」が使いたがる、「誇りを持て」という言い草に
「自分たちが偉いということ以外、何も考える気がありませんよ~」
という響きがあるのと無関係ではないでしょう。
毎日新聞朝刊(3月13日付)に載ってました。
除外とは、また何ともさもしい決断です。
一応、第三者による評価組織の判断を待つとありました。
しかし、ことは、それほど専門的判断を要するのでしょうか。
思うに、在日の朝鮮の子どもたちは、
日本国にとって宝です。
それは丁度、朝鮮にいる日本の子どもたちが
朝鮮国にとって宝であるように!
これって、いたってシンプルな「第三者による評価」です。
しかも真実と思います。
北朝鮮の拉致問題が未解決だから、
その制裁を説く人がいるようだけれど、ただの差別の口実です。
戦前まで話をさかのぼれば、
日本こそ、拉致加害国です、残念ながら。
強制的に朝鮮の人たちを日本に連れ去ったのですから。
朝鮮の人は、祖先を大切にします。
決して過去になされた拉致のことを忘れないでしょう。
他方、日本は、全体として見て、家族-社会の絆がずたぼろです。
その内、自分のルーツに天皇しか見えなくなってしまうのかもしれません。
そうなれば、そっくりそのまま戦前の再現です。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」という
空想的にして、薄っぺらな大衆小説が大流行な日本です。
あり得ない話ではないでしょう。
一体、どれほどの人が日清戦争で
朝鮮という国が焦土となった戦だったことを知っているでしょう。
日本は、まるで歴史から何も学んでいないようです。
憎悪や偏見からは共存は生まれません。
太平洋戦争の折、
「大東亜共栄圏」という言葉が流通しました。
この発想自体は悪くありません。
問題なのは、「脱亜」してしまった国に
共存を語る資格がなかったのに、あると強弁した事実です。
国民に嘘をつき続け、
追い詰められた為政者が国外にも嘘をつく相手を探した・・・
そして、無理を通そうとした結果・・・
亡国へと国民を駆り立てました。
共存のないところに共栄はありません。
そして、共栄の地盤のないところでは、共闘は実現しないのです。
成り立つのは押しつけだけです。
しかも大東亜共栄圏が夢のまた夢に終わるということを、
時の軍部は承知していたはずです。
その責任が今なお問われている、という風に感じます。
にもかかわらず、為政者は、
責任の所在を明確にする代わりに、
戦争に対し不感症で対抗しようとしている、
と言ったところではないでしょうか。
たとえば、歴史観につき
「自虐的なるものは悪」という評価の基準があります。
よくぞ考えたものです。
こじつけでも国民に思考停止を求められれば、それでよしとするわけです。
圧政の徴(しるし)だと気づく人は余りいません。
自称「右翼」が使いたがる、「誇りを持て」という言い草に
「自分たちが偉いということ以外、何も考える気がありませんよ~」
という響きがあるのと無関係ではないでしょう。
難しいことはないです。
歴史を抜きにしたっていいです。
朝鮮学校に通う子どもたちは、特別永住権を持っており、日本人と同じように税金を払っています。
それでもダメなんですかねぇ~(泣)