サイト「るいネット」に
「このプライバシーが心地よいと思う私たちの感性」
と題して、
山本理顕氏の所説が
紹介されていました
(建設通信・平成24年10月19日・所論緒論)。
何でも、プライバシーの語源は、
奴隷状態だそうです。
☆ 記事URL:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=269831&g=123104
以下に、同記事を
備忘録として
まとめ直させて頂きます。
[要点]
ハンナ・アントレ著『人間の条件』ちくま学芸文庫によると、
プライバシーという言葉は、
「なにものかを奪われている(deprived)状態」を意味していたそうです。
すなわち、古代ギリシャでは、
プライバシーとは
公的な場所に参加する権利を持たない、
つまり、奴隷のような状態を意味していた――と言うのです。
その奴隷状態が
なぜ、今の私たちにとって
守らなければならない最も大切なものとなっていったのでしょうか。
それは国家の近代化と深く関係しているとのことです。
本来、家族は、
「共同体内の共同体」
という構造を持っています。
そして住宅は、
その二つの共同体の関係を調停する役割を担っています。
住宅は、
上位の共同体のメンバーを迎え入れる(公的な)場所と
家族だけのプライベート(私的)な場所との二つの場所で構成されています。
この関係に例外はありません。
ところが、
近代国家は、
その中間的な共同体要素を住宅から奪った結果、
国家と家族を直接結びつきました。
公的な場所を持たない家族は、
徹底して私的な集団(核家族)になりました。
そして私たちは、
それを幸福だと感じるようになりました。
ヨーロッパでは
19世紀の中頃、近代国家の黎明期を迎えます。
「1住宅=1家族」
というプライバシーを大切にする労働者住宅が発明され、
それが大量に供給されるようになったのは第一次世界大戦後でした。
日本では第二次世界大戦後、
日本住宅公団による住宅の供給が始まって以降です。
私たちが
プライバシーに守られた住宅、
見られる権利、聞かれる権利を奪われた住宅に住んで
快適だと感じるようになたのはなぜか――。
国家の運営管理制度(法)が
「1住宅=1家族」を前提につくられたからです。
その住宅によって
国家あるいは社会に対して極めて従順な内向きの感性が育まれました。
でも、この制度自体が
既に破綻していると言います。
さて、今後、
どうなるのでしょうね。
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